第30話 悪役と後始末
その後はどうなったか。
一言でいうなら、城郭都市フェレゼネコは内戦一歩手前になった。
全てを終えた俺たちはそのまま城郭警察を呼んだ。事が事がだけに王宮直轄の調査団まで派遣されることになり、シュナイダー卿の周囲は騒然となった。
後日マスコミ達はシュナイダー卿の屋敷を取り囲み、閑静な貴族街が一時はお祭り騒ぎのようになる。
やがて明かされることになる真実に、市民達は怒りを露わにした。
五大貴族の一人、市民の友シュナイダー卿の正体は鬼畜そのもの。
聖女ヒルドに孤児を集めさせ、それを秘密裏に殺傷。挙げ句の果てには分解して血肉を再構成、ホムンクルスに変わる死体で出来た代替兵器を作っていた。
あまつさえ魂の法に触れる大禁呪を使い、お伽噺の魔王のような事を企んでいた。
その所業は自分の家族まで巻き込み、一家は全滅。被害者は三桁を超え、フェレゼネコ犯罪史史上稀に見る、虐殺に近い事件になった。
城郭警察と調査団が秘密の階段を下った時には、そのあまりの邪悪さに吐き気を催すものや精神に異常をきたすものが続出したという。
そこは博物館のように、人間の臓器が綺麗に陳列されていたそうだ。
中でもとりわけ異様だったのが、複雑怪奇な魔方陣が彫られた金属製の祭壇と、そこに並べられていた脳と脊髄が納められていた鋼鉄の箱だった。
しばらくそれがシュナイダー卿の言う『ブレインクラウド』だとは誰もわからなかった。調査団と共に派遣された錬金術師や宮廷魔法学者が徹夜で解析。本当に魂を移動させる術式と解るやその地下室ごと封印指定となる。後日運び出す予定らしいが、それまでは王国騎士団が厳重に警護するらしい。
一時は情報統制をする予定が、口を封じさせるにはあまりにも大きすぎる被害だった。結局マスコミがその惨状の全てを流すと、城郭都市の至るところから悲鳴が上がる。
またしても貴族が俺たちを騙した。
市民は怒り狂った。
投石やデモが各地で相次いだ。
その矛先は次第にヒルドに向かうことになる。
市民の貴族に対するトラウマはいまだ根強く、中には魔女を火炙りにしろという過激な声も相次いだ。
ここで事態はさらに混迷を極める。魔女を殺せと立ち上がった市民に憤ったのが、下流階級と貧民街の人間たちだった。
「お前ら中流階級は声を上げるだけで何もせず、過去にも貴様らの無関心が貴族の横暴を許した過去があるだろう」
「苦しむ俺たちに中流階級は何もしなかったが、俺たちは聖女ヒルドのお陰で明日を生きることができた」
「勝手に言葉で叩くだけで悦にひたり、肝心な時に無関心をきめこむ貴様らの方が悪魔だ。聖女ヒルドは悪を倒したんだぞ」
さらに火に油を注ぐように、ただサンドバックにされ続けていた貴族は下流階級に迎合する。
「私たちは過去の罪を感じ聖女ヒルドに資金提供をしていた。それはもうギリギリな生活になるほどだ」
「まさかシュナイダー卿が悪の権化だったとは知らなかったし、想像もしていなかった。それは貴方達もそうだろう」
「私たちも被害者なのに責められる咎はない。ましてや聖女ヒルドが責められる謂れはない」
どこもかしこもヒルドを旗にして殴り合い、罵り合い、呪いあう。
だがそこでまたしてもタイミングよく出てきたのは王宮。ヒルドは王宮に召喚されると女王陛下に謁見。内容は女王陛下自らが彼女に感謝を述べたというものだった。
それだけでも民は驚いたが、その後女王陛下が民に対して演説を行うことになる。
その要約はこうだ。
『シュナイダー卿の行為は悪そのもの。王宮にも内通者が見つかり、しかるべき処置をした。しかし市民を不安に陥らせ、未来ある子供達が非業の死を遂げたのは我々にも責がある』
『ヒルド・サンダルウッドの行動は正義と法の元に行われたものであり、避難される事は甚だ遺憾である』
『聖教会との協議の結果、近く彼女を正式に聖女と認める方向で話を進めている』
ヒルドは正義。
シュナイダー卿が悪。
神の代弁者たる聖教会も認めた。
鶴の一声とはこの事だろうか。
何が正しく、何が悪いか。
王宮はもとより神がお認めになった。
それをハッキリした途端に、暴動は嘘のように引いていった。
もともと王宮は過去の都市間戦争で上級貴族達に抑圧されていた市民側の被害者という認識があったのも幸いしたのだろう。
非を認めたことは再び市民に膝を折るというように受け止められたようだ。
さらには教会からも認められ、正式に聖女の称号を与えられたことがダメ押しになった。
ヒルドは一月の間に正義の使者から魔女へ、そして聖女へと手のひらを返されまくり、今や信仰の対象になってしまった。
