4. ご教授


「あと何回失敗すれば覚えられるんだい?」

「そんなの俺が聞きたいです……」


 地面に溶けるようにして転がったレジは、疲れ切った声で答えた。

 現在、二人はチェルカトーレの仕事場である執務室に戻って来ている。チェルカトーレは執務室の真ん中に置かれた大きな椅子に腰掛け、レジは部屋の隅っこで壁にもたれかかって休んでいた。

 チェルカトーレはそんなレジの様子を一通り眺めてから、言葉を発する。


「君は案外頭が固いなぁ。もうちょっと柔軟な思考をしてみてもいいんじゃないか? もっとこう……あるだろう? こう、ね?」

「なんか曖昧ですね」

「だって僕もよく分かってないし」

「えぇ……」

「仕方ないだろう! 僕は今まで独学でやってきたし、そもそも感覚派だから他人に教えることが得意じゃないんだ!」

「なのに師匠とか先生とかほざいてんですか!?」

「ええい黙れ!」


 チェルカトーレは苛立った様子で立ち上がると、レジの元へ歩み寄っていった。そして、彼の目の前でしゃがみ込む。レジはその動作の意味が分からず、首を傾げた。すると、チェルカトーレは彼の頬を思い切り引っ張る。


「い、いひゃいです」

「ふんっ!」

「い、いふぁい!」

「お仕置きだ!」

「ごめんなはい!」

「よろしい」


 チェルカトーレは満足げに微笑むと、手を離した。解放されたレジは赤く腫れた頬をさすりながら、恨めしげな視線を向ける。しかし、チェルカトーレは全く気にしていないようだった。

 彼はポケットから取り出した飴玉を口に放ると、再び口を開く。


「話を戻そう。僕は人に何かを教えるのは向いていない。でも、それでも、君に教えなければならないことがある。それは、君自身の能力についてだ」

「俺の、ですか?」

「そうさ。君は自分の力を使いこなせていない。星との繋がりは出来ているのに、その力を引っ張ってこれていないんだ。要するに力不足。貧弱。マヌケ」

「最後の悪口必要です!?」

「はいそこでドドン! これを見よ」


 チェルカトーレは机の上に置かれていた小さな箱を手に取ると、レジの方へ差し出してきた。レジは恐る恐るその箱を受け取ると、ゆっくりと蓋を開ける。

 そこには、青白く輝く宝石のようなものが入っていた。チェルカトーレは得意げに笑うと、その石の正体について説明する。


「それは辞書だ。僕の知識の一割が詰まっている」

「一割」

「そうだとも。その辞書は、使用者の知りたいという意思に応じて様々な知識を教えてくれる代物だ。星命術についてもそこに刻み込んである。それを見て特訓を続けるがいい。合格ラインは自力でトレーニングルームの制御が出来るようになることだ。励みたまえ」

「……チェルカトーレさんはもう手伝ってくれないんですか?」

「僕にも仕事があるんだよ!!」


 チェルカトーレの怒鳴り声を聞いて、レジは思わず肩を震わせた。そんな彼を尻目に、チェルカトーレは再び椅子に座り直す。

 それから、小さく溜息をつくと、ぽつりと呟いた。


「一人じゃしんどい仕事なんだよ」


 そんな彼の姿を見て、レジは静かに手元の宝石に目線を向けた。それからゆっくり立ち上がって、チェルカトーレを見ながら言う。


「出来るだけ早く習得して、ある程度のお手伝いを出来るようになります。貴方が言っていたような、選民思想みたいな事はやりたくないんですけど……ちょっとした事なら、まぁ、一応恩人ですし……」


 レジの言葉を聞いたチェルカトーレは、一瞬きょとんとした表情を浮かべた後、くつくつと笑い始めた。

 その様子があまりにも不気味だったので、レジは一歩後ずさる。チェルカトーレは笑みを隠すように口元に手を当てて、言葉を紡いだ。


「ククッ、君は本当に……。まぁ心が固まったなら十分だ、早く練習に戻りたまえ」

「えっと、それじゃあ失礼します」


 レジはぺこりと頭を下げると、足早に執務室を出ていった。扉が完全に閉まるまで、その背中を見つめていたチェルカトーレだったが、不意に立ち上がって窓辺に立つと、外に向かって話しかけ始める。

