第5話 押し負け

「伏見さんおはよぉ」


 朝、まだホームルームまでに余裕がある時間に真が登校すると、席に辿り着く前に、待ってましたとばかりに前の方の席から声をかけられた。


 ここ最近ほぼ毎朝聞いている、耳慣れたその声に、真は黙ったまま目をくるりと上に向ける。


(聞こえなかった事にしていいかな……)


 そんな事を考えていると、高い声でもう一度呼びかけられた。

 真は諦めて控えめに愛想笑いを浮かべ、振り返って大曽根に挨拶をする。


「……おはよー、大曽根さん」

「ねね、伏見さん。バレー部の見学の話、考えてくれた?」


 間髪入れずに返され、真は思わず一瞬真顔になってしまう。


 大曽根はどこか浮かれた顔で真の返答を待っているが、真は溜め息を吐く他ない。

 何故毎朝断っているのにこうも諦めないでいられるのだろうと、真は疑問にすら思った。


「何回も言ってるけど、バレー部は入らないって」

「えぇ?」


 毎朝の遣り取りにも関わらず不満そうな声を出した大曽根を、真は堪えきれず嫌そうに顔を歪めて軽く睨むように見た。


 正面から向き合い、疑問に思っていた事を口にする。


「……そもそも、もう六月だよ? なんで今更部活の勧誘なんてしてんのさ?」

「前も言ったじゃん! バレーやってる伏見さん見てセンスあるなって思ったの!」

「それにしたって体育のバレーも、もう結構前に終わったじゃん。声かけるの遅くない?」

「んー、本当はもっと早く声かけたかったんだけど……」


 真がうんざりした様子で言うと、大曽根は何故か言い辛そうに口を噤んだ。

 真は突然ペースを崩した大曽根のその様子を不審そうにじっと見て、次の言葉を待つ。


 一拍口を噤んで、大曽根は拗ねるような口調で言った。


「……だって、前は有松さんがいたじゃん……」


 小さな子供が言い訳をするように、大曽根はぽってりした唇を軽く尖らせる。


「ゆうり? ゆうりが何なの」


 訝しげに訊くと、大曽根は視線をウロウロと彷徨わせながら更に言い淀んだ。


 ゆうりの名前が出た事に少なからず動揺して、真の視線が無意識に鋭くなる。

 自然、警戒するように体の前で腕を組んだせいか、周囲のクラスメイトが何事かと二人に視線を向けた。


「んー……なんか伏見さんと有松さんて独特な雰囲気っていうか、二人の世界って感じで声かけづらかったんだよね」

「え、なにそれ?」

「わかんない?」

「全然」


 真は大曽根の予想外な言葉に眉を寄せたまま頭を振った。


 大曽根は困ったように眉を下げて、もじもじと自分の長い髪を触っている。

 真は焦れて次を促すように疑問を口にした。


「どう言う事?」

「うーん……上手く言えないけど、例えば、ウチが伏見さんに話しかけようとするじゃん? そうすると、有松さんが自然に入って来るんだよ。それで、気付いたら有松さんとメインで喋ってる。そんな感じで、伏見さんとは結局ロクに喋れないまま終わっちゃう」

「……そんな事あった?」

「毎回そんな感じだったよ〜……別に有松さんが悪い訳じゃないだろうけど。だから、伏見さんと話したくても話しかけ辛いんだよねぇ。その点、今は話し易くていいけどね」


 それはまるでゆうりが中途退学したのを喜ぶような口調だった。

 悪気なくだろうがそう感じた真は少しむっとしたが、大曽根はそれに気付かなかったようで更に言葉を重ねる。


 その表情は先程とは打って変わって明るく、淡いピンクベースのメイクも相まって華やかに見えた。


「でもウチ、伏見さんと仲良くなりたいから、今話せるの嬉しい!」

「あ、うん。そう?……それはまあ、ありがと」


 大曽根が満面の笑みでそう言ったのを聞いて、真は拍子抜けして肩を竦めてそう返した。


(悪い子じゃないんだろうなぁ……)


