Virtue and Vice

「お前はさっき私のものになりたいと言ったね」

「はい」

「それは私の言いつけには何でも従うという意味だろう?」

「……はい」

 主人の口調にどこか不穏なものを感じて、彼は一瞬身構える。

ズボントラウザーズをおろして横向きに膝の上にうつぶせになるんだ」

 何を言われたのかわからず躊躇ためらっていると、

「聞こえなかったのか? 履いているものを脱いで、頭をこっち向きにしてここに腹這いになれと言ったんだ――さっさとしないか」

 催眠術にかけられたようにジャックは主人の言葉に従った。手が勝手に動いて下履きのボタンをはずす。形の良い尻にぴったり張りつくように仕立てられていたウールの布地が、脛のあたりまで落ちて絡みつく。

 上半身はきっちりと服を着込んでいるその不格好さに耐えられず、言われるがままに、座っている男の太腿の上に、倒れるように身を横たえる。こんな姿勢をとらされるのは、はるか記憶の彼方、まだ年端もいかない洟垂れ小僧のとき以来だ。

 おぼろげな記憶にある、母親あるいはそのたぐいの女の膝とは異なり、娘の肌のようにやわらかくなめらかな、ひんやりとしているサテンの生地の上からでも、硬い骨と筋肉がはっきり感じ取れる。

 薄く尖ったものがむきだしの尾骶骨の上を走り、彼はびくりと震えた。首をねじって確かめようとしても、視線が届かない。どうやら主人の爪であるらしかった。

「ふうん、ここはさすがに傷ひとつないな。処女地というわけか?」感心しているような口調。

「では、お前がどこまで耐えられるのかみてやろう」

 まるで家畜の競り市で肉づきを確かめてでもいるかのように、尻肉がてのひらで撫でられ、指先で摘まれ、捻られ、ぴしゃりと小気味よい音を立てて打たれた。

「お前は許しを得ずに勝手に私に触れたのだから、こうされるのは当然なんだ」

 その言葉が終わるか終わらないかのうちに、最初の一撃が無防備な裸の尻に振り下ろされた。


 “ご主人様”は細身だが、その打つ力は驚くほど強かった。平手のはずなのに、まるで革研かわとぎベルトか木製のブラシでたれているようだ。

 反射的に身を引こうとして、

「じっとしていろ」

 これまで耳にしたことのない、冷たく威圧的な声音に、石と化す魔法をかけられでもしたかのように体が硬直する。

「おとなしくしていられないなら床に手をついて体を支えろ。手許が狂って大事なところを撲たれたくないだろう」

 固い椅子やテーブル、オットマンであればともかく、座っているとはいえ人間の、それも開かれた太腿の上で動かないようにしているのは難しかった。激しく打たれている状況ではなおさらだ。

 勢いで前に滑り落ちそうになるのを、彼は絨毯に爪を立ててこらえた。うなだれているせいで頭に血が落ち、耳に綿が詰まったようになる。

 でたらめに叩きつけているようでいて、男の手さばきは正確だった。彼が痛みで身をよじっても、尻臀を外すことはなかったし、睾丸に当てることもなかった――もしそんなことになっていたら、目も当てられない大惨事だったろう。

 部屋の中には規則的に肉が打たれる弾けたような音が響き、合間にしゃくりあげるような悲鳴が挟まった。

 彼はいつの間にか子供のように泣きじゃくっていた。むきだしの尻を撲たれるたびに、打たれている箇所だけではなく、背骨から脳天まで、痛みと衝撃が走る。寒い日に金属製のドアノブを触ってしまったときのビリっとしたショックの何十倍もだ。叩かれていない頬まで火のように熱くなる。

「……も、許し……」

 痛みのために呼吸をするのが精いっぱいで、息があがってまともな言葉にならない。

 これが自分の望んでいたことだったというのだろうか、たしかに、あのとき覗き見た子供たちのように扱ってほしいとは言ったが、もし主人が子供たちにも同じことをしていたとしたなら、あの小さな体ではものの数分、数打と耐えられなかったのではないだろうか。彼に愛されたい、、、、、と願ったのは、こういう意味だったのか?

「悪い子だな」

 ビロードを思わせる声が、聴覚を喪ったかのようにぼんやりしていた耳を撫でた。

「……え?」

 泣き濡れた顔を上げ、筋を痛めそうになるほど首をひねって主の顔を仰ぎ見る。暖炉のあかりに照らされた男の、静謐な双眸には、かすかな嗤いがうかんでいた。

「自分がどれほどはしたないのか見てごらん」

 主の膝からずるりと滑り落ち、床にへたりこんだ彼の視界に映ったのは、パールグレーのサテンのパジャマズボンと――その光沢のある生地の上に、蝸牛かたつむりが這ったような跡がぬめりを帯びて銀色に光っているところだった。

「お前が漏らしたんだよ」

 言われてはじめて、自分のものが再び硬くなっているのに気付いた。触れられてもいないどころか、与えられたのは痛みだけだったというのに、同じくらい長いこと愛撫されていたかのように、こらえきれない歓喜の涙で、お漏らしでもしたみたいに下腹がべとべとに汚れている。

 痛みではなく羞恥に頬が染まる。

「そこをそんなふうにして……さぞ辛かったろう」

 いつもの、いやそれよりも蕩けるように滑らかで闇のように罪深い主の声が、耳朶だけでなく涙と汗にまみれた彼の全身をそろりと撫で、それだけであやうく射精してしまうところだった。

「自分でしたことぐらいはもちろんあるんだろうね、お前はいけない子だからな」

「そ……れは、あります……けど、でも……」

 もし今この声で、自分で弄ってけ、と命じられたら、一も二もなく従ってしまう気がした。目の前で恥ずかしい姿を晒す、それが主の望みなら。

「でも……でも俺はあなたが欲しい」

 深いブルーの瞳が慈父のように、床に手をついた彼を眺め下ろす。

「言ったろう、それはできないと」

 ここまでやさしくかつ残酷にNOと言える人間を彼は他に知らなかった。

 膝の上で痛みに耐えている間、主のそれは彼の脇腹に触れるほど布地を押し上げていたし、今でさえその昂奮が鎮まっていないのがわかる。このひとだって自分と同じなのだ、それなのに……。

 躾のなっていない犬同然に再び股座またぐらへ顔を寄せようとした彼の顎が指先で掴まれた。

「どうもお前はこらえ性がなくていけないな」

 嘲るような中に苦笑が混じり、彼は見えない鞭に打たれたように身を縮めた。

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