8話 楽しむ彼女
最上彩矢。十六歳。黒縁眼鏡の黒髪。大人しい女生徒。
最初はこの賑やかなクラスに馴染めるか不安だったが、今ではクラスメイトとお昼ご飯を一緒に食べる姿もよく見かけていた。
率先して何かを行う自主性には欠けるが、与えられた仕事は丁寧に、しっかりとこなす生真面目さを持っていると俺は思っていた。
「・・・・・・しかし演劇か」
教室から職員室への帰り道、俺は静かに呟いた。
「先生、じゃあね」
「こら、廊下は歩けって、こけるぞ」
注意してから全力疾走し出す運動部の面々に苦笑いを浮かべるしかない。
教師をしていると生徒の本質という奴は意外と見えてくる。自分自身が生徒だったときは楽しむことが最優先で、今は楽しんでもらうことに目標が変わったからもしれない。
教壇から生徒たちを見ているとどの生徒がどんな生徒か見えてくるのだ。
だから俺にとっても、最上が出したあの演劇という言葉が、何故か印象深く残っていたのだ。
予想を裏切られた、というのは少し傲慢か。何せ、最近俺の教師としてのプライドは粉々に砕かれたのだから。
「大谷先生」
静かに。ただ鋭い声に俺は思考の海から抜け出した。
振り向くと俺の尊厳を粉々にした女生徒がいた。
「木崎か」
「落とし物ですよ」
「え? ああ、すまない」
手渡されたのは愛車と自宅の鍵を収納したキーケースだった。
キーケースを受け取ると木崎は微かに首を傾げる。素早く周囲に目配せして、一瞬、俺に近づく。
「それ、まだつけているんだ。ふーん」
言葉を返す間もなく、俺に近づいてきた木崎は俺を横切って歩いて行く。
揺れる黒髪は振り返ることなく、遠ざかっていく。どこか足取りが軽く見えるのは気のせいだろうか。
俺は手のひらに収まるキーケースを眺めた。キーケースの縁には白い梟を模したビーズアクセサリーがあった。俺が芸能界にいて、彼女がまだまだ駆け出しの子役だったときに彼女がくれた贈り物。
女々しいと言われればそれまでだが、俺にとっては大切な思い出だった。
腰にキーケースを入れると同時に胸ポケットに入れていたスマホが震える。
確認すると彼女からだった。
『そんなに私のことが忘れなかったのかしら?』
思わず吹き出しそうになるのを堪える。俺は顔を顰めつつ、窓枠に背を預けて返信する。
『大事な思い出だからな。捨てられるはずがないだろ?』
『あら? その大事な思い出の人を忘れていたのに?』
・・・・・・ぐうの音も出ないとはこのことか。
俺が返事に困っていると木崎から返事が来た。
『そこは男らしくしたほうが木崎ポイント高いのに』
『木崎ポイント?』
『そう。百ポイント貯まると現役女子高校生が高校教師の自宅に突撃するの』
「いや、絶対に貯めたら駄目なやつだろ、それ」
思わず突っ込んでしまう俺は周囲に生徒がいないことを確認する。木崎はあの一件から距離感を詰めてくることが多くなった気がする。
・・・・・・教師としては駄目だが、約束したしな。
俺は木崎に返信をして、ふと最上のことを思い出したのだ。
そうだ。木崎は最上と仲が良かったはずだ。ならあの学園際の演目についても何か知っているかも知れない。
そう思い、俺が返信すると帰ってきたのは少し刺々しい言葉だった。
『他の女の話? へぇ、私も舐められたものね』
いや、言い方!? というか、友達だろ、最上は。
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