「柚……」

 誰かが自分を呼ぶ声が、遠くから聞こえる。重いまぶたはなかなか開かない。

「柚」

 薄ぼんやりとにじむ視界にとらえた人物のお陰で、柚はがばりと身を起こした。

 どうして、ここに定次がいるのか。ふつふつとした怒りが押し寄せる前に、柚は昨夜の光景を思い出した。

 この世のものではない、恐ろしい何か……はっきりと思い出してしまった姿に、身震いをする。

「大丈夫か、柚……」

「え、もう朝……」

 柚は大丈夫ではないと答える代わりに、夜が明けた光景を目の当たりにして言った。

 見てしまったものを仮にお化けとして、意識を失った後のことは何も覚えていない。

「タベ、お外に倒れてたんだよ。頭を打ったみたいだけど、まだ痛むかい?」

 定次の隣に座している滝が尋ねた。

「はい。昔から、頭は丈夫なので。他のところも大丈夫みたいです」

 怪我はしていなくても、恐怖は消えてはくれない。少し顔の青ざめている柚を見て定次も滝も、まだ心配そうな顔をしている。

 定次が滝の手前、何か言い出せないのを察して、滝は坊ちゃんに報告しに行くと言って部屋を後にした。

「昨日、ここから帰った後で聞いたんだ。……この屋敷は、お化けが出るらしいって。だから居ても立っても居られなくて、来たんだ」

「…………」

 普段ならば何を言っているのと責めていたのだろうが、昨夜に見たあれが、もしかしたらと思ってしまい、反論できなかった。

「みんな、お化けを見て奉公を辞めているそうだ。柚も……」

「お化けなんているわけないじゃない」

 強がりの嘘だった。意地を張ってまで、定次のいる家に帰りたくない自分に、あきれる心地だ。

「じゃあ、どうして倒れたんだ?」

「昨日は来たばかりで緊張してたから、疲れちゃったみたい」

 ちょうど春太郎が顔を出したところで、

「もう大丈夫です。ご心配をおかけして申し訳ありません」

 明るいうちにお化けが出るわけがないと心の中で言い聞かせて、居住まいを正した。

 定次は昨日よりも何か言いたげな顔で、帰っていった。

「どうしてそう意固地いこじになる。金に困っているわけでもあるまい」

 定次を見送った後ろ姿に、春太郎が聞いてきた。まともに話すのは初めてである。

 柚は振り返って答えた。

我儘わがままかもしれませんけど、家に帰りたくないんです」

 ここで主人に呆れられて追放されたら終わりだというのに、正直に言ってしまった。

 春太郎は真面目に、こちらを見ている。しかし非難だとか、重い雰囲気はまとっていなくて、つい続けてしまった。

「あの人、本当のおとっつあんじゃなくて……」

「継父か」

「はい。別に悪い人じゃないし、他人からしたら優しくていい人だと思うんですけど…何ていうんでしょう、嫌なんです」

 急に家族の中に入ってきて、土足で踏み荒らされたような感覚だった。悪い人ではない。けれど、最近出会ったばかりの定次を、父親だとは思えない。

「そういうものか……」

 つぶやいて、春大郎は考え込む素振りをした。子どもじみた女中の考えに真実に耳をかたむけていると思いきや……

「まあ、お前の事情など知ったことではない。せいぜい励むことだな」

「はあ……」

 興味がないというわりには、先ほどは何を考えていたのかと引っかかったが、柚としてはとやかく言われるよりも、触れないでいてくれるならそれでよい。

 柚は話題を変えて、思い切って聞いてみた。

「あの、ここで務めた女中はみんなすぐに辞めてしまうって、本当ですか?」

「本当だ」

 正直者が、ここにもいる。春太郎の立場からすれば、女中が辞めてしまうのは事実だと肯定して、家に帰りたくないと言いつつも、柚も怖気おじけついて帰ってしまう可能性があった。

