第3話 脱兎

「大里くん、最近悩んでいる事はないかな」


 一応疑問系で投げかけているものの、呼続は確かな情報を持っているようだ。どこか断定的な言葉尻だった。


 質問された大里は心当たりがないのか、相変わらず視線をあちこちに飛ばしながら否定した。


「と、特にないです……」

「本当? 困っている事とか、悩んでいる事はないかな?」

「な、ないです……」


 呼続が再度質問を投げかけると、大里は本当に心当たりがないように目を白黒させていた。

 それを見て、呼続は一瞬迷うように視線を逸らし、困ったように再び口を開いた。


「担任の栄先生が、大里くんの事を心配しているみたいだよ。他クラスの男の子にしつこく追いかけ回されてるみたいだって……」

「!!」


 心配そうに問い掛けた呼続の前で、大里は何か思い当たる節があったのか、青い顔のままびくりと体を硬くした。


 真は数歩離れていた所で様子を窺っていたが、大里はいつもの困ったような顔を更に歪めて、最早泣きそうになっている。


(……ぅえ……大丈夫なの? 泣かないかなあれ……)


 真は内心で少し焦りながら様子を窺っていたが、大里は堪えたようだった。

 そのまま、大きく顔を逸らすと、早口で否定する。


「な、何でもないです!」

「いや、無理に言わなくても大丈夫だよ。ただ、困った事があるなら、相談に……」

「ないです! 話がそれだけなら、ぼ、僕、帰ります!」

「あ、大里くん……」


 大里は焦り過ぎたのか投げ捨てるようにそう言った。


 呼続が追い縋るように片手を挙げたが、大里は見なかったフリをするように慌てて背を向けた。

 そのまま、少し離れた所にいた真の事も放置して、小走りで素早く教室を出て行ってしまう。


 呼続と二人、教室に残された真は口をポカンと開けたまま唖然としてしまった。


「……えぇ……?」


 真は思わず不満そうな声を漏らした。

 呼続も相変わらず困ったような顔をして、肩を竦める。


(私、頼まれて待ってたのに置いて行かれた……)


「何ですか今の……」

「うーん……」


 真が素直に気分を害した表情で呼続を見ると、呼続は失敗を悔いるような表情で目元の辺りに掌を押し付けていた。


 珍しい事に、彼が素直に失敗を悔いているようだ。


 その仕草が新鮮で、真は苛立っていたのも忘れてまじまじと呼続の顔を見上げた。


「さっきの話って、何だったんですか?」

「……ここだけの話……栄先生が言うには大里くんが他のクラスの男子に呼び出されたり、声をかけられたりしているのを見たらしい。けれど、変な雰囲気だったと。……大里くんが何かを頼まれていて、迷惑そうにしていたんだけど、相手が所謂、素行不良の生徒で……」

「……イジメですか?」

「いや、イジメのようにも見えないらしい。だから話を聞いて欲しいと頼まれたんだけど、まさかあんな一言聞いただけで逃げられるとは……」


 呼続が困ったように溜め息を吐いて俯いた。本当に参っているらしい。いつも飄々としているのに、珍しい事だ。


 真は不謹慎だが、どこか拍子抜けした。

 もっと執拗に大里に話を聞くと思っていたのだ。


(流石に、教師がそんなんしたら問題になるか)


 思い直して、大里が先程出て行った教室のドアを見遣る。


「何か事情があるんですかね」


 真がそう言うと、呼続は「うん……」と言いながら顔を上げて真を見た。

 その顔は眉が下がり、いつもの柔和な表情が情けなくしょげている。


「伏見さん、大里くんから話を聞き出すの、協力してくれないかな」

「えぇ……嫌ですよ……委員会が同じなだけで、別に親しい訳でもないし」

「僕と君の仲じゃない」

「気持ち悪い事言わないでくださいよ。何の仲もないでしょう。そもそも、本人が嫌がってるじゃないですか」


 真が心底嫌な顔をして言うと、呼続はまた「ううん……」と困った顔で言って黙ってしまう。


 暫くそうして、大きく溜め息を吐いた。


「彼は保健室を利用する事もないし、困ったな」

「はあ……聞いても何もないって言われたって栄先生に言うんじゃダメなんですか?」

「それでも良いは良いけど……まあ、何とかしてみるよ」


 呼続はそう言うと、気持ちを切り替えるように一度体の力を抜いて、次いで真の方へ体ごと向き直った。


「……伏見さんは最近は調子はどうかな? あれから、特に保健室も利用していないけれど」


 呼続の言葉に、真は最近の出来事を振り返ってみる。


 振り返る前から分かっていた事だが、特に近況報告する事もなかった。そのまま口を開く。


「フツーです。平和。怖い目にも遭ってないし、クラスメイトも元気だし。毎朝バレー部に勧誘される位、元気」

「勧誘? 伏見さん、バレー部に入るの?」

「いえ、バイトしたいので入りません。断ってるけど、しつこいんです」


 真が肩を竦めて如何にも迷惑そう言うと、呼続は明るく笑った。

 そして、柔らかく目を細めて、成長を喜ぶような顔をして口を開く。


「特に周りで怖い話もない?」

「うわ……そんな話、そうそうないですよ……」


 表情と言葉のギャップに、思わず嫌な声が漏れてしまったが、真は特に反省せずそのまま返した。

 一瞬、呼続の笑みが薄まる。


(今、絶対つまんねーって思っただろ……)


 真がじとりと呼続を睨むと、そっと目を逸らされた。

 自覚があるらしい。


「大里くんの事は、少し他の先生とか生徒にも聞いてみるよ。伏見さんも、何か分かったら教えてくれる?」

「……わかりました」


 積極的に動く必要がないなら、真に特に異論はない。

 放置しておく事を心に決めた。


 真は素直に頷くと、資料を持った呼続と時間をズラすように教室を出た。

 絶対に、他の女子生徒に呼続と二人で歩いている所を見られたくない。


 委員会の度に女子が徒党を組んで呼続に引っ付いているのを見てからというもの、空恐ろしくなった。


 以前、ベンチで二人で昼食を食べた事や学校外で二人で会った事を知られたら、真は即座に呼び出されて陰湿にいびられるに違いない。


 雨が降っているからか、学校内は廊下の其処彼処で運動部が筋トレをしている。どこかに野球部の姿もあるのだろう。


 特に探す事もせず、その光景を見るとはなしに見ながら、真は帰路についた。


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