第24話 悪役と決意
叫ぶ彼女の顔は、もう人の顔では無かった。
目をギラギラさせて、一心不乱にナイフを引き寄せようとしている。
やはりダメだった。
少し時間を置いた程度で立ち直れるはずがないのだ。
ニトの言う通りだった。
構わず側にずっといてあげればよかったんだ。
「殺してえええええええええええええ!」
「やめろ!」
思わず彼女の頬を打った。
パチン、と。
叩いた俺の掌の方が痛い。
ヒルドはすぐに止まり、ナイフを落とした。
呆然として、見開いた目を俺に向けている。
その姿はまるで死人のよう。
魂の抜け殻が、俺を見ていた。
やがて自嘲の笑みを浮かべて、今度は俺にしなだれてくる。
「そ、そうだ。ら、ラムダ。わたくしを穢してくれませんか」
「ヒルド何を」
「貴方のおもちゃにしていい。わ、わたくしを陵辱してくれていい。首を絞めても、何でもいい。わたくしを、使って。と、殿方は純潔が好みでしょう? わたくしのを穢して」
ずるずると崩れ落ちて、膝立ちになるヒルド。
俺の股間に顔を持ってくると、慣れない手つきでベルトを緩めようとした。
「いいかんげんにしろ」
彼女の肩を掴み、やめさせる。
俺も膝立ちになると、ヒルドはもう見てられない顔になっていた。
抱き寄せる。
きつく、彼女の頭を胸に押し付けるようにだ。
「ラムダ。わ、わたくしを壊して。お願い。壊してよぉ……」
「心臓の音を聴くんだ。それだけを聞いてくれ。あとは何も考えなくていい」
「わたくしはあの男と同じ。外道の血が流れている。この世界にいてはいけない存在なんだ!」
「ヒルド。お願いだ」
「ああ、ああああ! あああああああああああ!!」
――神様。
何故、彼女がこんな目にあうのですか。
彼女は立派な人間だ。
大好きだった親も正義のために断じて。
その罪を注ぐために子供達に殉じていた。
貴方よりも立派だ。
全てを傍観する貴方より!
「ラムダぁ。お願いぃ。殺してよぉ」
「ヒルド」
名前を呼ぶ事が精一杯だった。
404地区のホスト達に、歯が浮くようなテクニックを学んだところで無駄だった。
俺ができることは、とても少ない。
その現実に打ちひしがれそうだ。
どれだけ時間が経っただろうか。
しくしくとヒルドの泣く声が聞こえて、そこから沈黙が流れた。
手を離すと、ヒルドは何も言わず俯いたままだった。
中途半端に濡れた体をバスタオルで拭く。
柔らかく、そこそこ筋肉質で、でも普通の女性だった。
俺と同じくらいの年代の女性。
何も変わらない。
運命に陵辱された事以外は、何も。
「……ご迷惑をおかけしました」
ヒルドがそういうと、俺からバスタオルを受け取って胸を隠す。
「落ち着いた?」
「自死を傍に置く程度には」
「ヒルド」
「何」
「君は悪くない」
「アレを見てそう言うのですか」
「ああ」
「それでも、わたくしは愚か者です」
つ、と涙が流れる。
自然と手を伸ばして、それを拭う。
ヒルドがその手に触れて、離れないでとばかりに頬に軽く押し付けた。
「スキルが正義だと言っていたから盲目になっていた。あの笑みに騙された。わたくしは、悪党の傀儡だった」
「本当の邪悪っていうのは、ああいうのを言うんだよ。悪魔は怖い顔をしていない。基本的には天使の顔で近づいてくる」
「その言い方。ラムダも経験があるみたいですね」
「見ただろう」
ヒルドに見せた俺の過去があったはずだ。
姉を殺された時、笑顔で迎え入れようとした親戚は俺を性的に狙っていた。
同情を示して、笑顔で近づいて、ずっと俺を犯そうとしていた。
すぐに気づいた俺は家に帰ると言うと、その親戚は罵倒の限りを尽くして去っていった。
悪魔とはそういうもの。
ヒルドが相手にしたそれは、アサシン商会すら欺く大悪魔だ。