人々は口々に言う。
「ああ、聖女様」
「悪を跳ね除け、この街に正義と慈悲をもたらした聖女様」
「この都市を末長くお見守りください」
放火未遂まであった聖堂は今は献花台が作られ、今度は聖教会本部から正式に派遣された司教が取り仕切ることになった。
女王も直接やってきて祈りを捧げ、貧民街や下級階層の支援を約束すると、王宮の支持はさらに高まることになる。
シュナイダー卿の屋敷については未だに封鎖されたままだ。呪われた場所として周辺地域の地価は一気に暴落して、周囲数ブロックの屋敷が空き家になってしまったという。
ヒルドはというと、女王に謁見して以降、人々の前に姿を現す事は無かった。
噂によれば今回の件で精神に傷を負った彼女は遠くの街で療養しているとも、教会本部のある霊峰の聖堂に籠り、被害にあった子供達のために寝る間を惜しんで祈りを捧げているとも言われている。
一説によれば今回の事件の影の立役者、解放戦線なる亡国の旅団に迎え入れられ、世界の悪に立ち向かう戦乙女になったともある。
いずれにせよ、二度とヒルドは民の前に姿を現す事は無かった。
ただただ聖女の伝説だけが、城郭都市フェレゼネコに虚構の福音を与え続けていた。
人々はこれから、厚かましくもこう言うのだろう。
他の街から来た客人に、誇りをもってこう言うのだろう。
「ここは聖女に護られた都市」
「巨悪を戦乙女が討った聖地」
「聖なるかな白亜の街、伝説が生まれしフェレゼネコ」
――と。
なんと言うか。
クソッタレだ。
やってられない。
手のひら返しもいい加減にしろ。
まあ、もうそんな事はどうでもいい。
今更ヒルドを讃える声が上がろうが心底どうでもいい。
何故なら今、俺はフェレゼネコにいないのだから。
街で聖女だの何だの騒ぐ声はここには聞こえない。
俺はあの事件――俗にいう『聖堂事件』の後に休暇を取った。
というか、取らされた。
ここは城郭都市のはるか北にある、フェレゼネコ領内山麓の高級ホテルの一室。ホテル自体は四階建てで、敷地面積はかなり広い。
部屋は豪華の一言。部屋もただただ広く、キングサイズのベッドはふかふかで天蓋付き。調度品も触っちゃいけないようなレベルの高級品に見えるし、よくわからないが有名っぽい画家の絵画が飾られている。
中庭にはプールまでついていて、屋外にバーカウンターまである。外を見ると山が綺麗で、時々飛龍が空を駆けていた。
ここは知る人ぞ知るリゾート施設だが、実を言うとアサシン商会が運営する療養所でもある。
アサシンは血生臭い日々を過ごすからか、気づかない内に鬱々となり、ついには精神のタガが外れて敵味方が区別のつかない殺人機械になってしまうことがある。
それを唯一癒す方法は、俗世から離れて自然と共に穏やかな日々を過ごすことらしい。
まさか人殺し達の福利厚生が俺の世界水準で充実しているとは。異世界転生もバカにできたものではないなと思う。
ちなみにここは一般にも公開されていて、VIPがお忍びで来ていたりする。
だからだろうか、ここで厳守するべき利用条件は二つある。
一つは武器に触れないこと。
そして、何を見ても外に漏らさない事だ。
「はあ、しょーもないことになってるな、街」
新聞を放ってベッドに寝転ぶ。
ほけーっと天井を眺めていると、視界に割り込んでくる顔があった。
「ラムダ」
「ヒルド」
起き上がって、彼女の頬にキスをする。
そのまま二人で寝転んでほけーっと天井を眺めていた。
俺たちはあれからここにずっとここにいる。
お互い病院服なのかルームウェアなのかわからない服を着て、何もしない日々を送っていた。
ここでの生活がこんなにも穏やかな気持ちになるとは思わなかった。
思えば、二年前に拾われてからずっとがむしゃらに動いていた気がする。
店長に拾われて、アサシンとしての技術を身につけて。姉の仇を討つように悪党の首を落とし続けて、そしてヒルドと出会った。
ヒルドもまた、父を粛清してからそうだった。忙殺され、あんな闘いをした後は抜け殻のようになっていた。
女王との謁見の後、ヒルドは俺の家にいた。店長が匿ったのだ。店長は責任を感じているらしく、ヒルドを人の目から隠し、アサシン商会お抱えの闇回復師による治療をさせていた。
ヒルドはすぐに回復したが、しばらく一緒にいたいと言い出した。店長もニトもヒルドを快く迎えて、俺と彼女の二人の怪我が完治すると本当の家族のような日々が続いた。
ニトなんかは今まで男所帯だったせいか特にヒルドを気に入り、毎日豪勢な料理を振る舞っていた。
