第4話 作りたかった自宅ディナー4


「……手間とお金をかけずに、がコンセプトなのよ」


 言い訳するように花穂は少女に語った。

 少女はワゴンをそのままに、花穂のテーブルの対面の席に座っている。


「カプレーゼなんて、トマトとモッツァレラチーズを切ってオリーブオイルと黒胡椒かけるだけだから簡単でしょう? サラダもベビーコーンは缶詰で、味付けはドレッシング。コーンスープなんてインスタントだしね!」


 花穂は気恥ずかしさを隠すように熱弁を振るった。


「この鳥もも肉のバルサミコ酢焼きは?」


 これは……と花穂は苦笑いした。


「うち、私が小学生のころに両親が離婚してね。母が私を育ててくれたんだ。母がなぜかバルサミコ酢が大好きでさ。母娘二人で暮らすだけでも狭いワンルームに住んでた貧困家庭ぎりぎりだったくせに、バルサミコ酢だけは常備してたんだよね。鶏もも肉って、皮の方からフライパンで焼くだけですごく美味しいじゃない? 皮から油が出るから油もいらないし。それにバルサミコ酢と醤油と砂糖のソースを作ってかけるだけで外食みたいな味になるから……」


 一気にまくしたてると、花穂はパタパタと手で顔を仰いだ。


「……私、料理うまくないからさ。大事な人が相手でもこんなのしか作れない。学生の頃、付き合ってた彼氏にはりきって手の込んだ料理作ったら、三時間もかかっちゃって。彼氏はイライラし出すし、私も慌てて失敗するし。自分の実力以上のものを作ったらダメってわかったんだ。これなら自分の家でさっとできるでしょう?」


「ええ。短時間で手間をかけずにできた。いいメニューよ」


「ありがと。……って、これ、あなたが作ったの?」


 花穂は少女を見直した。


「そ。私はここのオーナーでウェイトレスでシェフだから」

 

 この深層の令嬢といった雰囲気の少女が厨房でエプロンを振るう姿は少しミスマッチな気がした。


「母が教えてくれた料理をさ、好きな人に食べさせてあげるって、なかなかいいじゃない? ……まあ自己満足なんだけどさ」


「いいと思う。あまり豪華なものを作るより、家庭的な方が良いでしょう」

「そう! そうなのよ!」


 花穂の大声に、少女は初めてたじろいだ。


「きっと先輩はレシートを見せて、材料費だけでも払うから、と言うと思う。そういう人だから!そこで、本当にいいんです、だってほら、これだけ、と最後にレシートを出す、で、え、これだけ? すごいなあ、君って……なんて。いや、過ぎるよね、いい嫁になりますよアピールが!」


「え、ええ……」


 あきらかに引いてる死神に花穂は勢いのまま喋り続ける。


「で、これでもし炭水化物が必要だったらコーケーストアが産んだ安くて美味しい傑作パン、おからパンを焼けばいいし、お酒だったら何にでも合うビールかシャンパンを用意すればいいし、応用もきくわけ!」