「もう一度言うよ。君は悪くない」
「……ラムダ」
「何だい」
「今、わたくしは」
ゆっくりと。
しかし確実に。
ヒルドの顔が怒りに塗れた。
それは、全てを出し切って、カラカラになって、人間性を全て捨てた時に出るもの。
殺意。
純粋な、宝石のような殺意が彼女を覆っている。
ああ、いい。
素敵だ。
それをどうしてくれるのだろうか。
君のそれを、どうしてくれるのだろうか。
こんな事で。
こんなタイミングで興奮するのは間違っている。
人間じゃない。
人の殺意で興奮を覚えるだなんて。
清らかな人ほど、その殺意は蕩けるような色を見せる。
俺は、それに興奮してしまう。
「わたくしは今一度、畜生に堕ちます。許せない。あんな事許せない!」
「そうだね」
「ラムダ。わたくしのお願いを聞いてくれますか」
「ああ」
「シュナイダー卿を殺して」
「いいよ」
「惨たらしく」
「うん」
「これ以上のない憎悪を刻むように」
「うん」
「この世に生まれた事を後悔させるように」
「うん」
「あいつを殺して」
「承りました。お嬢様」
ああ、いい。
君は綺麗だ。
殺意を纏う君はとても綺麗だ。
でも君は聖女だ。
畜生に堕ちてはいけない。
その罪をまるっと引き受けるのがアサシンなんだ。
君が聖女であり、市井が市井でいられるように殺意を代行するのが俺たち。
君たちは引き金を引いた。
君たちは剣を引き抜いた。
そこだけを覚えてくれたなら、罪なんて考えなくていい。
言い切った彼女はもう迷いはなかった。
アサシンに殺意を委ねてもじもじするような少女じゃない。
己の正義に従って剣を抜く戦少女だ。
「報酬はわたくし。そのいきりたったものをぶつけていい。好きに使って」
「バレたか」
「貴方は最低ですね。こんな弱った女を前に興奮するなんて」
「逆だよ。貴方が強いから興奮する」
「そうみたいですね。貴方の魂は今、ギラギラしている」
「スキルでわかるんだね」
「最低」
「そうだね」
「……わたくしも、そうかもしれません」
ヒルドが腕を首に絡めてくる。
俺も彼女の腰に手を当てて、少しだけ引き寄せる。
「――必ず殺して。わたくしの目の前で」
「うん。そうする」
見つめ合う。
少しずつ、顔の距離が近づいてくる。
ああ。
このままだと、体を重ねてしまう。
ダメだ。
わかっているが、ダメだ。
俺はアサシンなのだから。
こんな時に前借りもクソも無いだろうけど。
「前借りはダメ。報酬は仕事のあと」
近づいてくる唇を立てた人差し指で遮る。
「これでも勇気を出しているのですが」
「個人的にここじゃやだ」
だって扉から気配がするんだもの。
多分あの子。
見張の子が鍵穴か何かから覗いているのだろう。
心配になって戻ってきて、ヒルドが叫んでいて、オロオロしているうちに覗いていたという感じか。
別に見られてても構わないが、繋がっている最中に誰かに狙われたらたまったものじゃない。
あの子、見張りとはいえ護衛にならないからね。
ハリウッド映画じゃないんだ。
こういう事は全て終わった後。
俺のためにも、彼女のためにもだ。
そんな事はつゆ知らず、ヒルドは僅かにだが頬を膨らませていた。
やがて赤らめた後、スッと立ち上がる。
ふいっと振り向いて背中を見せたあと、徐に体をタオルで拭き始めた。
「ラムダ」
「?」
「ありがとう」
「うん」
――前金くらいはもらっていいか。
何を言うこともなく、優しく後ろから抱きしめた。
ヒルドはビクリと驚いていたが、次第に体を預けてきて、回した手を握っていた。
それはほんの少しの時間だったけれど、姉さんと一緒にいる以上に心が安らいだ。
§
次の日の朝。
