第3話 作りたかった自宅ディナー3
(安達さん、学校の先生と会社の教育係の違いってわかる?)
原野正樹は花穂が就職した文房具会社の先輩で、研修の後に配属された営業三課の花穂の教育係だった。
わかる、の「わ」にアクセントのつく関西弁の発音で原野先輩は配属初日に言った。身長が百八十センチあり、小柄な花穂としては怖かったものだ。
(学校の先生は仕事だけど、会社の教育係は……片手間とかですか?)
(……片手間っていうとイメージ悪いな。学校の先生は人に教えるプロ。会社の教育係は仕事のプロでも教えるのは素人。やから、教えるのが下手でも素人なんやから、と許したってな)
原野先輩はそう言ってにこりと笑った。
花穂はこの先輩も教育係って自分の役割に緊張してるんだな、と思ったものだった。
ああ……そういえばあのころからもう好きになっていたんだ。
いつも人を責めずフォローに回ること、大きい手に似合わず意外と字が綺麗なこと、花穂の子供っぽい発言でも「そやなあ」と包み込むように肯定してくれること……。
そんなことを思い出していると、カラカラと音がして、奥からさっきの少女が銀色のワゴンを押してやってきた。
「お待たせしました」
少女はワゴンから白いテーブルに一つ一つ皿を並べていった。
トマトとモッツァレラチーズのカプレーゼ。
レタスとキュウリとベビーコーンのサラダ。
コーンスープ。
そして、鳥もも肉のバルサミコ酢焼き。
「すごい……」
テーブルに並んだ皿を目にしてみると改めて驚いた。
「これを食べたらあの世に行くのよね……」
「そ。〈あの世の物を食べたらあの世の者になる〉それが世界のルール」
「……あの世ってどんなところなの?」
「どんなところって考え方自体が少し違うわ」
「え、そうなの?」
「まずこの世の人間っていうのはそのコップの氷みたいなもの」
花穂はテーブルの隅に追いやったコップを見た。透き通った水に溶けて少し角が丸くなった氷が浮いている。
「生きている人間は世界っていう大きな湖に浮かぶその小さな氷みたいなものよ。あの世に行くっていうのは、世界って湖に溶けるようなもの」
「せ、世界?」
突然語られる壮大な話についていけず花穂はその氷水のコップをつついた。
いん、と涼しげな音と共にコップがすべり結露した水の跡がわずかにできる。
「そ。人間はタンパク質やミネラルの塊が集合したもの。それを個人って名付けているだけ。死ねば溶けてこの世界の一部になる。氷が水に溶けるように」
「……じゃああの世に行ったら……意識とかは無いの?」
「さあ? 私は死んだことないから」
「あ、そっか」
たしかに死神は死んでるわけではないのかもしれない。
「あなたも死んだ時点ですでに一部この世界に溶けている。このメニューもこの料理の作り方も、あなたを含む世界に溶けた人間たちの知識や経験から再生したものよ」
「私の知識や経験……」
「そ。これはあなたが大事な人のために作ったメニューなんでしょう?」
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