店長なんかはいつの間にか空き部屋を掃除し始め、壁紙は何がいいとヒルドに聞く始末。本気で家族に迎えるつもりかよと突っ込みたくなった。
そんなある日、店長が
「バカンスにいっておいで」
と俺たちをいつの間にか呼んだ馬車に押し込めると、
「しばらくゆっくりとしていなさい」
と言って御者に馬車を走らせた。
何が何だかわからないうちにここに到着して、観念して、いまここというわけである。
「こんなにゆっくりしたのは久しぶり」
「そうだね」
「ラムダ。今日はどうするの?」
「何もしない。ヒルドは?」
「髪を切ろうと思うんです」
ヒルドはそう言ってのそりと立ち上がると、テーブルの上にあるスタッフ呼び出し用の魔石に手をかける。
すぐにホテルお抱えの美容師達がやってきて、あれよあれよと言う間に散髪の用意が始まる。そのくらいの人が来ても尚も余裕があるほどに、この部屋は広い。
「どのくらい切るんだ?」
「肩より上くらい。思い切って切ってしまおうかなって」
「勿体無いな。その長い髪、好きなのに」
「あと色も変えます」
「色も?」
「そう。真っ赤にしようかなって」
それじゃ人が変わったようになってしまうじゃないか。
変装でもするつもりかと思ったけど、その真意を何となく察した。
「生まれ変わるつもりかな」
「そう。このまま逃げちゃおうかなと思って」
「いいんじゃないかな。でも女王陛下が泣くかも?」
「その女王陛下が、好きにしなさいってお手紙をくれたわ」
そうなんだ……と言いかけたが、聞き捨てならなかった。
「女王陛下?」
「そう。今朝ね。ラムダが寝てる間に届いたの」
「確かに誰か来てたな。もしかしてココを店長が教えたのかな?」
そうとしか考えられないが、そうなると店長は女王と知り合いということになるけれど……何それ。知らないんだけど。
まあ、店長だからありえるのかもしれない。俺は考えるのをやめた。
「あの時起きてたの?」
「職業病みたいなものだよ……で、何だって」
「お詫びがいっぱい。あと、聖女認定も勝手にごめんなさいだって」
「あれはいい手だと思ったよ。そうしなきゃヒルドも酷いことになってたし、王宮もメンツが立たなかっただろうし」
「解ってる。だからこそ、女王陛下は好きにしなさいですって」
もう伝説になりきったからこそ、逆に行方をくらましても問題ないという事か。
お伽噺でよくあるヤツだ。
勇者様とお姫様はどこか遠くで幸せに暮らしましたとさ。
めでたし、めでたし。
中々太っ腹な処遇だと思う。
普通なら彼女を使って外交をしたり、プロパガンダに使う。
だがそれは彼女にとって酷なことだ。
聖女として罪の十字架を背負い続けなければならないのだから。
彼女はできるだろう。
だが十年、二十年とそれを続けて正気でいられるかはわからない。
それを見越してというのなら流石は民のための女王。そのティアラの重さを知るだけはあるということか。
ヒルドが背負うだろう名の重さを慮ったからこそ、自由にせよ――か。
そんな事が言えるほど人のできている女王陛下様なら、何故シュナイダー卿の暴走を止められなかったのだろうか。
――否。
王宮にも大きな顔をできる五大貴族の一人だったからこそうまく封じられていたのか。伝説のアサシンである店長が騙されていたようにだ。
まあ、今となってはどうでもいいことだけれどね。
「聖堂に戻るなり、元の貴族に戻るなり、解放戦線に行くのも、教会本部に行くのもいいですって」
「それで? 君は何に生まれ変わるんだ?」
「ラムダの家族になる」
「……なんだって?」
「アサシンになるって言ってるの」
思わずベッドから跳ね起きた。
「冗談だよな」
「いいえ」
「君は聖女なんだぞ」
「聖女は一人歩きしてます。あそこで散ったギリガム達も、聖女の為に死した勇者と祀られている。聖女の仕事は終わっています」
「でも」
「ねえラムダ。わたくし、気づいてしまったの」
鏡を見たのかと思った。
ヒルドの笑みはとても黒かった。
恍惚の表情と妖しく輝く目はまさにアサシンそのものだ。
「わたくしは悪を討つ喜びに気づいてしまった。嗚呼、なんてことなの。こんなに興奮するだなんて。はしたないのは解っているの。でもね、もっと討たなければ。もっともっと血の花を咲かさなければ」
「ヒルド」
「ラムダ。貴方のお陰よ」
「はぁ」
「何、そのため息」
「君からは殺意だけを受け取りたかった」
「これからは共有する仲じゃだめ?」
「いいけどさ」
「安心して。ワンドリッチ氏……いえ、お父様には許可を貰ってる」
あのクソ親父!