ヒルドはすぐに身支度を整えると、俺と一緒に司令官の爺さんの元へ向かった。
目的は馬車を借りるためだ。
ここから城郭都市フェレゼネコはそこそこ離れている。徒歩で戻るのはキツいだろう。
作戦会議室では朝早くから幹部達が集まって議論を重ねていた。
ヒルドが現れた瞬間驚きの声が上がったが、すぐに皆立ち上がり敬礼をしていた。
その気迫に俺は思わずたじろいてしまったが、腹が決まったヒルドは堂々としていた。
「シュナイダー卿を討ちます。戻るための馬車をお貸しください」
短くも力強い一言。
解放戦線の面々は息を呑んでいた。
「本当に行くのですか」
「ええ。一刻も早くシュナイダー卿を討たねばなりません」
「無茶だ」
「無茶は承知です」
「聖女ヒルド。我々が慎重になる理由は知っているだろう。シュナイダー卿は五大貴族の一人。盲目的に彼を信じる者は多い。つまり、彼を表立って敵に回すと余計な勢力が参戦してくる」
「承知しています。下手をすると都市そのものを敵に回すかもしれない。民を今一度暴動と混乱の中に突き落とすかもしれない。貴方達はそれを恐れて慎重に行動していた」
「解っているなら尚の事です。下手をすると裏から手を回したアサシンがやってくるかもしれない。先ほど別の大隊に緊急連絡をしたばかりだ。兵力を待ってから――」
「アサシンについては心配いらないよ」
というと、ヒルドも司令官の爺さんも驚いたような顔になった。
「ウチの店長が静かな場所を作るって言ってた。つまり、アサシンの横槍はない」
「アサシン。その店長なる者の名は」
「ジェリー・ワンドリッチ」
驚きの声が上がった。こんな所まで店長の名が轟いているとは。
「すると、君はラムダ・ワンドリッチということか」
「そうだよ」
「フェレゼネコに潜入している者から聞いている。かの伝説のアサシンの息子。スキルによって目標の首を確実に落とす小さな処刑人――二つ名は『首斬りラムダ』と」
「その二つ名はあまり気に入ってないけどね」
ううむ、と唸る司令官の爺さん。
流石にシュナイダー卿と店長が旧友というのは知らないか。まあ知っていたとしても、もう殺す気満々な事を伝えればわかってくれるはずだ。
「店長はキレてるよ。アサシンを騙すとは、だって」
「ワンドリッチ氏がか」
「基本的には和をもって事を成す人だけど――仮にアサシン商会がシュナイダー卿と癒着していたら、全員相手にするって」
「君の為ならアサシン全てを敵に回すと」
「伝説通りならできるんじゃないかな。実際に店長は強いよ。ここの兵力ならそうだな……一息で殺される。冗談でも誇張じゃない。事実だ」
だからこそ身動きが取れないような立場にいるし、下手に動いたらアサシン商会が黙っていない。
そういうパワーバランスの一番ウエイトの高いところにいる人なのだ。
ただ、全てを相手にすると言っても店長はアサシン商会を愛している。
俺たちを家族というのなら、あそこの会合は親戚のようなものらしい。
可能な限り、店長は穏便に片付けたいのだろう。
暴れるのが嫌というわけじゃない。
――多分、家族のためだ。
例えばアサシン商会本部がシュナイダー卿に乗っ取られていたとしたら、店長は皆を斬るだろう。
そうして本部が崩壊したら、末端のアサシンは野放しになる。
必然的に店長はそれぞれの商会の仇になり、多くのアサシンに狙われる事になる。俺も、ニトもだ。
そこから起きることは潰し合いだ。多くの血が流れるだろう。
俺たち家族は必然的にバラバラになる。それぞれの安全のためにだ。店長はそれを避けたいのだ。
さらに言えば。
アサシン商会が収拾つかなくなると、シュナイダー卿が色々と有耶無耶にして雲隠れする可能性があるからこそ慎重になっていると思う。