 柚が素直に気持ちを吐露とろしたことへのお返しか、主人の心は計り知れない。

「どうして……」

「もう見てしまったのだろう。ここは、特殊なところだ」

「それは……」

「浦野様!浦野様……!」

 どういう意味なのかという柚の問いかけは、ある男の声でかき消された。

 どこぞより走ってきた男は、柚たちの前で息を整えている。そして荒い息を吐きながら

声を振りしぼるのは、切羽詰まっている様子だ。

「ここは、浦野様のお屋敷でよろしかったでしょうか……」

「そうだが……」

「た、助けてください……!権助さんが大変なんです!」


 突然、浦野家を訪ねてきたのは、元ノ井町で小間物問屋を営んでいる万国屋の手代であった。

「万国屋っていったら、棗藩で一二を争うくらいに有名な小間物屋ですよ」

 という柚の言葉に、春太郎はあまり関心がない様子だ。柚とて気軽に出入りできる店ではないので、ひやかしでも行ったことはない。

 自室に戻って準備をしてきたらしい春太郎を表口で見送ろうとすると、意外な言葉を投げかけられた。

「何をしている。お前も行くんだ」

「へ?」

 嫌だ、行きたくない。だって……

 万国屋には、幽霊にりつかれた人がいる。

 手代が浦野家を訪ねたのは、その幽霊に憑りつかれた人物を助けてほしいといった依頼だった。

 昨夜に恐ろしいものを見た柚は、幽霊という存在が現実的に思えて、ただの冗談ではないと思っている。しかしなぜ、この家に来たのか。霊が憑りついてしまったのならば、神社や寺に駆け込むのが定石ではないかと考えたが、春太郎は慣れた様子で、すぐに向かうと手代に返事をした。

 ここは特殊なところだと言った春太郎の言葉が、どうにも結びついて仕方がない。まあ、触らぬ神にたたりなしと思っていたのだが、主に供を命じられて、昨夜の恐怖も消えないままに、柚はおののきながら春太郎の後ろについていった。

 春太郎がしようとしていることはわからない。けれど、自分がついていって何かの役に立つとも思えない。しかもこの主は……

(生き生きしている……)

 幽霊などという恐ろしい存在がいる場所に向かおうというのに、春太郎はどこか嬉々ききとしてはずんでいるように見えた。

「浦野様をお連れしました」

 二人は手代に案内されて、万国屋に着いた。元ノ井町は浦野家から柚の家、花乃屋に向かう途中にあって、花乃屋のある月夜町と同じく、商家の栄える町である。

 とりわけ万国屋は敷地も広く、奉公人の数も多い。さすが大店は違うと感心したのは少しだけで、主人の徳右衛門とその妻みつの憔悴しょうすいぶりが、事態の深刻さを伝えていて、柚は固唾かたずをのんだ。

「うちのせがれが……早く、何とかしてください!」

「お願いします。急におかしくなってしまったんです。このままだと権助は……」

 万国屋の夫婦はとても冷静さを欠いている。大店の主とも思えない振る舞いは、やはりそれほどの危機なのだ。

 柚の方も事態の深刻さに飲まれて、どきどきと嫌な鼓動が鳴っているのに、春太郎だけがこの場で落ち着いている。

「とにかく、その権助とやらを見せてくれ」

 春太郎たちが次に案内されたのは、万国屋の敷地内にある蔵だった。つまり、権助はこの中にいる。いや、閉じ込められているのか。

「今はおとなしいのですが......」

 手代は恐る恐る蔵の扉を開ける。きいと鳴く扉の音が、やけに重く響いた。

 真っ暗闇が広がる中を、朝日が射しこんで浮かび上がったのは……

「ひっ……」

 柚はその姿を見て、思わず一歩、後退あとじさった。

 蔵の中にいるのは、春太郎と同じくらいの歳の細身の男……権助だ。身体中を縄で拘束され、口も布で塞がれている。それだけでもぎよっとするのだが、拘束にあらがおうと身体を震わせ、布の隙間からうめき声を漏らしながら、血走った目で蔵の入り口にいる皆を見ている姿が、正直恐ろしい。

「ほう……」

 権助の姿を見てもなお、春太郎は落ち着きを崩さない。それどころか、感嘆の咳きにすら聞こえた。

 春太郎はまじまじと近くで権助を観察している。柚は入り口から見ているのが精一杯だ。

「おい、荷物をよこせ」

 誰に向けての言葉なのかがわからず、柚は少しきょとんとした。あれと思ったのは、抱きしめるように抱えている、万国屋に向かう前に春太郎から手渡された荷物があることに、感覚で気づいたからだ。

