第4話 親の愛

「ただいまぁ」


 リビングに向かって声をかけると、美琴のいつも通りの「おかえりぃ」という声が奥の方から聞こえた。真は部屋着に着替えると手を洗い、リビングに入ってくる。


「お弁当ありがとう。美味しかったです」

「あいよ」


 鞄から出したお弁当包みを持ち上げると、美琴は顎でキッチンを差した。

 いつも通り置いておけという事だろうと判断して、真はお弁当箱を開けて流し台に置いた。


「そういえばさっき、ゆうりちゃんのお母さんから電話があったよ」


 何でもない事のように美琴が言ったのを聞いて、真はパッと勢い良くそちらを見た。

 ソファの上で胡座をかいて、美琴はテレビのリモコンを操作している。


「……ゆうりに何かあったの?」

「いや、何も。最近も別に、良くも悪くもなってないらしい」

「……そっか」


 美琴は静かに首を振って、適当なチャンネルでリモコンを操作するのをやめた。

 リモコンをソファに放り投げて、そのまま、思い出すように目を斜めに向けて話し始める。


「電話の内容はまあ、近況報告みたいな感じか」

「そういう電話、するんだ」

「そりゃまあ、あんたとゆうりちゃんと同じだけ、付き合いも長いしね」


 美琴はそう言って、テレビから真へ視線を移した。

 想像通り暗い顔をしている娘を見て溜め息を吐く。


 ゆうりの話になると、途端に真はしゅんと落ち込んでしまうのを知っている。

 けれど、ゆうりの事を話さないという選択肢は美琴には無い。


「親友の事だから心配すんのもわかるけど、あんたは気にし過ぎんな。ゆうりちゃんは、今は休むときってだけだよ」

「……ん、そうだね」


 ぼんやりとした目で、適当に相槌を打った。


 美琴は、あの騒動の事を知らない。

 真が恐ろしい夢を見ていた事も、その原因がゆうりにある事も。ゆうりが壊れてしまった原因の、一部分はきっと自分にある。


 真はずっとそう思っていて、けれど母にもそれを言えなかった。


 「呪い」だとか、「おまじない」だとか、「悪夢」だとか、そう言った事を言った所で、誰も信じないだろう。

 信じたとしても、やはり「真のせいではない」と言うのだろうから。


(呼続先生もきっと、”伏見さんは悪くない”っていうんだろうな)


 それを言って貰う為だけにゆうりの話をするのは、何かが違う気がした。


 真は無意識に鎖骨の下辺りを右手でぎゅっと握り込んだ。

 そこには、未だにゆうりに貰ったネックレスがある。


 考え込む真をじっと見て、美琴は仕方なさそうに目を伏せる。


「あっちのお母さんもやっぱり色々あるみたいで、自分の事責めてるみたいだったけど」

「えっ……ゆうりのお母さんが?」


 真はそれを聞いて意外さに目を瞬いた。


(……電話の時、物凄い冷静に見えたけど)


 そう思い、詳細を促すように美琴を見る。

 美琴は肩を竦めてまた電話の内容を話し出した。


「やっぱり、娘が精神的に参って入院ってなったら、親は自分のせいだと思うよ。ゆうりちゃんは特に家で一人でいる事が多かったし、ご両親も忙しい人だしね」

「前に電話で話した時、そんな風に思ってる感じじゃなかったから、なんか信じられないや……」

「そりゃ、娘の友達と話すんだから。子どもの前では、大人はやっぱりしっかりしないとと思うからね。アタシとあっちのお母さんで、大人同士で話してる時とは違うよ」

「そうなんだ……知らなかったな」


 以前、ゆうりの状態をその母親から聞いた時、余りの冷静さに親としての愛情さえ疑ってしまったけれど、それが誤りであったと知って、真は少し俯いた。


 よく知らない人物だけに、その時の印象が大部分を占めていたのだ。


「人間にはいろんな顔があるから。マコも人の一面だけ見て、分かったような気にならないで」

「……はい」


 真の反省の滲む返答を聞いて、美琴は苦笑いを浮かべると小さく息を吐いた。


 雰囲気を変える為に、パンッと大きく手を叩いて鳴らす。


「ほら、晩御飯食べる支度してー! ご飯食べて、子どもはさっさと寝る!」

「はぁい……今日ご飯なに?」

「喜べ、暑いからちょっと奮発してお刺身にした」

「やった!」


 空気を変えるように得意げな美琴のその顔を見て、真は声を立てて明るく笑った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る