既に鉄仮面が二体戻らない時点で警戒しているかもしれない。彼が小心者なら、今頃慌てて証拠隠滅を測ろうとする。だが規模から言ってそう簡単に全てを消すこともできないはずだ。
逃げるにしても解放戦線にカチあったらおしまいだ。目立たず密かに抜け出す事を考える。そうすると外部の協力者とのわたりをつけるはずだが、これも短時間でできるはずもない。
十分でもないが、時間はある。
やるなら今だ。
「事情は理解した。だが、それでもシュナイダー卿の私兵団と鉄仮面の脅威は拭えない」
「大丈夫です。ラムダがいる。
通る声。迷いのない声。
ざわめいていた作戦会議室が水を打ったように静かになる。
司令官の爺さんはしばらく悩んでいたが、パシン、と膝を打った。
「――しばらくお待ちください。出立の準備をさせましょう」
司令官の爺さんも腹を括ってくれたようだ。
俺たちは作戦会議室を後にして、前哨基地の門扉まで二人で歩いていく。
既に出ていく準備は済ませてある。あとは馬車を待つだけだ。
基地は鉄仮面が侵入してきた場所に近づくにつれて崩壊する建物が多くなっていた。
だがここにいる人々は希望を捨てる事なく設備を直したり、丸太の壁を修理したりしている。
彼らをよく見るとホムンクルスまでいる。ここにいるホムンクルス達は腕が異様に太く、しかし顔が美形な者が多かった。
彼らは何らかの目的のために製造された人工生命体。人の形をした、人の全てを代替してくれる――生命の奴隷。
だいぶ前から世界的に製造が禁止されたらしいが、やはりどうしても密かに作られるのは世の常だ。
例えばニトは、その中でも完全に兵器転用を目的に、しかも違法に作られた。あの小さな体は内包する魔力炉を効率よく生かすための呪縛。彼女は死ぬまで成長せず、幼女のままだ。
それだけ言えば、ホムンクルスという業の深さがわかるはず。
都市間戦争でも彼らを投入した都市もあり、非難轟々になったとか。
故に彼らは人の罪と認識され、生き残っている者は人権を与えられているほどだ。
ここにいる連中はそこから逸脱して作られた違法な命なのだろう。
その保護も兼ねているとしたなら、なるほど解放戦線の規模の大きさが窺える。
彼らは国なき国で、いろんな理不尽に立ち向かっているようだ。
「あのジジイ。ホントにホムンクルスの代替を作る気か」
あの鉄仮面はホムンクルスに変わる技術で、シュナイダー卿はそういう兵器転用を考えている?
ホムンクルスを縛る法律や禁止事項を掻い潜り、生産できる自立式人型兵器。
その上でホムンクルスのような自立思考と人間性をとっぱらうという、合理的な人権剥奪。
邪悪としか思えない。
そして、この代替の目的は――
「結局、戦争のためか。武器屋のクソジジイが」
「ラムダ?」
「何でもない。シュナイダー卿を刻む理由が増えただけ――余計なことを言った。今は休もう。最後の休息かもしれないから」
ヒルドと二人で手頃な木材に座って、寄り添いながら人々を見る。
俺たちに気づいた人々は皆遠くで祈りを捧げたり、哀れみの表情でこちらを見ていたりする。
ヒルドもまた何を見るでもなく、ぼーっと人の動きを見ていた。
まるでこの景色を記憶に焼き付けるかのようだ。
鉄仮面が振り翳した力と、その傷跡。それに負けない人々の生命力。
それを全部全部受け止めて、腹の中で真っ黒な殺意を練り上げているのだろう。
「お待たせした」
背後から声が聞こえてきた。
ヒルドと立ち上がって振り返ると、そこには大きな鉄馬車が何台も泊まっている。
そして、重武装に身を包んだ解放戦線の兵士たちがいた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます