第04話 悪役と魔法
こういう仕事をしていると、人の殺意というものに敏感になる。
今、目の前の令嬢が発しているそれは尋常ではなかった。
ピリピリと、まるで今から殺し合いでもするかのような殺気だ。
何故こんな、俺と同じくらいの歳の令嬢からそれが出て来るのだろう。
俺、何かしたか?
「とぼけても無駄です。わたくしのスキルは善悪を判断する。あなたは悪人」
「スキルだって?」
「そしてわたくしは警察権限を持っている。ここまで言えばわかるでしょう?」
スゥッと右手を上げてきた令嬢。
ごくごく自然な動きだけれども、妙に慣れていて、自信に満ち溢れている。
気づいた時にはもう体が動いていた。
ベンチに買ったものを置き去りにして、大きく横へ飛ぶ。
ゴロゴロと転がって、間合いを取った。
何事かと周囲の人間が気づき始めた。
物珍しそうに近寄っては、俺と令嬢を囲むように群がってくる。
俺はすぐに立ち上がると、ジャケットを跳ね上げて腰のナイフに手をかける。
ギュッと掴んだナイフは刃渡40センチはあるへの字型のナイフ。
グルカナイフとか、ククリナイフとか言われるものだ。
もっとも、この世界では
鉈とナイフを合わせたような切れ味。
思い切り振り抜けば、相手の手も、あのか細い令嬢の首だってはねることができるだろう。
令嬢の方を見ると、バチバチバチと雷撃のようなものが指と指の間を走っていた。
危なかった。
あれは魔石による魔法だ。
おそらくあの指輪がそう。
あの指ぬき手袋と合わせて、彼女なりの武装だったのだ。
「誰だか知らないけど、いきなりご挨拶だな」
「……このわたくしを知らないだなんて。貴方、流れの人かしら」
「二年前くらいからここに住んでる」
「ならその生活はもう終わりです。その顔。女性をたらしこみそうなその顔。さては
「失礼な事を言うなよ。女の子を騙して売り飛ばすような事はしない」
「じゃあその黒い魂と――腰のナイフは何?」
ピッと指を刺されて、マズったな、と思った。
ここでは衆目が多すぎる。
周囲の人間たちはまるで喧嘩――実際喧嘩なんだろうけど――を楽しもうと、目を
ただ何人かは俺を気の毒そうに見ているし、逆に犯罪者を見るような蔑む目を向ける者もいた。
「またサンダルウッド家の聖女様か……悪いヤツを叩き潰すのはいいけど、なぁ」
「あの子悪人判定されたのか。可愛い顔をしてる。流石にかわいそうじゃないか?」
「あのスキルは国のお墨付きだからな。下手な警察より有能だ」
「俺ァ好きだけどな。マフィア相手にも一歩も引かねえんだから」
何だか同情の声と、聞き捨てならない言葉が聞こえてきた。
暗黒街の人間も構わず叩き潰すということは、かなりの身分の人間と見ていい。
実力もそれなりにあるのだろう。
アレだけ大きな魔石の指輪をつけているのだ、やろうと思えばやる、いつでもどこでもというスタンスのはずだ。
魔石も多分第一種魔法。
軍用とか、許可が必要な奴。
俺の元の世界の感覚で言うなら、最低でも
あんなのを平然と持つことができるのは、おそらく貴族の中でもかなり上の方の身分なのだろう。
横暴だと言いたいが、どうやら彼女のスキルは広く知れ渡っているものらしく、判定は信頼がおかれているらしい。
これはまいった。
確かに善か悪かと言われたら、俺は悪だ。
けれど厳格な規律と訓練で統制されて、依頼自体もファクトチェックが入る完璧な体制のアサシン商会だ。
法では裁かれない悪を手にかける、時代劇風に言えば『仕事人』というもの。
とはいえほとんどのアサシンの人脈は
善悪で言えば悪だけど、正邪でいえば正しい方なんだけどなー。
そんな理由が通じるかどうか。
通じないだろうな。
だって彼女、もう俺を裁くつもりでいるのだから。
「わたくしは悪を許しません。どうせ子供たちを
「誤解だ」
「悪い人は皆そう言います」
やはり話を聞かない系だ。
このモラルもへったくれもない異世界の都市で、正義を貫くのは美徳だと思う。
けど、過ぎればそれも害になると言うことを彼女は気づいていない。
それが正解か不正解かはさておいて、よく見ると背後には心配そうに見つめるシスターたちがいる。
そばに置かれた募金箱は、もしかしてこのヒルドなる令嬢が持っていたのだろうか。
なるほど、立派な人なのだろう。
慈善活動する貴族なんて聞いたことも無いから。
けれど黙ってやられるほどお人好しでもない。
俺は静かに、ジャケットのフードを被る。
こうして視界を
「今更顔を隠しても無駄です――抜剣」
そう言うと、ジュワッという音と共に現れたのは魔法の剣だった。
レイピアのような細身の剣。
それをヒルドが握ると、キュッと構えを取った。
自分に対して、体を横半身に。
剣と、右肩と、顔と、左肩が一直線になっている。
フェンシングの構えに似る、と言えばいいだろうか。
なるほど、狭い場所や人がいる中では最も効果的な構えだろう。
しかも並々ならぬ剣気をまとっている。
多分指導者になれるほどの腕前だ。
そういえば養父……店長に聞いたことがあった。
『貴族は廊下で決闘沙汰や、特に暗殺に対して
――と。
多分アレが彼女の対抗策。
魔法のレイピア。
しかも刀身に電気のようなバチバチという火花が散っている。
スタンガンのように、触れただけで痺れてダウンするヤツだ。
「この街の孤児たちはわたくしが守る。貴方のような真っ黒な人から」
「それは素晴らしい心掛けだと思うよ」
「皮肉のつもりかしら?」
「本心だよ。でも誤解で剣を抜いちゃいけない」
「言ったでしょう。私のスキル『聖者の目』は善悪を判断する。貴方は真っ黒。お手本のような悪人よ」
「そりゃ……否定できないかも」
返事の代わりに、魔法の剣が向かってくる。
小さくバックステップして避けると、眼前に切先。
反撃……。
いや、無理!
