第三週 隻手音声(せきしゅおんじょう)

 わざわざ悪霊の居るところに行くヤツらの気が知れない、というのが、正直な感想である。それはおそらく、日本人が「食べ物を踏まない」と考えるように、キリスト教じぶんたちは、「悪に近づかない」ということなのだろう。

 ではそのような、日本人でありながら、教会で育った子供はどうか、というと、早い話、行くのである。時々本当に憑かれて、「神父ざま〜!」と、聖水を振りまいてくれ、と来る子もいる。

 その年は、ローマンにとっては、良いビジネスパートナーでもあった九州のある名士について、特集が組まれていた年だった。神にあっては、日々の人々の営みを全て覚えておられるだろうが、神に似て神に非ず、人に似て人に非ぬものであるしんこうにとっては、「今日も誰かが喜ぶ声と、悲しむ声が聞こえる」程度のことである。信仰のあるところ、遍く寿ぎ、慰め、その時は「在れ」と、言われたので、九州にのとある教会にいた。かつてのビジネスパートナーが作った音楽の都は、今日も戦国時代の懐かしい香りがする。

「神父ざま〜!」

「すみません、予約をしていました日向です。娘がどうしてもというので…。」

「―――ああ、いらっしゃい。どうぞ応接間へ。」

 ローマンはぎょっとした。戦国時代から続く信者なかまの家系は多くあるが、誰でも信者であるわけではない。中にはキリスト教に限らず、宗教全般を嫌っているものもいる。

 話によると、肝試しに行った後から、娘が何かに怯えているので、娘が慕っている神父様とやらを頼りたい、という話だった。敵意すら感じる父親の両肩には―――。

 炎に焚かれながら、自分を睨みつけている、青年が座っていた。

 白い服は、日本では死者の色だ。青ざめた炎は、燻った煙のようでもあり、父親の眼光の嫌悪感と、娘の恐怖心は、他ならぬによるものだ。娘や父親がどこからか拾ってきた、というよりも、元々隠れ潜んでいたものが、表に出てきた、という方が正しいだろう。

「ローマンさん、出来ますよね?」

「………。」

「あの、そんなに娘は酷いんですか? ならそう仰ってください。そうしたら娘はちゃんと精神科に行くので。」

「いや―――。医療じゃ、これは治らない。ちょっと待ってください、適役がいますので。」

「それ、紹介料とかかかります?」

「それは大丈夫です。かかったとしても、我々キリスト教が負担します。」

 イライラしている父親と、ガタガタ震えている娘に緑茶を出して、電話をかけた。

「よう、俺だ。…サギじゃねえよ、オレオレ詐欺ってもう言わねえぞ。て、そうじゃなくて…。お前の力が必要な案件が来た。今度奢るから、ちょっと来てくれ。…今すぐだ。いつもよりすんなり来られるはずだぜ、から。」

 そう言って電話を切り、視線の矢を受けながら、ゆっくり振り向く。その途端に、ノックがされた。

「ローマ〜ン、来たよ。」

「ああ、鍵空いてるから入れ。」

「お邪魔しま〜す。」

 そう言って、意気揚々と、若い仏僧が入ってきた。全体的に黄土色の僧服で、きちんと正装をしているが、父親は更に眉をひそめた。仏僧は、文字通りの坊主頭を書きながら、まっすぐに、父親―――の、肩に座っている、僧侶を見つめた。

「すみません、私は心霊現象は信じていないので、娘を病院に連れていく為に、あなた方のお墨付きを頂きたいだけなんです。」

 父親が目に見えて苛苛し始めた。僧侶はまあまあ、と、宥めて、すっと片手を出した。

 父親は何か見えないものに手を差し出しているのが分かっていたようだが、それもわざと怖がらせようとしているようで、腹立たしい。もういい、と、怒りを爆発させようとしたが―――ふっと、今までの腹立たしさが、嘘のように消えた。

 途端に、娘も、震えが止まった。2人の聖職者には、先ほど父親の両肩に座っていた小僧が、僧侶の肩に乗り換えて、穏やかな顔で禅を組んでいるのが見えた。

「これでいいですよ。お嬢さんはちょっと、だけですね。―――お怒りはご最も、我々も、そこな白い蛇には散々苦しめられましたが、それはいつの世も、信仰を持つ者の定め。ただ、そこな南蛮仏教も言う通り、御仏は衆生を救わんと、また幸福であれと教えた。この神父たちも、我々と同じように苦しみ、破壊され、辱められた過去がある。だが、それを組織ではなく個人に向けるのは、間違いです。」

 さあ、と、僧侶に促され、娘は父親にまとわりつき、笑顔になって立ち上がった。心做しか、仏頂面の父親の耳が赤い。玄関を出ようとした時、ふと、父親は僧侶の方を向いた。

「あとでお礼申し上げます。お名前は?」

 すると僧侶は、ぱちくりと目を瞬かせ、ははは、と、笑った後、気前よく答えた。


「我ら弥勒に至らぬ如来、教外別伝きょうげべつでん直指人心じきしにんしん怎麼生そもさん放下着ほうげじゃく修行すぎょうによらず、須弥山しゅみせんよりきたる肉持つ薫香くんこう。―――お礼なんて要りませんよ。お嬢さんもそろそろ年頃。身を守る術を教えるために使ってください。」


 父親は不思議に思いながらも、ぺこんと頭を下げた。


「さてまぁ、こんな所に現れるとはねえ…。何事かと思ったよ、が余程嫌いみたいだ。」

「一応言っとくけど、ドン・フランシスコが寺の焼き討ちをした時は、俺の信者なかまじゃなかったんだぜ」

「ははは、そんなこと拙僧も知ってるさ。権力者に逆らうとろくな事がないし、権力者もろくな奴がいない。」

「まあ、それは古今東西というか、俺たちしんこうの業だよな。」

「そうだね。あ、そうだ。この山伏と使うから、花を幾つか、土ごと貰いたいんだけど。」

「ああ、やつか。ちょうど下で園芸の奉仕者がいるはずだから、俺の名前出して、好きなだけ掘ってけ。」

「うん、有難う! んじゃ、この山伏くんは拙僧がきちんとお浄土に運んでおくから、任せといて。」

「ああ、頼んだよ。」


 その後、その教会には、「花壇の花を取らないで!〜神様にお供えするお花を育てています〜」という看板が立てられたとか。


〜〜〜


 ―――伝え言う、この時二人の山伏高声に呼ばわり、大友宗麟七代までの怨霊とならんと罵りて、腹かき切って猛火の中に飛び入ったということだ。死に臨んでもなお自己の罪悪を反省せず、却って領主を呪詛するが如き、悪僧の怨霊何ほどのことかあらんだ。

 山本秀煌 著『日本基督教史. 上巻』より

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