第31話 悪役と絶剣

 狂気の魂魄移転装置『ブレインクラウド』。

 その本体たるシュナイダー卿の魂は死ねば次の脳髄に移転するように作られている。

 あの時。

 銛が天から飛来してきたあの時。

 彼は憎悪に塗れ、一か八かのチャンスにかけた。

 何かあった時の為に作ってあったバックアップ。

 彼女はシュナイダー卿の妾の娘を素体にして、密かに上流階級のとある屋敷の敷地内に仕舞い込んであった。

 魂の転移の距離は遠ければ遠いほど失敗する。

 彼女が納められた家はシュナイダー卿の家からそこそこ離れていたので、成功するかは五分五分だった。

 だがあまりにも悔しかったのだろうか。

 彼が感じた憎悪は焼かれた時よりも大きく、それが故に彼は賭けに勝ったのだった。

 しばらく屋敷に身を潜め、すぐには脱出せずに機会を待った。

 街が混乱して内戦一歩前まで来れば、誰が街を出ようが咎められない。

 そうして街がかつての都市間戦争の末期になるまで待ち、彼は行動に出た。

 同じく側に納めてあったナイトシリーズを起動させ、従者に変装させる。

 辻馬車を呼んで大通りを東から悠々と横切り、南西の工業地区に向かわせる。

 そこは大通りを挟んで聖堂から真反対、倉庫や運輸ギルドの建屋が立ち並んでいる殺風景な場所だ。

 ここだけ城門が何個もあり、そのほとんどが運輸ギルドによって委託管理されている。あまりにも往来が多いので開けっぱなしの城門もあった。

 当然、シュナイダー卿の息のかかった場所もある。

 輸送街道からわざわざ離れた、ポツンとある中門がそうだ。

 周囲は全てシュナイダー卿の二次、三次団体が購入した空き倉庫に囲まれていて外からは見えない。


「脱出口を用意しておいてよかった。ここは息子も知らない場所だ」


 馬車がとまり、ナイトシリーズと共に降りる。

 御者に口止め料を払う……その真似をして手刀で首を刎ねた。

 御者の死体を放り、運転台に飛び乗って馬の手綱を掴む。

 あとは脱出するだけ。

 シュナイダー卿が指示をすると、ナイトシリーズは懐から魔石を取り出して門の前に掲げる。

 城壁の門の鍵はほとんどがこれだ。

 魔石により仕掛けが動き始めると、ズズズ、と門が開き始めた。


「戻ってこいナイトシリーズ。これからと合流する――」


 門が開き始め、外の光が差し込み始めたその時だった。

 

 ずるり、と。

 鉄仮面の体がズレた。

 

 何が起こったのかシュナイダー卿にはわからなかった。

 本当に唐突に、ナイトシリーズが壊れた。

 右肩から左の脇まで綺麗な切り口で胴が斬られた。

 ナイトシリーズの上半身が崩れると下半身は遅れて膝立ちになり、そのまま倒れる。不快な血の匂いが辺りに充満した。


「……え?」





「おや、おや、おや。こんな所にレディが一人。カフェもパン屋も魔石店も無い場所で、一体何をお待ちかな?」





 コツコツと歩いてくる男に、シュナイダー卿は悲鳴をあげそうになった。

 頭の先からつま先まで胡散臭い紳士。

 彼が掴む派手な杖の中には片刃の刀剣が収められている。

 年齢は五十を超えたか超えないか。

 ゾッとするような殺気は、対峙するものの呼吸を忘れさせる。

 その後にやってくるのは、まるで巨人に体を鷲掴みにされたような恐怖だった。

 シュナイダー卿の前に立つ者の名はジェリー・ワンドリッチ。

 ワンドリッチ商会が筆頭、生きる伝説と名高いアサシンである。


「だ、誰!?」

「吾輩だよ。ジェリーだよ」

「ぞ、存じ上げませんわね。私、待ち合わせがあるので……」

「ふむ。あの時からは変わっていないな君は。とにかく往生際が悪い。まあ妾を作るくらいには肝が据わったか。なあエイブス。エイブス・シュナイダー?」


 ジェリーがそういうとシュナイダー卿は演技をやめ、侮蔑に似た視線を彼に向ける。


「……どうして解った」

「どうしても何も。君の資産関係は全て調べたさ。そして息子の報告にあった『ブレインクラウド』なる術式だか装置だかだがね、君の事だから必ず別のところに予備を作っていると思ったのさ」

「ほう」

「街が混迷極まる時期に動き出すと予想して、城郭警察も知らない君の関係全てに監視をつけた」

「……」

「そんな顔をしないでくれたまえ。アサシン商会にはそういう事を専門ににする二次団体があるのだよ。そも、空き家と思っていた場所から巨漢と女が出てきたのだ。怪しいと思わない方が変だ。それにその手で御者を殺したやり方も、ラムダの報告と同じだ。ともすれば、君はエイブス・シュナイダー。間違いないだろう?」