「わ、私ですか……?」

「他に誰が荷物を持っているんだ。早く来い」

 平担な調子の声には、横柄な態度。でも感圧感はまるで感じられなかったので、むかっとはしなかった。

 しかしこの荷物の中には、何が入っているのだろうか。荷物を手渡された春太郎が取り出したのは、一枚の札であった。

 春太郎はおくせず、その札を権助のひたいに張り付ける。瞬間、嘘みたいに権助の動きが止まった。

 権助はぴくりとも動かず、目を閉じている。春太郎を除いて、何が起こったのかを理解した者は、誰一人としていない。

「……助かったんでしょうか?」

 縄を解けば、すぐにでも襲いかかってきそうだった権助は、深い眠りに落ちている。少ししても権助が起きないのを見て、徳右衛門が聞いた。

「まだだ」

 その言葉に、再び両親は悲痛な顔をした。

「くわしく、話を聞こう」

 春太郎と柚は、蔵から万国屋の家屋へと移された。

 そもそもなぜ権助が、幽霊に憑りつかれていると思ったのか、徳右衛門が説明する。

 「権助があのようになりましたのは、一昨日からでございます。一昨日は、私には父に当たります先代の葬儀がございました」

「それまでは、様子はおかしくなかったと」

「はい......多少、浮ついたところのある息子ですが、家で大暴れするなどしたことはございません。権助は祖父に可愛がってもらっていましたし、通夜と葬儀も大人しくしておりました。そして何事もなく葬儀が終わりました晩、急に権助が暴れだしたのです」

 皆が寝静まった刻限であった。疲労と悲痛による深い眠りを打ち破るほど、権助は激しい音を立てて、自室で暴れていたという。

 十人がかりでやっとのこと取り押さえられたと思っていたら、権助はいまのようにぐっすり眠ってしまった。権助が外ではめをはずしていることは、家人の誰もが知っているところだったが、さすがに家で暴れたり、家人に手を上げることはなく、急にどうしたのかと戸感うばかり。起きたら事情を聞こうと休ませていたのが、権助は朝になっても昼になっても起きなかった。

「さすがに心配になりまして、昼には医者に診せたのですが、どこも悪くないと言われまして……」

 名前を呼んでも、身体をゆすっても起きなかった権助が目覚めたのは、今日の早朝であった。

「また、暴れだしたのか」

「それはもう、手の付けられようがありませんもので……このままだと家人や奉公人が怪我をしてしまうと、いたしかたなく拘束して蔵に閉じ込めました次第です」

 様子が変わる前は、祖父の死に心を痛めていた以外で、特に思い悩んでいる様子も、機嫌が悪いといった様子もなかった。病でなければと考えて、誰かが言ったのは……

「亡くなった直後でございましたし、親父さまの幽霊に憑りつかれているのではないかと……」

 病でもないのに眠り続ける、こちらの言葉には反応しない、凶暴な様子、どれもが人間とはかけ離れているように感じられた。

 いよいよ寺に駆け込まなければならないかと決断するより前に、これも誰かが、確か棗藩には超自然現象を専門とした特殊な武士がいると、言ったのであった。そして、手代が浦野家に駆け込んだという経緯いきさつである。

「ほう。仮に先代の幽霊が憑りついていたとして、その憑りついた理由に心当たりはあるのか。思い残すようなことがあったとか……」

 主人夫婦は顔を見合わせて、心当たりがないといった顔をする。その場にいる権助の兄も、首を振った。

 隠居の身になってから、少しほうけてはいたが、穏やかに日々を過ごしていたとの、家人の証言である。葬式直後におかしくなってしまった状況下だけで、先代の霊ではと思ってしまったが、誰も憑りついた理由までは考えていなかったようだ。