 誰もいないはずの空間に向けて、チェルカトーレの声が響き渡った。


「盗み聞きとは趣味が悪いな。いるんだろう? 入ってこいよ」

「あらら〜! バレちゃってたの〜?」


 チェルカトーレがそう言った直後、執務室の床の一部が開いて、そこから一人の女性が姿を現した。

 赤色の髪を持つ彼女は、ニコニコと楽しげな笑顔を向けながら、チェルカトーレの隣に並ぶ。


「も〜! そういうのは気づいてないふりして欲しいんだけどなぁ〜。せっかく驚かそうと思ってたのに〜」

「ハンッ、最初から気付いてたよ。君の気配は分かりやすいんだ。それに、わざわざあんなに分かりやすくオーラを出していたらねぇ……」

「やだなぁ、わざとじゃないのにぃ。チェルちゃんってば酷いわ〜」

「それで? 何の用だい? まさか僕の様子を見に来たわけでもあるまい」

「んふふっ、実はそうなの〜。最近会えてなかったから寂しくなっちゃって〜」

「嘘つけ」

「ほんとよぉ? だって、二ヶ月以上も連絡くれないんだも〜ん」

「ふんっ、僕は君と違って忙しいんだよ」


 チェルカトーレが吐き捨てるように言い放つと、女はケラケラと笑った。そして、思い出したかのように手を叩き、彼に問いかける。


「ところで〜、あの男の子。誰?」

「僕の新作さ。たまたま拾った死体を再活用して作ったんだよ」

「へぇ、可愛い顔してるね〜」

「そうか?」

「うん。私、ああいうタイプ好きだなぁ。今度食べちゃおっかな〜」

「……あまりふざけたこと言わないでくれよ」

「分かってるよ〜。チェルちゃん、自分の作品に手を出されるのが一番嫌いだもんね〜」


 女性の返答を聞くと、チェルカトーレは小さく鼻を鳴らした。そして、窓の外に広がる星空に目を向ける。


「芸術家なら皆そうだろう。自分の作品は、自分の子供と同じだ」

「そうだよね〜。私達、愛が深いから!」

「君と一緒にはされたくないな」


 チェルカトーレは呆れた様子でそう答えると、女の方を見た。彼女は相変わらず楽しげな笑みを浮かべている。


「ねぇねぇ、あの男の子の名前って何〜?」

「レジストラストーレだよ」

「じゃあレジちゃんか〜。ちょっかい出して来よっ〜と!」

「特訓の邪魔だけはするなよ!」


 チェルカトーレがそう叫ぶと、女性は彼の方を振り向いて微笑む。それから、くるりとその場で一回転した後、姿を消した。






「『星命術とは星に宿る命を糧に、エネルギーを生み出す技術である。創造、破壊、生命、死……全ての事象はこの術によって生み出されている』か……。どうしよう、全く分からない……」