 お見通しだ、友よ。

 そんな風にジェリーはウインクをする。

 だがその目には確かに殺意が宿っている。


「ここを覚えているだろう。吾輩とした場所だ。誰にも見られないからといろんなことをした。覚えていないとは言わせないぞ」

「相も変わらず憎たらしいヤツだ。その全てを見通したかのような目と憎たらしい口調。息子が真似をしていたぞ」

「そうだろうとも。ラムダは自慢の息子だ。血が繋がらずとも愛で結ばれている。吾輩たちは家族だからね」

「……退け、ジェリー。貴様とて容赦しないぞ。この体、アサシンの一人や二人倒すのは容易い」


 ドゥ、とシュナイダー卿の背から青白い魔力の奔流が現れた。

 魔美女の体を使っているからだろうか、その様は本物の魔女のようにも見える。


「君こそ覚悟したまえ。君のおかげでアサシン商会の重鎮を二人も斬ってしまった。女王陛下の依頼で王宮も血で汚してしまった」

「貴様が内通者を」

「吾輩に身動きを取れなくさせたのは天晴れだ。しかし息子を人質には頂けない」

「……」

「予想通りだったよ。ここまでした君が、ただただアサシンの誰かを籠絡して商会や吾輩を縛っているだけのはずがない。吾輩が溺愛しているのを知ってそう仕向けていたのだろう?」


 シュナイダー卿がアサシンを使うにあたり最大の懸念事項は彼が出てくることにあった。

 解放戦線があたりを嗅ぎ回り始め、事態が明るみに出たならば必ず彼が出てくる。ならば先に解放戦線を殺し、同時にアサシン商会はもとよりジェリーを縛るにはラムダしかいなかった。

 シュナイダー卿は密かにジェリーのことを調べ、異世界転生した息子を迎え入れたことを知る。彼の性格から溺愛するのを見越したからこその、無言の脅迫を仕掛けた。それだけだ。

 ジェリーはラムダの報告を受けて初めてシュナイダーの脅迫に気づいた。

 この段階で商会に契約違反に伴う誅罰の上申をしたならば、その時点でラムダの命が危うい。

 普通ならここで身動きが取れなくなるのだが、ジェリーは違った。


「君は甘い。脅迫で吾輩を縛れるなどとは。ラムダが連絡を入れた後、すぐ疑わしい連中を探り、斬ったんだ」

「!!」

「商会の連中は何が何だかという顔をしていたが言ってやったよ。証拠はラムダが持ってくるとね。信じていた。そして、そうなった」

「お前は……アサシン商会全員を敵に回すつもりで! たかだか二年前に拾った子供を信じたというのか!」

「時間は関係ない。ラムダは自慢の息子だ。ダメなら商会を全員斬って、君を斬るつもりだった。どのみち吾輩を巻き込んだ時点で君の死は確定していたさ」


 恐ろしいことを平気で言うジェリー。

 それほどまでにラムダを信じきっていたということだ。


「なあエイブス。ラムダもヒルド嬢も言っただろうが、子供をダシにするのはよくない。よくないなぁ」


 ズズズ、とジェリーの体ににじみ出るのは真っ黒なオーラのようなもの。

 伝説のアサシンともなると、殺気を魔力に滲ませて可視化させることもできるようだ。

 二人の怪物が対峙して――


「ジェリー!」

「エイブス!」


 ダッ、と。

 シュナイダー卿が踏み込む。

 背中には様々な犠牲者の皮膚が埋め込まれているのだろう。

 それを触媒にして身体強化の魔法を強引に行使することで、彼は超常的な力を得る事ができる。

 指揮官型、あるいは局地戦闘用のレギオン。

 名をオーバーロードと名付けた魂の器。

 素手で人の首を飛ばす程の力が、今、ジェリーへと向かっていく。

 しかしジェリーはそんな最中でも、冷や汗一つかかずにじっとシュナイダー卿を見ていた。

 やがて衝突する、と思えたその時。


 バォッ!


 ジェリーが仕込み刀の鯉口を切って刀身を僅かに晒し、一拍置いた瞬間。突風のようにして、周囲の魔力が一気に刀身に吸い込まれていく。


 カッ!

 キン!


 神速の剣が放たれ、もう納刀されていた。

 その速度は人間の目では捉えられないもの。剣閃どころか納刀すらも見せない居合術だ。

 斬撃と共に飛んで行ったのは、かまいたちに似た魔力の刃。

 三日月状の不可視の刃が、飛び掛かるシュナイダー卿を通過していく。

 そこで勝負がついた。

 尚走るシュナイダー卿だが、三歩目で上半身と下半身が分かれた。

 宙を舞う上半身。

 そして四歩目で膝から崩れ、倒れる下半身。

 彼は何が起こったのか理解できないという顔で固まったまま地面に墜落。立ちあがろうとするも足はなく、ドバドバと流れ出る血が石畳を朱に染めていく。

 


