The Incognitos

 最初に、屋根の四隅に優美な装飾を施した四頭立ての四輪馬車から降り立ったのは、鳶色の髪の女性だった。紺地のドレスに包まれたゆたかな胸元は、金の紐で交互にきつく締めあげられている。腰は生娘のように細く、ジャックが片腕を回したらすっぽり収まりそうだ。

 真っ白いかつらを着けた従僕フットマンの手を借りてご婦人が馬車から降りるとき、信じられないほどたっぷりした絹のスカートが葉擦れのようなささやきを立てた。その後ろから、長旅で馬車に酔いでもしたのだろうか、まとっている薄青ペールブルーのドレスと同じくらい蒼ざめた顔の、痩せた侍女が付き従う。女性のファッションに詳しくないジャックの目を通しても、どちらの衣装も当世の流行はやりからするといささか大仰に過ぎ、いくぶん時代遅れに見えた。

「お前」異国の貴婦人が言葉を発した。険のある顔立ちに似合わず、瑯たけた声だった。

「見ない顔じゃの。新入りかえ?」

「――は、はい、奥方様マイ・レディ

 まさか話しかけられるとは思わず、どぎまぎしながらジャックは答えた。

「ふん」

 高貴な身分の女性は冷ややかな黒玉ジェットの瞳で彼を値踏みするかのように眺め下ろし、

「まったく、ジュラの好事こうずも相変わらずよの」

 時代がかった物言いと東欧訛りでかろうじて聞き取れた程度だったが、こうした場合の常で、好意的な内容でないことだけは肌で感じた。

 女主人とその侍女はそれきり彼には目もくれず、さっさと屋敷の中へ入ってしまった。

(――どこの田舎貴族だよ、チップも無しなんて!)

 何が詰まっているのだか、ずっしりと重い革のトランクを次から次へと下ろしながら心中で毒づく。ようやく荷下ろしを終えたときには背や脇にじっとりと汗をかいていた。

「ご苦労だったな」

 彼をねぎらったのはサイモンだった。

 外階段の陰に山と積まれた荷物を一瞥し、白手袋を嵌めた手で、ジャックの手に銀貨を握らせた。

「……あの、これ」

「とっておけ。あの伯爵夫人はこうしたことを一切気にかけないかただからな。滞在中どころか帰りの心づけチップも無しだ。携行品は別の者に運ばせる。これから数日は同じことが続くぞ。大抵あの方が最初で――」かすかなため息をひとつつく。「おそらく一番最後に、アイルランド人の郷紳ジェントリがひとり着いて、それで終わりだ。そのかたはお供を連れていないし、荷物も少ないからすぐわかるはずだ」

「へえ、おかしな人ですね」

「半分アメリカ人なんだよ」

「ところで、ジュラって誰です?」

「……旦那様のハンガリーでの呼び名だ」

 サイモンは彼にくるりと背を向けると屋敷の中へ戻っていった。

 老執事の予告したとおり、続く三日の間は到着する客の対応に追われた。ゲストとその随行員と合わせて三十名はいたろうか。どの客も夕方か、完全に日が暮れてから馬車を乗りつけるため、ジャックは松明の明かりを頼りに、数えるのも嫌になるほどのトランクを運んだ。

 客の中には、召使と呼ぶにはあまりにも馴れなれしいが、友人と呼ぶには妙な遠慮がみられる同性の同伴者を連れている者もいた。が、誰も気にするそぶりはみせなかった。ジャックにしたところで、貴族連中のいかがわしい関係など知ったことではないのだ。

 大半の客が外国人だった。太陽の没するところのない大英帝国を訪ねるとあって、さすがに野暮ったい装いをしている者はいなかったけれども、よくよく気をつけて見れば、仕立がサヴィル=ローでのそれとは少々異なっているのがわかっただろう。またその言葉の端々にうかがえる訛りも様々で、耳の良い者なら出身国を当てることもできた。イングランドはもちろん、プロシア、ギリシャ、イタリア――そしてアイルランド。

 三日目の夜に最後の客が到着した。

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