「許せない!毎晩そいつの元に行って、おどかしてやる!」

 柚からお見合いの顛末てんまつを聞いた玉緒は、我が事のように怒った。意外にも、月尾までが同調する。

「どうせなら弥市と伊佐三も呼んで、そいつの寝床でかごめかごめでも歌ってやろうぜ」

 妖怪に囲まれてかごめかごめが歌われる。想像しただけで、恐ろしい。

 思わずぞくっとなった柚は、二人を制止した。

「もう気にしてないから大丈夫。顔も知らない人だし、すぐ忘れちゃうよ」

 実際、心の傷は薄まっていた。お見合いをすっぽかした寅二をらしめてほしいという気持ちもない。

 うなぎの効果は絶大だった。

「それに明日からお滝さんのところに行って気分転換できるから」

 滝が浦野家を去ってから、半年が経とうとしている。時折、滝が隠棲いんせいしている君香きみか村まで会いに行っていて、明日も会いに行く約束をしている日である。


 そして翌日、柚たち一行は君香村の滝を訪ねた。

「柚ちゃんがいてくれるから、安心して楽隠居できるわ」

 やっぱりそんなことを言われてしまうと、女中を辞めようとは思えなくなる。人から頼りにされるのはうれしいし、今の生活が楽しいのも事実だ。

 怪異を怖がっていた自分が、遠い昔のように感じる。

「こっちに来て不便はないか?」

「姪夫婦がよくしてくれますから。気ままに暮らしてますよ」

 滝が浦野家に仕え始めたのは、柚と同じくらいの歳のときだという。君香村出身で、一人奉公に出たそうだ。そのときは先々代である、春太郎の継父の父が当主であった。

「私は好奇心旺盛おうせいな性分でしたから、無理やりに旦那様の後についていって、調査を手伝ったものです」

 懐かしそうに、滝は目を細めた。

 自分から調査に行きたがったとは、柚とは逆である。

 滝はいつも、先々代との思い出をどこか無邪気に話してくれる。清之進や春太郎との思い出話と同じくらいに、先々代との思い出は特別であるようだ。

 しかし滝は先々代の頃からずっと、仕えていたというわけではない。先々代が妻をめとってからは村に帰ったという。

 妻がいれば家事をしてくれるし人手も足りる。薄給の武士が、余裕に女中を雇えるわけがなかった。

 その経緯いきさつを滝から聞いたのは一度だけである。君香村には兄夫婦がいて、滝も近所に住んでいたが、ずっと独り身だったそうだ。

 浦野家では先々代の息子、春太郎の継父が生まれ、孫の清之進と、脈々と受け継がれていた。

 滝が再び浦野家に戻ったのは、清之進の母が亡くなった後である。先々代の妻はすでに故人で、女手のなくなった浦野家に呼び戻されたのだ。

 すでに先々代は家督を息子に譲っていて、隠居の身である。歳もあって、滝は調査に同行するようなことはせず、女中業務をこなしていた。そのうちに先々代が亡くなり、先代は後妻を娶る。後妻に連れられて、春太郎がきたのだ。

 春太郎はまだ年少であったこともあり、後妻が来た後も滝は浦野家に残っていたという。そして現在に至るというわけだ。

 和気あいあいと話したり、一緒に料理を作ったりと、滝の家で過ごす時間は穏やかで楽しいものだ。心安らかにしていると、滝の家を尋ねてきた男がいた。

 男は君香村の庄屋の下男だと名乗る。

「迎えに参りました、浦野様」

 下男は春太郎に向かって丁寧に声をかける。

「うむ。ではさっそく行こうか」

 春太郎は下男が来訪することを知っていたようだ。だが、柚は何も聞かされていない。

「旦那様、用事があったんですか?」

「そうだ。柚も早く支度をしろ」

「え、私も行くんですか?」

「風史編纂係の仕事だ。手伝ってもらわなければ困る」

「ということは……」

 嫌な予感がする。風史編纂係の仕事ということは、つまり、怪異が絡んでいるということだ。

「庄屋に幽霊が出るらしい。そのことで主人から依頼があった」

「幽霊って……!私、聞いていませんよ!」

「言ったら来なかっただろう」

(そりゃあ幽霊がいるとわかっていて行きませんよ!)

