悪魔が来りて喇叭吹く

イエスは、また別のたとえを彼らに示して言われた。

「天の御国は、こういう人にたとえることができます。ある人が自分の畑に良い種を蒔いた。ところが、人々の眠っている間に、彼の敵が来て麦の中に毒麦を蒔いて行った。麦が芽生え、やがて実ったとき、毒麦も現われた。それで、その家の主人のしもべたちが来て言った。

『ご主人。畑には良い麦を蒔かれたのではありませんか。どうして毒麦が出たのでしょう。』

主人は言った。

『敵のやったことです。』すると、しもべたちは言った。

『では、私たちが行ってそれを抜き集めましょうか。』

だが、主人は言った。

『いやいや。毒麦を抜き集めるうちに、麦もいっしょに抜き取るかもしれない。だから、収穫まで、両方とも育つままにしておきなさい。


―――マタイ13章より。



 凍てつくような罪の氷から抜け出した、1匹の蝿。漸く彼が自由になった時は、既に彼が愛した妻も国も無く、何だったら土地すらなくなっていましたし、地球も宇宙もなくなっていました。

 世界は滅んでしまっていたからです。

 なら仕方ない、と、蝿は元いた罪の氷に戻り、ぱりぽりぱりぽり、氷をかじってはけずり、かじってはけずり、寒く凍てつきそうな心臓に血を送る為に、羽根をぶんぶん鳴らしました。

 蝿には、この氷を喰いつくし、この滅んだ世界で尚残る全ての獄を噛み砕かなければならなかったからです。

 そこへ、1人の青年がやってきました。


魔王アッシャイターンよ、魔王アッシャイターン。そこに、お前の求めるものはいない。こっちに来なさい。会わせてあげよう。」


 すると魔王アッシャイターンは答えました。


「黙れ、アラーの犬め。お前なんぞに、我の何が分かる。」

「いいや、わからない。なぜならボクが、あなたをその姿にした訳ではないから。」

「去れ。我は忙しい。」

「そうか、わかった。ではあなたをその姿にした者を連れてこよう。」


 そう言って、青年は去りました。

 しばらくして、1人の青年がやってきました。


悪魔ベルゼブブよ、悪魔ベルゼブブ。そこに、お前の求めるものはいない。こっちに来なさい。会わせてあげよう。」


 すると、悪魔ベルゼブブは答えました。


「黙れ、ヤハウェの犬め。お前なんぞに、我の何が分かる。」

「いいや、わからない。なぜならオレが、おまえをその名にした訳ではないから。」

「去れ。我は忙しい。」

「そうか、わかった。ではおまえをその名にした者を連れてこよう。」


 そう言って、青年は去りました。

 しばらくして、また1人の青年がやってきました。


蝿の王バアル・ゼブブよ、蝿の王バアル・ゼブブ。そこに、お前の求めるものはいない。こっちに来なさい。会わせてあげよう。」


 すると、蝿の王バアル・ゼブブは、憎しみを顕に振り返り、大きく羽ばたいて、氷にくっついた脚を引きちぎり、巨大になって怒りました。


「あな憎しや!! 負け犬の民、土地持たぬ民、弱き守り神に守られたこともないくせに、我を貶め、我が姿を異形に変えた。貴様の罪は、最早誰も裁かぬが、貴様の民が殺され続けるのを見るのは、総じて愉快であったよ!」