 明るい笑顔を浮かべる大曽根を見てそう思うが、バレー部に入るかはまた別の話だ。

 いい加減諦めて貰わないと真自身のストレスになる。


 気付くと、教室に入ってから予想以上に時間が立っていた。

 間も無くホームルーム開始の鐘が鳴る時間だ。


 真はいい加減自分の席に行きたかったが、大曽根は「そう言えば」とまた話し始めた。


「今日、バレー部の先輩達とで、あのトンネル行くんだけど」

「……トンネルってあの、有名な西口の?」


 真が少し驚いてそう返すと、大曽根は真の関心が引けた事が嬉しいようで、どこか興奮したように大袈裟な素振りで頷いた。


 真の住む目井澤市には、有名な心霊スポットがある。


 それが目井澤駅西口を、国道沿いに暫く走った後にある、旧・明江めいこうトンネルだ。


 現在は使われておらず封鎖されている。

 心霊スポットとしてネットやテレビで配信された結果、全国的にも有名になった。


 封鎖されて三十年以上経った今、肝試しに使う若者が後を絶たない。


「封鎖されてるところだよね?」

「そう! 駅の反対口の使われてない古いトンネル! 最近サッカー部が行ったらしくて、うちの部ってみんな市外から来てるから、先輩が行きたいって言い出して」

「え、サッカー部行ったんだ。危なくないの?」

「うん、なんかヤバかったみたいだよ〜……『絶対なんかいる』って感じだったみたい。具合悪くなった人いたって先輩が話してた」

「あー……なんか出るって噂あるよね。めっちゃ脚早いお婆ちゃんとか」


 真が記憶を探りながらそう言うと、大曽根は真のリアクションが嬉しいのか初めて見る程大きくうんうんと頷いている。


「事故で亡くなったトラック運転手とか、子供とか出るってネットに書いてあった!」

「出るもん統一性なくない?」

「そうかな? ねえ、今日夜、部活の後行くんだけど、伏見さん部活見学してそのまま一緒に行こうよ」

「えッ?」


 突然の誘いに、真は焦った顔で大曽根を見た。


(部活入らないって言ってんのに……!?)


 真の内心など気付かないのだろう、当の大曽根はと言えば、名案だと言わんばかりに瞳をキラキラと輝かせて真を見ている。


 その目と目が合うのが嫌で、真はそっと視線を逸らした。


「めっちゃ良くない? 先輩優しいし、絶対気にいるよ! 伏見さんもバレー部の人と仲良くなったら、入部もしやすいし」

「いや、だから私部活は……」

「ね、お願い! 今日だけ! これでダメなら諦めるから!」

「あのねぇ……」


 真はハッキリ断ろうとして、パッと勢い良く大曽根の顔を見た。

 視界に入った大曽根の目の縁が、時間の経過と共にじんわりと滲んでくる涙で濡れていく。


 真はそれを見て口を噤み、唾を飲んで黙り込んでしまった。


(ずっる……)


 真は咄嗟にそう思って口をへの字にした。

 大曽根は顔の前で両手を合わせ、上目遣いで真を見ている。


「うーーん……」


 数秒黙り込んで、真は観念して小さく小さく頷いた。


「やった! ありがとう! じゃあ今日一緒に部活行こうね!」

「はいはい……」


 真は疲れたようにそう言うと、遠くを見て溜め息を吐いた。


 女子高生の涙は、例え同じ女子高生でも逆らえないのだ。


「はよーす!」


 教室の後ろの方から明るい大きな声がして、真は疲れた顔でそちらを振り返った。

 聞き慣れたその声は、誠にとっては最早アラームだ。


「はよー! お、伏見珍しい! 遅刻寸前じゃん!」

「東浦……はよ。っていうか私は寸前じゃないから」

「えー? でももう鐘鳴るのにバッグ持ってんじゃん」


 東浦はそう言って、教室の一番前にかけてある時計を指差した。

 東浦の言葉通り、針はもう後二分程でホームルームが始まる時間を指している。


「伏見さん早く席着いた方がいいよ! また後でね!」

「あ、うん」


 元々自分の席にいた大曽根は、真を急かすように手を振っている。


 大曽根に引き留められてその場から動けなかった真はイマイチ納得できない顔をしながらも、自分の席へと向かった。


 席に着いて片付けをしていると、教室の前のドアが開いて担任の栄が入ってきたのが見えた。

 生徒に着席を促しながら教壇に立ち、ぐるりと教室を見回す。


「もう鐘鳴るぞ〜、席着け〜」


 その言葉とほとんど同時に校内の鐘が鳴り、生徒もバラバラと席に着いた。


(見学行ったら更に断り辛くなるよね……面倒臭いな……)


 押し切られて放課後にバレー部の見学に行く事になってしまった真は、誰にも聞かれないようにこっそりと溜め息を吐いた。


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