Dance with the Vamps

 執事からあの“アメリカ人”紳士の名を聞き、滞在中の用を頼まれましたと主人に報告すると、

「構わないとも。彼だけでなく他のお客人にも同じようにしてやりなさい。彼らに頼まれたら断ってはいけないよ。ふつうの頼みごとでも、ふつうでない依頼でも。――まああの御仁に限っていえば、心配はいらないだろうがね」

 招待客からおかしな用事を言いつけられたりはしなかったが、全員が全員、接待主ホストと同じくらい変わっていた。

 朝が昼になるまで起きてこないし、お茶の時間は遅い。昨今の上流階級のたしなみといってもいい狩猟にも出ようとしない。夜は夜で、回廊ギャラリーをそぞろ歩き、書斎ライブラリーに集まって長いことお喋りしている様子だった。もっとも、幸いなことに、ジャックなど下働きの者たちはその時間にはお役御免で、日付の変わる前にベッドに入ることを許されていたのだが。

 そのうえ、連れている召使たちといったらその主たち同様つんけん、、、、していて、同身分のはずのジャックや他の使用人とすれ違っても、軽い会話すらどころか会釈すら交わそうとせず、食事も使用人用のホールではなく、執事のサイモンと一緒にとっているようだった。海外旅行に同行するのだから、英語がわからないはずはないだろうに。

「彼らはね、狐狩りハンティングなどという残酷なお愉しみには、とうの昔に興味がせているんだよ」

 十月の最後の晩、舞踏会のために衣装を整えながら主が言った。

 ドレープが幾重にも寄った白いトーガが、広い肩からくるぶしまでをゆったりと覆い隠している。布地の流れによってときに斜めに、縦に見え隠れする高貴な紫のボーダー。足には革のサンダル。短く整えられた銀髪と、広い額を取り巻くのは金の月桂樹冠――ユリウス・カエサルジュリアス・シーザーだ。

 仮装舞踏会にも、着付けを仰せつかったサイモンは完璧に仕事をこなした。洒落者の主の幽姿を、ジャックは暖炉の火の世話も忘れてうっとりと眺めた。

「今宵の私の最初のお相手はあの伯爵夫人なんだ。せいぜい足を踏まれないように気をつけんとな」

「じゃ、あの方はクレオパトラなんですか?」

「いや、セミラミスさ」

 お前はもうやすんでいいと主は手をふり、ジャックを下がらせた。今夜遅くまで仕事をするのは、主に近い上級使用人と室内楽奏者だけだ。

 しかし好奇心を抑えきれず、使用人に許された階段を使わず、あかりの落とされた廊下の暗闇にまぎれて一階の大広間ホールを覗いてみると――

 迂闊な使用人がうっかり閉め忘れでもしたのだろう、指二本分ほど開いている装飾扉の隙間から、細いオレンジ色の光の帯と楽のが漏れてくる。

 音楽など辻音楽師の弾く大道芸同然の騒々しいものしか耳にしたことのないジャックの胸にさえ、甘く切なく、まるで泣き叫んでいるようなフィドルの弦の震えが、血が沸き踊る興奮を呼び起こした。それはどこか異国を思わせる調べだった。

 ホールを埋めていたのは、男か女かひと目では判別のつかない者たち。全員が仮装しあるいは仮面をつけていたからだ。

 無数のクリスタルガラスがシャンデリアに灯された蠟燭の光を反射する中、踊る客人のまとう色とりどりの宝石、銀糸のレース、金糸の刺繍ぬいとりもまた淡い光を放つ。

 古代ローマの将軍に扮した主は、広間の中ほどで、鳶色の髪の貴婦人の手をとっていた。

 真白い鳩の羽飾りを結い髪に挿し、豪奢な金と宝玉の首飾りネックレス十重二十重とえはたえにも垂らし、肉感的な腰回りにはあざやかな辛子色のたっぷりしたスカートを巻きつけた彼女は、あろうことか片方の胸をはだけさせていた。染みひとつないまろやかな乳房が、ひとつは誇るように突き出され、もうひとつはかえって煽情的に薄絹に隠されている。医者の前でさえあらわにするのをはばかる肉体の部分を惜しげもなく晒して、伯爵夫人は滑るようにステップを踏んだ。

 当世の良俗に逆行しているのは彼女だけではなかった。

 鳥のくちばしのような不気味なマスクをつけた黒衣のペスト医者がひとりならずいたし、灰色の頭巾フードをかぶり大鎌を背負った〈時の翁クロノス〉、全身が造花や枝葉で覆われた面妖な妖精めいた姿も。狼の毛皮のベストをまとい、膝まであるなめし皮のブーツを履いた粗野な猟師狩人ハーンまでいる。

 かと思えば、どっしりとしたチューダー朝の装いをした赤いドレスのご婦人は、夫であるヘンリー八世に不義密通と近親相姦の嫌疑をかけられ斬首された、アン・ブーリンのつもりらしい。楽師は全員ジプシーツィゴイナーの格好だ。

 使用人らしいお仕着せ姿の者は、黒犬――口吻が細長く、尖った耳からは、砂漠に棲むジャッカルに近いが――の仮面をかぶっている。琥珀色の両眼が、ターンするたびにきらりと光る。

 暗殺された偉人と残虐な女王、斬首された王妃と首切り役人、民衆の手にかかって首を刎ねられたロココの最後の君主、異教の神々の腕に抱かれているのは、広がった袖やオーバースカート、そして仮面にも綿毛のようにふわふわした羽根飾りをなびかせた、白鳥のような娘たち。

 彼女らは客ではない。あらかじめ主人が呼び寄せておいた、夜の女たちだ。幻想的な光景に興奮したらしいパートナーにいささか乱暴に振り回され、女たちの、悲鳴にも似た嬌声がそこここであがる。

 だがそれも、次第に激しくかき鳴らされるリュート、弦も切れよとばかりに高音で唄うフィドルの音にまぎれ、死せる者に扮した生者と、死すべき運命にある生き物たちは、いつまでも終わらないように見える左回りの円舞ワルツを続けていった。……

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