「たしかにね……食べた時、恋人は喜んだでしょう?」


「ええ、そりゃもちろん、お前すごいわ、なんて言ってくれて……」


 ああ、ダメだ。もうもたない。


 花穂は喉が痛くてたまらなくなった。死んだくせに風邪をひいたのか、と思って、それから自分が涙を流していることに気づいた。

 涙を我慢すると、人は喉が痛くなる。


「ごめん、嘘……恋人じゃない。好きだった人。付き合ってもいない。その人は別の人と結婚しちゃった」

「そ」


 少女の表情は変わらなかった。

 家に誘うまでにいくつものステップがあるだろう、と自分でも思う。


 なんであんなに未来を信じられたんだろう。


 治療の副作用で抜けていく髪を見ながら、原野先輩の奥さんになる人はブライダルエステとか行ってるのかな、と思った。

 原野先輩の結婚式中も抗がん剤治療を行っていた。

 職場の同僚は結婚式に出ていた。花穂だけ病室で同僚のSNSを見た。見たら辛いとわかってるのに、見ずにはいられなかった。


 この白いシーツが白いウェディングドレスで、腕につけているのが点滴じゃなく先輩の手で、隣にいるのが白衣の医者じゃなく白いタキシード姿の先輩だったらよかったのに。


 そう思って唇をかんだら血が出て、自分の唇が乾ききっているとわかった。こんな体じゃ先輩のお嫁さんにはなれないな、と思った。

 健康な体の時にもっと動いていれば。

 妄想ばかりでなにもしなかった。


 私の人生って何だったんだろ。


「実際に付き合ったり結婚したら相手に失望するものよ。相手のことをそんなに好きなままでいられたのは幸せかもしれない。いわば恋愛の中で一番良いエキスだけを摂取できた……こんな考え方はどう?」


 冷淡に見えた死神の慰めに花穂は少し驚いた。


「先輩となら喧嘩もしてみたかったし、いっしょにローンの支払いの苦労とかしたかった」

「ローンって、ずいぶん先走ってるわねえ……」


 学生時代に付き合った彼氏は、彼女とは自分のすべてを愛し許し慈しんでくれる存在だと信じて疑っていない男で、半年ほどでうんざりして別れた。


 もし原野先輩とだったら……何度空想したことだろう。


「付き合ってから、嫌な面を見られるなら見たかった。失望して、嫌いになって……そうすれば、もう一度初めから好きになれる」


「経験の浅い女のセリフね」

「わかってるわよ、自分でも……」

「でも、あなたはいい子ね」

「え?」

「今、自分が言った台詞を思い出してみたら?」

「……ほんとだ! あたし、なんていい子だろ!」

「『ソウシタラ一度初メカラ好キニナレル』」

「やめて! 人の言葉を棒読みで繰り返すの! 恥ずかしいよ!」

「でも、本当にいい子よ、あなたは」

「……うん」


(安達さんはええ子やなー)


 あの笑顔を思い出す。包み込んでくれるような、暖かい笑顔。

 ふと、二年目か三年目くらいのころの飲み会の時のことを思い出した。


 話題が自分の父親の話になった時。

 何となく、父親のダメエピソードを話す流れになっていった。

 次に安達さんは? と聞かれそうだった。

 まあ、確かに俺もおかんにそんなことされたら嫌かー、とつぶやいて、あ、でもな、こんなことが……と、自然な感じで話題を逸らしてくれた。


 私が大好きになった人。

 それだけは自信をもてる。


「ありがとう。私は……けっこういいやつだったのかもしれない。そう思えたら……少しはすっきりした気がする。あの人を好きになれてよかった。そういうことにする」


 本当はすっきりなんてしていない。未練はある。

 先輩にもっといい子だって言って欲しかった……いい子の面を見せるほど近くこともできなかったけど。


「……料理、作ってくれてありがとう。これ、食べるね」

「どうぞ。おからパンもあるわよ」

「え? すごい! どうやって……」

「いろいろと融通がきくのよ」


 じゃあ、と花穂はナイフとフォークに伸ばした手を止めると、ハッと気付いた。

 手を合わせた。


「いただきます」



 ◯



「まったく、久しぶりに騒々しい子だったわね」


 死神は少しの間、彼女が居た空間をじっと見つめた。

 花穂という若い女の亡者は静かに世界に溶けていった。


「まったく、だから死人は嫌なのよ。最期だからって図々しい」


 少女の目の前から消える直前、花穂は言った。


(ごちそうさま。ねえ、あなたの名前を教えてくれない?)


(名前を聞いても、もう時間がないわよ)


(いいじゃない。最後に私が覚えた名前が私を慰めてくれた人だなんてなかなかいいじゃない)


(……真鈴。死神の真鈴よ)


(真鈴。そう。いい名前ね。ありがとう。やさしい死神さん)


 そういって、すっと消えていった。


「本当、死人は嫌ね。思う存分自己陶酔して、少し優しくすると甘える……すぐにいなくなるくせに」


 真鈴は花穂が食べ終えた食器を片付け始めた。


 一人の店内にかちゃかちゃと食器が触れ合うだけが静かに響く。


 そして蛇口から流れ出る水の音がシンクをたたき、静寂を埋めていった。

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