5話 宣言する彼女

「っ」

 俺は床を蹴り、歩き出す。

 閉じていく扉。徐々に狭まっていく光。

 終わったはずだ。

 終わったと思っていた。

 終わらしたと勝手に思っていた。

 手を伸ばし、指が閉じていく光に滑り込む。

 傲慢な自己犠牲野郎、本当に的を得ていると思う。もう少しで三十歳を迎えるというのに、俺は本当に自分勝手だ。何も成長していない。

 ――――でも自分に嘘はつけない。彼女には嘘で対峙したくない。

 指に力を込め、俺は閉じかけていた光を広げていく。

 視界が焼かれ、思わず目を閉じかけるが、今度は目を反らすつもりはない。

 窓ガラスから差し込む陽光と人気がないひんやりした空気が肌を撫でる。

 そして、そこに彼女はいた。

 驚き、振り返った拍子に前髪の奥に隠れていた瞳と視線が絡み合う。その目は潤み、頬へと涙が伝っていた。

 先ほどの微笑は何処に行ったのか、などの野暮な言葉をかけるつもりはない。

 だって彼女は一条蓮花であり、木崎胡桃でもあり、だけどまだ年相応の少女なのだ。

「・・・・・・何ですか」

 虚を突かれて垣間見えた素顔はすぐに隠された。ごしごしと制服の袖で乱暴に目元を擦った木崎は俺を睨む。

 思わずドキリとしてしまうほどの絶対零度の鋭さと冷たさと宿す眼光。

 だが俺はその眼光に尊敬も、懐かしさも抱かない。

 今の俺はもう彼女のマネージャーではない。

 今の彼女は俺の担当じゃない。

 もう過去は終わった。お互いに決着を付けた。

 だからこそ【今】を始められる。

「俺は教師だ」

「知っています。だから適切な関係を」

「泣きそうな生徒を放っておくなんてできない」

「・・・・・・思い上がりも甚だしいですね。私は泣いていません」

「いいや、泣いてる。木崎が言ったんだろ? 俺は傲慢な自己異性野郎だ。なら、俺はとことん関わる。ああ、あれだぞ、今度はマネージャーと担当じゃなく、教師と生徒として、だ」

「――――」

 これが俺の今の本音だ。

「俺はこんな形で終わらせたくない。ここからは教師と生徒。でも、だからこそ始められる関係もある、と思う。木崎の言葉を借りるなら、それ以上でもそれ以下でもないかもしれないけど、俺は本気で木崎に関わっていく。その宣言だ」

 手を差し出し、俺は苦笑する。

「だから、ここからだ。ここから、またよろしくお願いします」

 木崎は瞬きをして、口元に微笑が浮かぶ。瞳の奥底には少し挑発的な色が浮かぶ。

「よろしくお願いしますって、生徒に言う口調じゃないでしょ」

 カツン、と地面を踏みしめる木崎。

「本当に勝手な人。生粋の善人気取りの女たらし。いつか後ろからずぶりと刺されるわよ?」

「それは困るな。少なくても今のクラスの奴らが高校生活満喫したぜ、と思って卒業する姿は見たい」

「あら? その前に生徒と男女の関係になるかもしれないわよ。ほら、私とか」

「ならないさ。それは、うん」

「あら? 私、まだ本気を出してないけど? 私、着痩せするタイプだし」

「いや、首元をパタパタするのはやめてくれ。見えるから」

「見せてるのよ? ふふ、これはイージーゲームね」

 木崎はクスクスと笑って、俺の手に手を伸ばす。

 パン!

 右手に走る痺れ。手をはたき、俺は見上げた木崎は満面の笑みを浮かべて微笑んだ。それはその、本当に綺麗で困るほどに。

「ええ、いいわよ。なら私も一人の生徒として、貴方と接していくわ。覚悟しておいてね」

 視線がぶつかり、離れる。

 踵を返す木崎は歩いて行く。その足取りはどこか軽い。だがふと木崎は思い出したように言うのだ。

「ああ、一つ言い忘れていたわ」

「ん?」

「私、また好きになったから。貴方のこと」

「・・・・・・」

「ふふ、おかしな顔。まぁ、今は良しとしましょうか」

 楽しげに歩いて行く木崎の後ろ姿を見て、俺は肩を揉んだ。自らが提案したことが間違いだったのかと少し思いながら。







 

 

 


 

 



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