「では、権助は一体どうなってしまったんでしょう......」

「あなた方の言うように、何者かが憑いていることは間違いない」

「やはり親父さまが憑いているんでしょうか」

「わからない」

「どうすれば権助は助かるんでしょう」

「今のところは何とも言えん」

「ちょっと……」

 大人しく控えていた柚はたまりかねて言った。

 ここまで来ておいて、家人の心中も不安でたまらない中、わからないとはよく言えたものだ。

「ぱぱっとおはらいでもすればいいじゃないですか」

「俺はお祓い屋ではない」

「え?」

 柚だけではなく、主人たちも意外だという反応をした。

「だって、特殊なところだって……」

「お祓いをしているとは言っていない。俺はただの文官だ」

 特殊と言ったり、ただの文官と言ったり、何とも矛盾している答えである。

「それじゃあ、権助は一体どうなるんですか」

 あてが外れた主人は少し取り乱したが……

「場合によっては、俺でも助けることができる。まずはその何者かについて探ってみるほかない」

 植助の部屋を見たいと立ち上がった春太郎に、あっけにとられながらも兄が案内する。

 かくいう柚も、春太郎の真意がよくわからないまま、後ろについていくことしかできなかった。

 権助の部屋は荒らされたままだった。障子戸は残れ、ふすまは傷つき、物が壊れたり散乱している有様だ。

「いくらむしゃくしゃしていたからって、こんなに自分の部屋を荒らさないですよね。やっぱり、権助さんには霊が憑いているんですか?」

 春太郎は手当たり次第に落ちているものやらを調べている。柚もまだよくわからないまま、同じように探ってみる。

「おそらくだが、霊ではない」

「へ?じゃあ、権助さんの演技なんですか?」

「演技でここまではしないだろう。実際、とても演技には見えなかった」

「それなら……」

 とここで柚が言葉を途切らせたのは、あるものを見つけてしまったからだ。

「何か見つけたのか?」

「ぜんぜん、見つけてないです!」

 柚があわてて隠したそれは、無残に破られた枕絵であった。存在は知ってしてもそういうものを見慣れていないので、恥ずかしい思いをする。

 知ってか知らずか、春太郎は深く追及はしなかった。

 大事にしていたであろう枕絵を、やはり自ら破るわけはない。

(それにしても……昨日は化け物を見て、今日は霊に憑りつかれた人か。いや、霊じゃないんだっけ。なんか、へんなとこに来ちゃったな……)

 ここで柚は気になっていることを聞いた。

「霊じゃないって、どういうことですか?」

「ざっくりと言えば神、だろうな」

「神……!まさか、神様が人に憑りつくわけ……」

 霊が憑りついたり、悪さをするというのは、怪談話にもよくある。だが、神はうやまわれこそすれ、人に悪さをするわけがないと思った。

「言っておくが、神はまったく安全な存在というわけではない。崇り神、ともいうだろう」

「あ……」

「神が人に害をなす場合は、きちんとまつっていないとか、神の逆鱗げきりんに触れることをしたからだ」

「へぇ……でも、ここは神社じゃありませんし、神の逆鱗に触れることなんて、普通に生きていたらまずないんじゃ……」

「まあ、基本は敬われる神だが、軽い悪戯いたずらでも、それが神の怒りとなることもある。だからお前も、神の前で下手なことはするなよ」

「はあ……」

 どんな人間だと思われているのか、少し憤慨した。

「ところで、本当に神様が憑りついていたらどうするんですか?てっきりお祓いでもするのかと思って、後ろてさかきを振るくらいならお手伝いできると思ってたんですけど」

阿呆あほう

(いまはっきり、阿呆って言われた)

 無口だと踏んでいたが、とげが多い。しかし、奉公人の立場で、しかも武士を相手につっかかることはできなかった。

「祀っていないのならば祀ればいい」

「もし権助さんが神の逆鮮に触れていたら……」

「一筋縄ではいかないだろうが、神社に連れて行ってどうにかしてもらうしかないだろうな」

「でも旦那様も、すごいカを持っているじゃありませんか」

「すごい力……?」

「権助さんの額にお札を貼ったら、動きが出まって……」

「風史編纂係を務める人間ならば、一時的に神の動きを止めることくらいはできる。これは……」

 春太郎は荷物から、権助の額に張り付けた札と同じものを取り出して、柚の額に張り付けた。

「う……」

 その身に何事も起きなかったが、不意打ちを受けて軽くうめく。

「人間や霊には効かない札。お前がぴんぴんしているのが証拠だ」

「そうですか……じゃあ旦那様は、権助さんに憑いているのが神様だって、見ただけでわかったんですか?」

 春太郎が張ったのは、悪霊には効かない札である。つまり、その時点で判断していたのかもしれないということだ。

「確証はなかったが、様子から悪霊ではないと思った。札を張って確信したといったところだな」

「お祓いはできないんですか?」

「さっきも言った通り、風史編纂係は文官であってお祓い屋ではない。ここの家人たちのようにお祓い屋であると勘違いされるのは、常日頃は不可思議な存在を調べている特殊な役職だからだ。調べているだけで、お祓いの才能もなければできるわけがない」

「助けられるかもしれないっていうのは、原因が神様を祀っていないときってことですよね。それならお祓いをする必要もないですし」

「そういうことだ。簡単なことであれば解決できるが、できないときは、神社か寺にでも任せるほかはない。まあ、神にしろ悪霊にしろ、人に憑りつくことなど滅多にないがな」

 春太郎はあらかた探し終わったようだ。

「とくにこれといってわかるものはないか……お前はここの家人と奉公人たちに権助が神に悪さをした覚えはないか聞いてこい」

「旦那様は……」

「俺は心当たりを探しに行く」

 しかし、人使いの荒いこと。なんだかいいように使われていると思いながらも、柚に断るすべはない。

 家人は口をそろえて心当たりがないと言ったが、奉公人たちの聞き込みでわかったことは……

「そりゃあ権助さんは荒っぽいところがありますけど」

他所よそで喧嘩なんかしょっちゅうですし」

「神社にいたずらでもしちゃたんですかねぇ。小さい頃は、人様の家の塀に落書きをして、こっぴどく怒られていましたっけ」

「お地蔵様に小便でもかけたんじゃ……」

 神に悪さをした心当たりはないが、悪さをするような心当たりは無きにしもあらず、といったことだった。大店の次男でのびのびと育った所為せいか、父親の言う通り、浮ついたところはあるようだ。