だからあんなに機嫌が良かったのか。
さてはヒルドを養子に迎えるつもりか。
よくよく考えればニトもソワソワしてたような気がする。
ちくしょう。
また俺だけ知らないパターンか。
「そういうわけだから、ひと思いにやってちょうだい」
ヒルドがそう言うと、美容スタッフは微笑んで髪に櫛を通して、ハサミを入れる。
ハラハラとヒルドの金の髪が落ちていく。
ヒルドの人生と共に、はらはらと。
やがて髪が整った段で、美容スタッフは色とりどりの魔石を盆に乗せて見せる。
その中からヒルドは真っ赤な魔石を選ぶと、美容スタッフは二度本当に良いかを聞いて、ヒルドは二度頷く。
ハラリとヒルドの目から流れたのはどんな感情だろうか。
それはわからないが、考えるのも無粋だと思う。
やがて魔石が輝き始め、ヒルドの髪が真紅に染まる。
血のような赤。
血を浴びたような赤。
血を浴びても、尚も映える赤。
「今、ヒルド・サンダルウッドは死にました」
「そうだね」
「今日からわたくしはバンシー。バンシー・ワンドリッチ」
「
「良いのです。わたくしの剣はずっと哭いている。あの子達の無念を背負いながら、ずっと」
「なら『泣き虫バンシー』だな。泣き止むまで側にいてあげないとな」
微笑む彼女の顔は、憑き物が取れたかのように澄んでいた。
ずっと年上のような印象は聖女の名と共に死んで、年相応の少女のようになった。
ただその目には、仄暗い闇と殺意の炎が揺らめいていた。
人を人と思わぬ外道を許さず、それを誅することに喜びを持つ。
己を法の外に置きながら、ただ只管人のために刃を振るう。
そういえば店長は言っていた。
アサシンとは利他的な人間の極地なのだという。
死の後の地獄を甘んじて受け止め、法で裁けない悪党を誅する。
彼女は聖女と呼ばれるほど利他的な人物だった。
なるほどアサシンとは聖人と紙一重なのか……。
バカな、と首を振った。
こんな事を言っても、ニトが笑うだけだ。
予想していた結末とは違った。
彼女はずっと聖女で、俺はずっとアサシンだと思っていたのに。
人生とはわからないものだ。
……あれ?
もしかして兄妹とか、姉弟とかそういう関係になるのか?
そんな。
結ばれるとかそういうのじゃないの?
いやまあ、そういうの期待したのかと言われればああ、そうだ、期待した。
でもここまで一緒に死線を潜ると、恋人とかそんな言葉では言い表せないような関係になったから、厳密には恋人になりたいというのは少し違う。
確かに結びつきから言えばそう、家族。
でも、だからといってこんな風になるなんて。
「ヒル……いや、バンシー」
「? なぁに?」
「とりあえず、家ではイチャつかないでおこうな。店長が見たらぶっ倒れちまう」
§
時は『聖堂事件』から三週間後。
ちょうどヒルドが女王に謁見して、人の前から消えた時期。そしてワンドリッチ家に隠れ住み、ラムダと共に戦いの傷を癒していた頃。
都市間戦争の再来かと言われるほどに混迷を極めたフェレゼネコ。至る所で衝突が起きる修羅の巷だ。特にヒルドが女王に謁見してから演説までの数日は特に荒れていた。
元凶のシュナイダー卿邸の壁は落書きや投石で酷いことになっていた。
シュナイダー火砲店は相次ぐ非難と暴徒によって経営が不可能な状態になり、シュナイダー卿の息のかかった場所はほぼ全てが経営停止状態になっていた。
そんな中、暴徒の目を掻い潜るようにして走る馬車が一台。中には妙齢の美女が一人と、大男が一人。
大男は顔を鉄仮面で覆っていた。
片腕こそ武器では無いが、馬車の天井にはミスリル合金の盾が隠してある。
「ククク……切り札は二枚か。確かにそうだな」
声こそ女のそれだが、言葉に違和感がある。
それもそのはず、
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