 すると、青年は言いました。


「そうか。それほどまでにお前の魂は荒んでしまったのか。では、お前の姿を知る者を連れてこよう。」

「去れ!弟たちの力を借りなければ、滅んでいた軟弱な守護神に興味は無い!」


 それから暫くの間、蝿は氷を削り続けました。


 するとそこに、何人もの乙女たちがやってきました。


「お止め下さい、お止め下さい。そこに私はいません。」

「ご覧下さい、ご覧下さい。私達は復権しました。」

「おいでください、おいでください。もう燃え盛る怒りを鎮られる氷は、ございません。」


 蝿は苛立って、振り向きました。


「ええい、うるさい!! お前たちは一体何者―――。」


 蝿は、言葉を失いました。

 そこには、足を全て凍死させ、指先を壊死させ、口の中を火傷し、なお氷の中に閉じ込められていると信じていた乙女たちがいたからです。


「…お前は我が妻、アナトか?」

「はい、陛下。」

「ではそちは、アシュタロトか」

「まさに、陛下。」

「アシェラーよ、我はお前はヤハウェの怒りを勝って、もっとも無残に殺されたのかと…。」

「陛下、ヤハウェですとか、アラーですとか、そういうものはどうでも良いのです。ただ、私達はこの言葉を捧げに来たのです。」


 乙女―――女神たちは声を揃えて、彼を称えました。


崇高なる王バアル・ゼブル万歳! 雲に乗ってやってくる方、干ばつを滅ぼす嵐の神よ!」

「今こそ滅ぼされたバビロンをここに、ウガリットをここに!」

「全ての文化宗教は、復権しました。それはヤハウェの力ではありません。世界が滅び、文化私達を評価するものがいなくなったからです。」

崇高なる王バアル・ぜブル万歳!」

「どうぞ、再び玉座に!」


 しかし、崇高なる王バアル・ゼブルは、首を振りました。


「否や、我にはわかる。お前たちは、我が守れなんだ。バビロンは滅び、その後あの犬共は散ったが、その意志を受け継ぐものたちが世界に広がった。彼らとは違う側面で生きようとした我らすらも、多くのオカルティストが悪魔として取り扱った。故に我は、最早神には戻れぬ。」


 妻たちがそれでも、崇高なる王バアル・ゼブルを励ましていると、今度は老人がやってきました。


「やれやれ。では、我が臣下、蝿の王バアル・ゼブブよ。私が行けというなら、行くのかな?」


 そこに居たのは、魔王でした。


「…ルシファー様。」

「これこれ。仮にも悪魔にされた神が、悪魔にされた人間に何を申すか。―――我が名はネブカドネザル二世。光り輝く玉座から転落した暁の輝ける子ルシファーである。本来なら、貴方がかじり尽くした氷の最奥で、罪人をしゃぶっているべきもの。」

「貴様が人間に戻れたのは、人間としての肉体があったからだろう。――我らは文化だ。滅び、絶え、消された文化我らを、信仰するものなどいない。」

「おや、では、を見てくだされ。」


 そう言われて空を見ると、空へ雨が降っていました。自分です。そして空には、手をこちらへ伸ばし、喜んでいる民がいました。とうに亡び尽くされ、物語の片隅の添物スパイスにされるだけの、文化がいました。

 そして、彼らは言っていました。


「やった! やった! 雨だ、それも大嵐だ! 大地が潤う! 去年作物が採れるぞ、子供たちが去年沢山食べられて沢山育つぞ! 崇高なる王バアル・ゼブル万歳!! 王の中の王、万歳!! 我らの日毎の糧を与えたもう我らの神々よ、永遠に!!」


 その時気づきました。さきほどまで自分が立っていた筈の氷は、どんどん解けて、どんどん空へと登って行っているのです。


 いえ、違います。なのです。


「…良いのか、我で。」

「はい、民が求めておられます。」

「参りましょう。。」

「そなた達を悪魔に貶め、そなた達を背徳の邪教徒に貶めた、我で良いのか。」

。もう一度、お聞きください。民の呼んでいる名を。」


 もう涙が溢れて、空に落ちていきます。神は、神々を抱いて、天へ堕ちて行きました。

 それを見て、魔王ネブカドネザル二世も、安心して天に堕ちて行きました。


 そして、世界の終わりの後に、罪によって凍らされている悪魔は、誰ひとり、何一つ、ありませんでした。


 それを見て、文化青年たちは言いました。彼らは人間ではないので、天に昇ることは出来ないのです。

 でも、似たような所にいるので平気です。


「ワタシは正しかったのかな。」

「何が?」


 最後に来た青年が、二番目に来た青年に言いました。


「ワタシは、敗北した。彼らを悪魔にしたのは、お前の一族だ、シーア。」

「そうだよ、シーナ。」

「…とても卑怯な勝ち方ではないだろうか。」

文化信仰の残り方に、卑怯もクソもねえだろ。まあ、アレだ。俺たちが言えるのは、だ。」


 結局、罪人を凍らせていたのは、神ではなく。

 その永久凍土の上にしか住めない、善良無垢な人々だったのです。

 もう永久凍土に住む人々はいないので、皆水と一緒に天に戻ったので、悪魔文化も、解放されました。


よ。毒麦の例えとは、こういうことだったのでしょうか? と。」


 二番目に訪れた青年がポツリというと、二人を抱きしめていた何かは、木漏れ日が動くような表情をしました。



『収穫の時期になったら、私は刈る人たちに、まず、毒麦を集め、焼くために束にしなさい。麦のほうは、集めて私の倉に納めなさい、と言いましょう。』」


 マタイ13章 『天の国についての毒麦の例え』より

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