 心当たりはあっても原因はわからない。大した収穫もなしに春太郎の元に戻ろうとするも、どこにも彼の姿は見えない。蔵にも、権助の部屋にもいなかった。

「うちの主はどこだ……」

 そういえば、春太郎は心当たりがあると言っていた。家人や奉公人でさえなかった心当たりとは、一体なんであろうか。

 権助の部屋でうろうろとしていると、いきなりぐいとそでを引っ張られた。

 振り返れば、十にはなっていないであろう幼い少女がいた。

「えっと……」

 愛くるしい顔をした少女は、柚からすれば高そうな着物を着ていて、育ちのよさそうな面影おもかげと見えた。

「おもん」

「おもんちゃんは、この家の子?」

「うん」

「私ね、柚っていうの」

「柚おねぇちゃん」

 気持ちよくなる響きに酔いそうになるが、いまは権助を助けることが先決だ。

「おじちゃん、どこ?」

「おじちゃん……もしかして、権助さんのこと?」

「うん」

 ということは、おもんは権助の兄の子だ。

「お病気になったって……」

「いまは別のところでゆっくり休んでいるの。あ、そうだ。おじさんが神様に悪いことをしたとかって、聞いてない?」

「知らない……」

 やはりだめかと思ったが……

「おおじいは、神様にお饅頭まんじゅうをあげていたよ」

「……亡くなった大きいおじいちゃんのこと?」

「うん」

「どこの神様?」

「うちにいるよ!」

 おもんに勢いよく引っ張られて連れられたのは、家屋に対して庭や蔵がある方ではなく、反対側の薄暗い場所であった。

 人一人が通れるくらいの幅で、表の庭のようには整備されておらず、庭としての機能もない。なぜこんな隙間を作ったのか。

(神様に通じる道……)

 こんなどころに、神様が……半信半疑の柚がまず見たのは、春太郎の姿だった。

「お守りをしろと言った覚えはないが」

「違いますよ!ちゃんと調べているんですから」

 揶揄からかっているだけなのか、いや、春太郎はそんな人ではないだろう。まったく、武士というものは皆このように横柄でいらっしゃるのか……

「この子が神様について知っているらしいんです。もしかしたら、それが原因なんじゃないかって」

「神様はあれだよ」

 おもんは、ちょうど春太郎のいる場所、正確にはほこらのようなものを指し示した。

「まさか、心当たりって、もう知ってたんですか?」

「伊達に特殊なことを調べているわけではない。万国屋のように立派な屋敷には、たいてい家神を置いているものだ」

「家神って……」

「ありていに言えば、屋敷の守護神のようなものだ」

 神は祀られなければ、人に害をなす。つまりと、柚はひらめくものがあった。

「おもんちゃん、この神様におおじいがお饅頭をあげてたんだよね。他にお饅頭をあげる人はいるの?」

「いないよ。神様にあげたお饅頭は食べちゃだめなんだって。それでね、おおじいはお饅頭をあげたあとに、ぱんって手をたたくの」

 その真似をしているのだろうおもんは、大きい音で何度も手をたたいてみせた。

「なるほど……先代は家神をきちんと祀っていたが、亡くなったあとは忘れ去られた存在になってしまったというわけか。ましてや子どもが、饅頭を備えたりしようとは思わない」

 つまり、もう一度、きちんと祀ることを忘れなければ、神が害をなすことはなくなる。

「でも、権助さんは助かるんでしょうか……」

「まだ先代が亡くなってから……家神が祀られなくなってからは日が浅い。急ぐに越したことはないが、今日からでも祀れば助かるはずだ」

 柚はほっと、息を吐いた。

 ときどき横柄だけれど、そして怪異を楽しんでいるようなところはあるけれど、春太郎が自負しているように、彼が助かると言えば助かるのだと納得できた。

「権助さん、すぐに元気になるって」

 おもんのにこやかな笑顔にほのぼのするのはつかの間で……

「何をしている。早く人主人たちに、家神を祀るように説明してこい」

「は、はい……!」

 柚にとっては今までにない、新しくて驚かずにいられない出来事だった。

 しかしこれは、柚がこれから体験する怪異の、一つに過ぎない。

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