嘘だろ。
まだ切先が伸びてくる!
もう二歩下がって、ようやく安全圏。
つつ、と冷や汗が出た。
とんでもない腕だ。
反撃するスキがないほどに、鋭く、深い突き。
並の腕なら突き出された直後に彼女の懐に潜り込んで、ナイフを抜いて、首にあてがっているところだ。
だが、踏み込んだ時点で第二撃が俺の肩に突き刺さっているビジョンが見えた。
「只者ではありませんね。わたくしの突きを紙一重で
「まぐれだよ」
「悪人の癖に
「
「怖い?」
「続きをしたくなる」
「なら早くナイフを抜けばいいのでは? わたくしは構いませんが」
「断る」
「何故? わたくしは貴方が丸腰でも
「アンタを殺したくない」
「殺すことができたら、ね」
グン、とヒルドが深く腰を落とし、ビュッと矢のように剣を突き出してきた。
さっきよりも速度が速い。
大きくバックステップしようかと思った。
だが、背後に取り囲んでいる人々がいる。
仕方なくサイドステップで避けると、ヒルドはもう次の刺突の体勢になっている。
迷いのない真っ直ぐな剣だった。
しかも擦過するたびに
バチバチバチ!
という激しい音を残していく。
いよいよ困った。
彼女のスタミナ切れを待つわけにもいかない。
多分そういうのも、魔石の指輪でカバーしているはずだ。
これだからこの世界は。
見た目では判断できない脅威が沢山ある。
顔を本当に覚えられる前になんとかしないと。
――殺すか?
いや、それは無理だ。
こんな衆目の中で彼女を殺めたなら、指名手配になってしまう。
そうなったらアサシンとしての仕事は難しくなるばかりか、商会連合に追われる身になる。
大人しく捕まるか?
いや、リスクが高すぎる。
単に警察署行きならアサシン商会連合がすぐ助けてくれる。
この世界でアサシン商会とはそういう力を持つし、警察とはそういう関係を持っている。
だがもし、彼女に拷問好きだったなら。
彼女の特別な地下室だかなんだかに放り込まれて、死ぬまで責められる可能性もある。
そういう貴族は何人も見てきたし、何人も首を斬ってきた。
「ッ!」
ヒルドが急に防御体制になってバックステップ。
距離を取った。
「貴方。今、黒い魂が
「?」
「
「いい加減にしてくれ。それ以上何か言われると、本気になるぞ」
だんだんとイライラしてきた。
今まで可愛くて綺麗で、純粋な彼女に免じていたけれど――ここまで話が通じない上に、あんな魔法剣を振り回されたらたまったものではない。
みぞおちに一撃くれて逃げようかと思ったけれど。
その綺麗な、剣を握る手を落とせば大人しくなるだろうか。
それとも彼女の背後に回って、首を優しく撫でるようにナイフの刃を立てようか。
彼女は俺の魂を真っ黒だと言ったけれど、確かにそうかもしれない。
腹の底から練り上がるような殺意が、胸を通って両腕を
その後に来るのは興奮だ。
ビリビリと痺れるような感触が指先を震わせる。
だんだんとうっとりとした感覚になってきて、急に彼女が愛しいように思えてきた。
彼女の横暴を自分が止めるのだという、意味のわからないストーリーが頭の中に展開する。
殺人を肯定するかのような妄想が頭いっぱいに広がって、口から唾液が止まらなくなってくる。
「――いいでしょう。捕まえた後で洗いざらい吐いてもらいます」
そう言うと彼女は小さく「抜剣」と言って左手に小さい魔法の剣を生み出した。
二刀流とは恐れ入ったけど、多分これは守りの剣。
俺の世界でもあった、西洋の二刀流。
左手の護剣マン=ゴーシュというものだ。
機能は補助武器というよりも盾に近い。
攻撃をいなし、払い、絡め取り、右のレイピアで突くためのもの。
あるいは超接近戦の時に刺す事もあるのだろう。
おそらく最初に出したレイピアとは違う質の魔法で象られているはず。
金属を拒絶する魔法とかだったら、ナイフが触れた瞬間に俺の体が大きく弾かれて、その間にレイピアで突かれる。
レイピアを象る電撃魔法が俺の身体を駆け巡り、スタンガンを食らったように失神するはずだ。
これは、銃を使ってもいい局面かもしれない。
だが悲しいかな、俺には愛用のグルカナイフしかない。あの魔法の双剣に比べればオモチャみたいなものだ。
周囲もゴクリと喉を鳴らして、俺たちの決闘じみたケンカを見守っている。
やるならやる。
逃げるなら逃げる。
ただ退路が見つからないとなれば――
「おお? そこにいるのはラムダではないかネ?」
間の抜けた声が、ヒリついた空気を台無しにするかのように聞こえてきた。
取り囲む人々の中から出てきたのは、なんとも胡散臭い格好の紳士だった。
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