 トレーニングルームの中、レジは一人頭を悩ませていた。彼は手に持っていた宝石を床の上に置く。

 チェルカトーレに貰った辞書には、星命術について詳しく記されていた。しかし、その全てが難解なものばかりで、レジの理解力では追いつかないものばかりだったのだ。

 何度か目を通した後、実際に試してはみたものの、結果は失敗。何度も宇宙空間に飲まれそうになり、その度に命からがら術力を閉じるのだ。

 レジは小さく溜息をつくと、その場に寝転ぶ。天井を見上げながら、ぼんやりと呟いた。


「……俺、才能無いのかな」


 レジは自嘲気味に笑うと、目を閉じた。


「本当、なんで俺が選ばれたんだろ……」

「それは〜、レジちゃんが選ばれるに値するだけの魅力を持ってたからで〜す」

「おわっ!?」


 突然聞こえてきた声に、レジは飛び起きた。見ると、いつの間にか彼の目の前に一人の女性が立っている。

 燃えるような赤い髪をした彼女は、ニコニコと楽しげな笑顔を浮かべながら、レジを見つめていた。


「えっ、だっ、誰ですか!?」

「私は〜、パラッシータちゃんで〜す! チェルちゃんのズッ友だよ〜」

「チェルちゃんって……チェスカトーレさんのこと……?」


 レジが恐る恐る尋ねると、女性は元気よく首を縦に振った。それから、レジの手を取って言う。

 彼女の行動に、レジは思わず顔を赤らめた。そんな彼を見て、女性はクスリと笑いをこぼすと、元気そうにレジに語りかける。


「星命術で詰みかけてるんだって〜? 大変だねぇ、チェルちゃんは教えるのヘッタクソでしょ〜?」

「うーん、それもあるのかもしれないんですけど……。俺の物分りが悪いってのも、問題なんじゃないかと思ってて……」

「謙虚〜! ちょ〜可愛い〜!」

「ちょわっ!?」


 女性がいきなり抱きついて来たので、レジは変な悲鳴を上げた。そのまま押し倒されるような形で床に倒れる二人だったが、彼女は気にせずレジに頬擦りする。

 レジは恥ずかしそうに身体を捩ると、彼女を必死に引き剥がそうとした。しかし、彼女はなかなか離れようとしない。それどころか、ますます強く抱きしめてくる。


「あぁん、もう離したくない〜! 私のものにしちゃいた〜い!」

「ちょっと! 落ち着いてください! っていうか貴方、女性でしょう!? こんなことしたら駄目ですって!」

「私はぁ、変幻植物エリスプラントだからい〜の! 女の子だけどぉ、性別なんてあってないようなものだし〜」

「そういう事じゃなくてですね!?」


 レジがそう叫んだ瞬間、女性の体が光に包まれ始めた。すると、みるみると女性の体は縮んでいき、最終的に小さな少女の姿になっていく。


「レジちゃんはDTっぽいからぁ、刺激が強かったかな〜? でも流石に自分より小さい子なら大丈夫でしょ〜?」

「どどどどDTちゃうわ!」

「や〜ん可愛い〜!」


 パラッシータはそう言って、再びレジに抱きついた。今度は優しく包み込むように彼を抱きしめる。やがて数秒後、満足したのかゆっくりと体を離していった。


「ふぅ〜。レジちゃん補給完了〜! これでしばらく頑張れそう〜」

「そ、そうですか……」

「あっ、そうだ〜! せっかくだし、私も手伝ってあげるよ〜。私ってば、結構頭いいから〜。きっとレジちゃんの力になれると思うよ〜」

「ほ、本当に良いんですか……?」

「もちろん〜!」

「ありがとうございます!」


 レジが嬉しそうに礼を言うと、彼女はニコッと笑みを浮かべた。そして、レジの隣に座り込むと、宝石に手を伸ばした。


「これが教材? えー、分かりにく〜い」

「分かりにくいんですか?」

「説明下手の作った教科書って感じ〜。個人的な感想しか書いてないから、そりゃ他の人が見ても理解出来るわけないわぁ〜」

「す、凄い批判……」


 レジが苦笑しながらそう呟いた。パラッシータは、そんなレジの言葉を聞き流し、宝石を床に戻して言う。


「い〜い、レジちゃん。私たち選人エレートは皆違う術を極めし者なのぉ。私の場合は寄生植術で〜、チェルちゃんだと星命術ね〜。それでレジちゃんはぁ、チェルちゃんとおんなじ星命術を習得しようとしてるんだけど〜」


 パラッシータはそこで言葉を切ると、レジの方を向いて言った。彼女の顔には、先程までとは打って変わって真剣な表情が浮かんでいる。

 レジはゴクリと唾を飲み込んだ。それから、緊張した様子で彼女の話を聞く。


「正直な話〜、術の感覚って人によって全くの別物なのよね〜。使う術は一緒でも〜、それをどう使うかとかぁ、どういう感覚なのかとかぁ、一緒になる事ってほぼないの〜。だからぁ、レジちゃんはチェルちゃんの説明を聞いても〜、理解出来るわけないのよね〜」