 ただ滝に会いに来たというわけではなく、仕事もあったのだ。

 最近は新たな怪異にも出会わなかったというのに……

「私はここで待っていますから……」

「つべこべ言わずに来い」

 怖いは主に通用しないのだと、あらためて痛感する。鰻をおごってくれたのが夢のようだった……


「妖怪は幽霊が見えるの?」

 庄屋に向かう道中、柚はこそりと玉緒に聞いた。

「にゃー」

 猫の姿のままでも、それが肯定の意だとわかる。

 何でもないというように答えているので、幽霊に恐いという感情は向けていないのだろう。

 そういえば浦野家に来てから、様々な妖怪たちと出会ってきたが、幽霊なるものには出会っていない。そもそも、今まで幽霊を見たことがないし、見える能力も持っていなかった。

 風史編纂係はあくまで文官であり、おはらい屋ではないとは、春太郎の言ったことだ。だから春太郎には幽霊を払うことはできない。以前、権助が家神に取りかれてしまったときに、対処できなければ神社か寺に連れて行くとも言っていた。

(まったく、どうするつもりなのよ……)

 春太郎は相変わらず、怪異を前にして生き生きしている。幽霊も怖くないらしい。

 柚一人だけが不安になりながら、一行は庄屋に着いた。

(おっきい家……)

 村の中でもひときわ群を抜いた、立派な茅葺かやぶき屋根の屋敷がある。屋敷はさんろく麓の小高い丘にあって、屋敷に続く道には石段がしつらえてあった。それほど苦でもない石段を上がると、大きな門が出迎える。門扉は開いたままで、門を潜るとこれも広大な庭と、屋敷が姿を現した。

 柚の出身の村にも庄屋はあったが、君香村の庄屋ほど立派な構えではなかった。が、裕福ではあったので、君香村の庄屋にいたっては、相当なものだろう。

 柚と春太郎は、主人の前に案内された。

「お待ちしておりました」

 喜八と名乗った主人は、四十代くらいに見える。困っているという顔で、さっそく依頼の話をした。

「実は、息子の幽霊が出るようになりまして……」

 喜八には千代松という一人息子がいたが、五年前に病死している。わずか六歳だったそうだ。

「今になって、千代松の霊が現れたのか?」

「はい……亡くなった直後も、五年の間には一度も現れませんでした」

 つまり、千代松が亡くなってから五年後に、幽霊として現れるようになったということだ。

「千代松の霊を見たのは主人だけか?」

「いえ、私も見ましたが奉公人たちも見ております。この家にだけ現れるようで……」

「悪さをしたりだとか、そういうことは……」

「時折ふっと現れるだけで、すぐに消えてしまいますので、悪さなどはとても……千代松は生前からよい子でございました」

「ならば、どうしてほしいのだ」

 喜八の顔が固まった。

「とくに悪さをするでもない、死後も会いに来てくれる愛息子なら、何もせずに放置していればよいではないか。わざわざ私に相談することもあるまい」

 確かに、と春太郎の隣で聞いている柚も思った。

 幽霊は恐いけど、大事な家族が会いに来てくれるなら、逆にうれしいことではないのか。

「仰る通り、いまも息子に会えるのは喜びこそすれ、追い出したいなどとは思っておりません。ですが、こうして霊になって現れるからには、何か思い残したことがあるのではないかと……安らかに成仏してほしいというのも、私の願いでございます」

「ふむ……しかしそれならなお、私に相談することはないだろう。風史編纂係はあくまで調べるだけであって、対処するのは仕事ではない。坊主に頼もうとは思わなかったのか?」