「がっ……何が……」

「吾輩の剣の事を忘れたかね。空気に触れた瞬間、周囲の魔力を取り込み続ける海龍の背骨。それを加工して作ったのがこの剣だ」

「……思い出した。刀身を晒せば晒すほど魔力を孕み、早く納めなければ暴発の恐れがある……魔剣フォルネウス」

「その通り」

「貴様のそのふざけた性格と納めたままの剣術には相性がいい、だったな」

「吾輩の剣は不可視。だから『無刀のジェリー』と君が名付けてくれただろう」

「そうだったか……はは、そんな事も忘れていた」


 コツコツと石畳を歩く音。

 やがてジェリーは半分になったシュナイダー卿の側に座ると、愛刀を傍に置いた。

 シュナイダー卿は仰臥したまま。反撃しようとも、足掻こうともしていなかった。ただどくどくと血が流れ、臓物が外に出ていく。


「なあジェリー」

「何だね」

「貴様は何故そんなに強いのだ」

「強いからさ」

「ハッ。変わらん。年下のくせにその傲岸不遜な態度は少しも変わらん。私は変わってしまった。変わり果ててしまった」

「弱いくせに大きな力を求めるからそうなるのだ」


 ぴしゃりと、そうジェリーが言った。


「君は君の使命を全うするべきだった。武器を作る。確かに争いの引き金にはなるのだろう。だが無辜の民を理不尽なる暴力から守るのもまた力なのだ」

「理不尽なる暴力か」

「エイブス。君が一番最初に設計した銃はロングセラーだそうだな。弱者の守るいいリボルバー銃だ。それなのに何故だ。何が君をここまで変えた」

「お前の言う通りだよ。理想のために過ぎた力に頼ろうとした。最初はホムンクルスを考えた。だがコストが見合わず、あろうことかお前たちアサシンが悉く闇工場を潰した」

「仕事だったからな。女王陛下からの」

「やはりそうか。貴様は陛下のお気に入りだったからな」

「ホムンクルスがダメだからフレッシュゴーレムに手を出して、脳を統合するに至るか。バカだなぁ、君は」

「そうだな。バカだった。本気で平和を作るなどと……」

 

 しばらくの静寂。

 遠くからはデモ隊がかち合う声が聞こえてくる。

 修羅の巷の端っこで、老人は二人ぼっちでいた。


「エイブス」

「……そろそろ眠くなってきた。もう地獄に行かせてくれ」

「その前に一つだ」

「?」

「君だけで、かの『ブレインクラウド』を完成させたとは思えん」

「!」

「吾輩の知るところによれば、魂の術は禁忌中の禁忌のはず。第零種魔法の中でもとりわけ厳重に封印されているはずのもの」

「……」

「どこでその術を知った? 錬金術を齧っていたとしてもだ。君はもともと、鉄を愛するブラックスミスなのだぞ?」

「言うと思うかね」

「言うとも。友だからね。悪党の君は斬った」

「……フン。そうだな。この命が尽きるまで伝えようか……」


 ゲホゲホ、と血を吐くシュナイダー卿。

 普通ならもう死んでいるはずだが、彼は死者に乗り移る亡霊のようなものだ。

 妾の子の体内魔力が尽きるまではまだ話せるらしい。

 とはいえ、あと少しの命なのだろうが……。


「私がレギオンのその先の制作に悩んでいた時、接触してきたもの達がいた。唐突だった」

「ほう」

「そいつらは白衣を来ていた。医者が着るようなものだ」

「続けて」

「奴らは言った。私の志を成就するには、この世界の技術だけでは無理だと。そして異世界には、その先の考えがあるという」

「!」

「レギオンを作るにあたり、私も錬金術と魔法学、魔石学を納めた。だが、あいつらの技術は次元が違った。レギオンも棍棒から火器を扱えるほどになった。魂を移動させる術も」

「ラムダと同じ異世界転生者か」

「そうだ……お前が追うべきは……………………」

「エイブス」

「奴らの……………………名は…………『専門家達プロフェッショナルズ』……………………」


 そこで、シュナイダー卿はついに事切れた。

 その顔は悪逆の限りを尽くしたとは思えない、穏やかな顔。

 おそらくは旧友に看取られて、厚かましくも心が救われたのだろうか。

 または友に切られたことで、憎悪を抱くことが無かったのか。

 ジェリーは思う。

 おそらくこの体で打ち止めなのだろうと。

 シュナイダー卿は今ここに死んだのだ。

 大きく嘆息して、愛刀を拾う。

 旧友の亡骸に目もくれず、石畳を歩いていく。


 

「ありがとう。それでは、また地獄で」


 

 匿名の通報が入り城郭警察がたどり着いた時には、既にカラスが死体を啄み、身元がわからないほどになっていたという。

 

 ひゅうひゅうと、城郭から吹き下ろす風が哭いていた。

 

 フェレゼネコ史上稀に見る大罪人は。

 平和を願い、人を踏み外してしまった者は。

 ただただ虚しく、石畳に横たわっていた。



―――――――――λ―――――――――


次回、最終回。


―――――――――λ―――――――――

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る