「……え、でもそれじゃあ俺、完全に詰んでません?」

「大丈夫よ〜。レジちゃんはレジちゃんだけの感覚を掴めば良いだけだから〜!」

「それが無理なんですよ!」


 レジが叫ぶと、パラッシシタは困ったような顔をして首を傾げた。少しの間、考え込んでから口を開く。

 レジはその様子を黙って見つめていた。パラッシータの顔を見ると、なんだか申し訳なくなってくる。レジは無言で視線を逸らすと、小さく溜息をついた。

 するとパラッシータが何か閃いたらしく、ポンと手を打った。それから、レジに向かって言う。


「レジちゃんにとって〜、宇宙ってなぁに?」

「え、宇宙ですか? うーん、空の先にあるもの……」

「そういうのじゃなくって〜、もっと抽象的っていうかぁ? そういう感じのやつ〜」

「ええ、何だろ……」


 宇宙。広大で、終わりがなくて、遠い世界。レジは考える。自分が思う宇宙についてのイメージを、懸命に考えた。

 それから、彼は自信なさげな声で答えた。その声はとても小さかったけれど、不思議とよく響く。


「自分の中の一つ、みたいな……」

「へぇ〜! 面白いじゃ〜ん、もっと詳しく教えて? どうしてそう思ったのかとかぁ」

「えっと、上手く言えないんですけど……宇宙は、俺の生きている場所っていうか……。俺が生きていく上で必要なものなんです」

「うんうん」

「だから、俺にとっては大事なもので……。俺が生きる為には絶対に必要で……。それがあるから俺は生きていけて……」


 そこまで言ってから、レジは頭を捻った。


「うん、あれ? 何か自分でも訳分からなくなってきた……。えーと、宇宙って、俺からすれば広い広い世界の括りのうちの一つなんです。宇宙は空間っていうか、どっちかって言えば世界の一部っていうか。自分の平行線上に続いていくものって言うか……とにかく、そういう意味です!」

「きゃはは〜! レジちゃん、チェルちゃん並に説明ド下手くそ〜!」

「うぐッッ」


 パラッシータにそう言われて、レジは思わず胸を押さえた。彼女から目を逸らしつつ、ボソボソとした口調で言い訳を呟いた。

 そんな彼の様子を見て、パラッシータはクスリと笑みを浮かべた。それから、宝石を手に取って言う。


「でもぉ、その考えを大事にねえ。君とこの星空を繋ぐためには〜、自分の中で考えがハッキリしてないと駄目なの〜。チェルちゃんは宇宙を『自分と他を繋ぐもの』として捉えてるみたいだけど〜、レジちゃんは『自分の一部』だって思ってるんでしょ? 全然別物、そりゃ成功しないのも当然〜! だからぁ、これからは自分の考えを大事にすること〜!」


 彼女は宝石をポケットにしまうと、レジの手を取った。それから、満面の笑みを浮かべる。

 レジが呆然としていると、彼女はレジの腕を抱きかかえて言った。彼女の腕が、彼の身体に柔らかく触れる。それは、とても心地の良い感触だった。

 レジが思わず頬を赤らめると、彼女は悪戯っぽい笑みを浮かべる。そして、レジの耳元に口を近づけると、囁くように言った。


「練習、頑張ってね」


 レジが何も言えずにいるうちに、彼女は立ち上がった。そのまま扉の方へと歩いて行く。

 レジは慌てて立ち上がった。ありがとうございます、という感謝の言葉が口から出かかる。しかし、その言葉が出ることはなかった。彼女が振り返って、人差し指を口に当ててウインクをしたからだ。


「もっと星命術が上達してからぁ、お礼は言いに来てね〜! バイバ〜イ」


 パラッシータはそう言うと、部屋から出て行った。残されたレジは、しばらくの間、放心状態になっていた。

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