 怪異といった不可思議なことを調べる仕事なので勘違いされやすいが、お祓い屋とは違うのだ。

「はじめはこの村にあるお寺の住職さんに相談したのです。そうしましたら住職が、私よりも浦野様を頼る方がよろしいと紹介されまして……」

 その春太郎には住職に相談しなかったのかと問われて、喜八は困惑している様子である。

 解決するかはともかく、怪異を調べるのは風史編纂係の仕事だ。喜八にはとりあえず調べてみるので、また千代松の霊が出たら教えてほしいと告げ、その場を後にした。

「なんかしっくりこないですね」

 息子の幽霊が出て、とくに悪さはしないが、成仏してほしいという気持ちはわかる。しかし、喜八は困っているような顔をしていた。

「喜八には何かしらの迷いがあるようにも見える」

「でも安心しました。千代松くんの幽霊が出るまで、屋敷に残るって言われるかと思ったので」

「幽霊というのはそう都合よく現れてはくれない。しかし妙だな……」

「亡くなってから五年後に現れた幽霊ですもんね」

「そんな幽霊の話は、歴代の浦野家の資料でも見たことがない。それに、千代松の幽霊は主人だけではなく、奉公人たちも見ていると言っていた。幽霊はたまに見える人がいるというくらいなのに目撃者が多い。よほど強い思念があって存在が強くなっているのかもしれないが、何もしないというのも妙な話だ」

 主人の言う通り、千代松には思い残すことがあって、誰にでも見えてしまうような思念の強い存在になっているのかもしれない。だが、千代松は何を主張するでもなく、ただ現れるだけだという。

「これからどうするんですか?」

「まずは俺のことを紹介したという坊主に会いに行くとしよう」

 門の前では、柚たちを案内した下男がほうきを掃いていた。下男が帰ろうとする柚たちに向かって丁寧に頭を下げたのと同時に、門の向こうから一人の男が入ってきた。

「お帰りなさいませ」

 下男は男にも丁寧に頭を下げる。客人ではなさそうなので、家人だろうか。

 柚たちは石段を下り、下男から教えてもらった陽岳寺に向かった。

 陽岳寺もまた山麓にあった。この寺は柚の生まれた村にある寺と、さほど規模は変わらない。広々とした本堂に比べたら小さい庫裏くりがある。

 まるで柚たちが来ることがわかっていたかのように、陽岳寺の住職は待ち構えていた。

「さあ、こちらへどうぞ」

 柔和な笑みを浮かべているが、その心底は計り知れない。歳は三十代か、あるいは四十代にも見える。一見してよくわからない男であった。

 庫裏の中に案内され、お茶と茶菓子でもてなしてくれた。

「何分、この寺には私一人しかおりませんので、無作法はご容赦ください」

 と言うわりには、もてなしの手際がよい。

「申し遅れました。私は陽岳寺の住職で、西安さいあんと申します」

 柚と春太郎も名乗って、さっそく春太郎が聞いた。

「主人に私のことを紹介したのは西安殿の聞いたのだが……」

「はい。風史編纂係のことは存じておりましたので」

「失礼だが、西安殿はお祓いのようなことはできないのか?」

 むしろお祓いが専門であるような西安が、風史編纂係の武士を紹介したのが、解せなかった。

「実は一度、あなた方にお会いしたいと思っておりましたのです。千代松さんの霊は無害ですので、風史編纂係である浦野様が調査してからお祓いをしても遅くはないかと」

「こちらも調査をできるのはうれしいが……」

 風史編纂係に興味があったので呼んだと言わんばかりである。しかし、本音かどうか怪しいところだ。

「喜八さんは、なんと仰っておりましたか?」

「息子の幽霊がでるので成仏させてあげたいと、そのようなものだった」

「他には何か……」

「いや、依頼の話以外は聞いていない」

 そうですかとつぶやく西安は、一瞬だけ真顔になった。が、すぐに柔和な笑みに戻る。

「奥方はいない様子だったが、主人の他に家人はいないのか?」

「喜八さんの妻は三年前に亡くなっております。一人息子の千代松さんと同じく病で……立て続けに家族の不幸があり、他に身寄りもいないのです。ですが……喜八さんにはもう一人、お子がいらっしゃるのですよ」

