As Subtle Masters Do

「ジャック、どうしたの? 帰ってきてからずっと、すごく顔色が悪いじゃない」

 ブリジットの、栗鼠りすのようにやさしい茶色い瞳が、心配そうに彼の顔を覗き込む。

 カントリーハウスで迎えたあの最後の夜以来、彼はどうやってロンドンの屋敷に戻ってきたのか確かな記憶がなかった。帰路、主がどんな顔をしていたか、思い出せないほどおぼろげだ。

 あれから主人が彼を身近に呼ぶことはなかったし、サイモンの態度も何ひとつ変わらなかった。もしかして許されぬ情欲に狂った自分が見た淫靡な幻かとも思ったが、座るたびにまだひりひり痛む尻たぶが、夢幻ゆめまぼろしでないことを物語っていた。

「別に……何でもないよ」

「そう? ……たしかに、熱もないみたいだし」皿洗いで少し荒れた、しかし白くて小さな手が彼の額に当てられる。

「ひょっとして、カントリーハウス向こうのお仕事で疲れたのじゃない? 向こうってそんなに大変なの?」

「いや……」

 この心優しい娘には本当のことを言ってはならない――言ったところで信じてはもらえないだろうが。

「ああ、そうなの? それならよかったわ」

 ブリジットは両手の指先を合わせて、嬉しそうに微笑んだ。

「旦那様がね、今度はわたしに手伝ってもらえないかって仰ったの。エディンバラの近くにももうひとつお屋敷があるんだって聞いたわ。今年の十月末には、そこへお客様をたくさんお招きするんですって。女性が多くて、それでメイドの手が足りなくなるかもしれないからって。そこでもしお客様の目に留まって気に入られたら、紹介の口をきいてくださるって旦那様が――」

 小鳥のような娘の無邪気なさえずりを、彼はどこか遠いもののように聞いた。

「……ねえ、本当に大丈夫、ジャック? 具合が悪いのにわたしがうるさくしたのがよくなかった?」

「……いいや」彼はうっそりと笑みをつくった。「よかったじゃないか、望んでいたことが叶うかもしれないんだろ。いつかレディーズメイドになりたいっていってたものな」

「ええ、そうよ。よく覚えていてくれたわね!」

 彼女は興奮に頬を染めた。

 あとで熱いお茶と、ジャムを挟んだビスケットをこっそり持ってきてあげるわね、だから無理はしないでね、と娘は言い、彼の頬にキスをして部屋を出ていった。

 彼女の唇はこの次には誰のどこに触れるのだろう――と、彼はぼんやりと考えた。あの男……ご主人様、、、、にではないだろう。なぜってお前は……少々育ちすぎだものな。それに……旦那様のお知り合いはすべてこういう趣味、、、、、、の持ち主……彼女は私の娘同然……あまり羽目をはずさんように……カトリックの……可愛いブリジットは、まだ処女だ。

 やさしい無垢な娘にせめて危険を警告して魔の手を逃れさせよう――という気は欠片かけらも湧いてこなかった。

 あの人、、、にはたぶん全部すべて知られている、と彼は感じていた。夢見ていた機会チャンスに胸を躍らせたブリジットがそれを彼に告げるのも、そして彼がどうするのかも。

 ――俺は喜んで彼女をあなたの犠牲の祭壇に捧げます。

 次第に暮れゆく陽が半地下の窓から差し込み、灰色の壁をオレンジ色に染め、それから、そろそろ、、、、と濃い闇色の浸食に退しりぞいてゆくのを彼は眺めた。

 ――あなたがそれをお望みなら――それが俺の望みです。

 お前は本当にいい子だね、という、毒を含んだ蜜のように甘くやさしいささやきが耳元で木霊こだました。

 ――そしてとんでもなく悪い子だ。

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