「千代松は一人息子と聞いているが……」

 ふふっと、西安は不敵な笑みを浮かべた。

「若い時分に作った子どもが一人、いらっしゃるのです。何でも奉公人に手を付けてできたと、風のうわさで聞いております」

「その子はいま、どうしてるんですか?」

 柚は気になって聞いた。

「つい数日前に、ふいに喜八さんの前に現れたんですよ」

「旦那様、もしかして帰るときにすれ違った人じゃ……」

 下男に頭を下げられていた、若い男がいた。もしかしたら、その人かもしれないと考える。

「利助さんという、あなた方と同じくらいの年頃の方ですよ」

「どうして今になって、利助は現れたんだ?」

「母が亡くなり、他に頼れる人もいないということで、喜八さんを頼ってきたのです。実は内々に喜八さんからは、本当に利助さんが実の息子か、調べてくれと頼まれてございます」

「本当に、実の息子だったんですか?」

「利助さんが仰った母の名前も、かつて喜八さんの家に奉公していた方と同じ名前でした。その母というのが、利助さんを身籠ってから奉公を辞めてしまったそうで、それからは母の実家で暮らしていたそうです。たしかに利助さんたちのいた村には、彼らの住んでいた痕跡がありました」

 西安が間違いないと裏付けしたことで、喜八は利助が我が子だと信じる気になったという。

「そもそも何で主人は、利助さんのおっかさんと一緒にならなかったんですか?まさか、無理やり手籠めにしたとか……」

「あくまで噂の域でしか私は存じませんが、無理やりにというわけではなかったそうです。喜八さんが本気であったかは不明ですが、関係を持ったのはお互いに想い合っていたからだと聞いております」

「でも利助さんを身籠ってたのに、捨てたんですよね」

 同性として、利助の母を不憫ふびんに感じるのか、柚は憤っている。

「女性の方から身を引いたのか、一緒になることに周囲から反対されたのか、それとも喜八さんが捨てたのか……いずれにしても、喜八さんが悪いということもあり得ますね」

 主人を非難する柚をとがめるわけでもなく、むしろ同調するように西安は言った。

 柚は思うところはあれど、つつしんで黙る。

「なるほど……関係を断ったはずの息子が尋ねてきて、本妻との間にできた一人息子が亡くなった現状では、受け入れるしかなかった。利助が実の息子であると確証したいま、千代松には成仏してもらわなければ、利助を後継者にするという踏ん切りがつかないということか」

 本来であれば、千代松が喜八の跡を継ぐはずであった。しかし千代松は亡くなってしまい、他に庄屋を継ぐ人がいない。後継者に悩まされた喜八の元には、折よく利助が現れる。今まで愛情を注いでこなかった分、こころよく後継者にすることはできないが、利助しか後継者がいないのも事実だ。そこに千代松の霊が現れ、千代松に跡を継いでもらいたかったという喜八の未練が、利助を後継者にすることを躊躇ためらわせている。

 喜八が困ったような顔をしていたのは、そのためであった。

 柚たちは西安の元を後にした。

「あまり気乗りのしない怪異だが、風史編纂係としては調べるほかない」

「私もちゃんと手伝います」

「ほう。怒っていたから嫌がると思ったが……」

「だって、もやもやするから見届けたくて……」

「熱心になってくれるとはこちらもうれしい。俺は滝の家に戻って、調べ物をしている。柚はこの寺に残って西安を見張ってくれ」

 過去に君香村で起きた怪異が記されている浦野家の文書を、春太郎は持参していた。思い当たることがあるので、じっくり文書を調べることにする。

「なんで西安さんを?」

「単純に怪しい奴だ。何かを隠している気がする」

 柚と玉緒を残して、春太郎は山門を下って行った。

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