第118話 ありがとうございました


「お世話になりました」


 退院当日。

 久しぶりに私服へ着替えた俺は世話になった病院の入り口でじいちゃん、白花に杏、そしてはなたの5人と共に職員へ頭を下げ礼を告げた。


 然程多くない荷物をトランクに詰め込み、車が出発すると程なくして車内ではなたが不満を漏らした。


「あの……乗せてもらってあれですけど、この配置には異議を唱えます」


 はなたの不満の対象は座席の位置。運転席にはもちろんじいちゃんで助手席が俺、そして3人分の後部座席に座るのは白花、杏、はなただ。


「はなたは助手席がよかったのか?」

「違いますよ! 豊さんの隣に座りたかったんです!」


 あぁそういう事かと苦笑い浮かべていると、俺の代わりに白花がはなたの言葉に反応した。


「私も豊の隣座りたい!」

「駄目ですよ白花先輩! こういう時は後輩に譲ってください!」

「やだ! 絶対に嫌!」

「そんな子供みたいに駄々こねても私は譲りませんからね!」

「子供で良いもん!」

「そんなたわわに実った胸にシートベルトを埋めといてよく言えますね……っていだだだだ!」


 突如、はなたのシートベルトが彼女をキツく締め上げる。原因は隣で彼女のシートベルトをぎゅーっと引っ張っている笑顔の杏だ。


「涼森さん? 白花がたわわな実なら、こっちはぺんぺん草とでも言いたいのかな?」

「言ってない言ってない! いだだだ! 待って杏先輩! 私の実が潰れる!」


 賑やかな雰囲気のまま、車は目的地へ走り続ける。

 我が家に向かうには次の交差点を左折、しかし交差点に差し掛かったところでも車は減速せず、直進した。


「あれ? 豊の家に帰らないの?」


 てっきり行き先は我が家だと思い込んでいた杏が当然の疑問を投げかける。白花とはなたも同じような表情だ。


「……ちょっと帰る前に行きたい所があるんだ。じいちゃん、あれ持ってきた?」

「あぁ」

「……ありがと」


 俺達の少し異様な雰囲気を感じ取ったのか、騒がしかった後ろの3人も物静かになる。

 更に10分弱車を走らせると、杏なにかを察したように声を上げた。


「ね、ねぇ! この道って!」


 取り乱す杏の表情は心配と怯えが入り混じっていた。程なく白花とはなたの2人も目的地の見当がついたようで、不安そうに窓から景色を眺めている。


 無理も無い。何故なら向かう先は……。


「……ついたぞ」


 停車するとまずは俺とじいちゃんが車から降りる。少し遅れて後部座席の3人と戸惑いながらも続いた。


 目の前には周囲が8割方が田畑である風景に見合わぬ錚々たる施設が建っていた。


 そう、ここは母と父を失い、俺が危うく死にかけた場所。レタラ遺跡研究所だ。


「豊……」


 白花が不安そうに服をギュッと握る。この場所をよく思わないのは白花だけじゃない。杏も、はなたも、じいちゃん、もちろん俺も……みんな同じだ。


 それでも……ここに来たかった。


 入り口には立ち入り禁止と書かれた黄色いテープ。捜査員も何人かいる。その中の1人に少し大きめの荷物を持ったじいちゃんが声をかけた。


「すいません。先日ご相談させていただいた時庭という者ですが……」

「話は聞いております! どうぞ!」


 捜査員がテープを上げると、その下を俺とじいちゃんが潜り建物の中に入る。もうあの時のようにこの場所を拒否する事は無くなっていた。


 そして少し歩き続け、辿り着いたのは遺跡の最奥、祭壇のある大空洞。

 父さんと母さんが亡くなった場所だ。


「じいちゃん……あれ、出してもらっても良い?」

「あぁ」


 じいちゃんが肩に下げた鞄を開くと中からいくつかの小さな花束を取り出す。

 花束の数は5つ。ちょうどこの場にいる人数と一緒の数だ。


「はい皆、これを」


 じいちゃんが花束を順に渡していく。全員へ行き渡ると、俺は歩き出した。


 確か……このあたりだ。


 記憶を頼りに今は何も無い場所に立ち止まり、その場に花をそっと供えた。


「父さん……母さん……遅れてごめん」


 そう告げ、手を合わせた。

 これが今日ここへ来た理由だ。ずっと母さんと父さんが亡くなったこの場所に花を供えたかった。

 

 命をかけて白花と杏を守ってくれた両親にやっと「ありがとう。俺はもう大丈夫だよ」と伝えられた気がした。


 次にじいちゃんが花を供える。シワが目立つ手を合わせ、「美奈、湊……お前達の息子は大きくなったぞ……」と呟いた。


 そんな俺達の後ろから、3人の女性陣も膝をついて花を供えると、各々が祈りを始めた。


「……うっ……うぅ……」


 女性陣の中で嗚咽を堪えながら祈りを捧げていたの杏。その震える肩に優しく手を置いた。


「杏……我慢しなくていいんだぞ?」

「うぅ、うぅぅ……美奈さぁん……湊さぁん……」


 俺達の中でも、最も深いトラウマを持つのは間違い無く杏だ。

 この数年、彼女がどんなに辛かったか……その傷の深さは計り知れない。


 でも……今杏が行っているのは懺悔では無い事はわかっていた。


「ありがと……ありがとう……私達を守ってくれて……ありがとう……っ!」


 あの悪夢を乗り越えたのは俺だけでは無い。杏もだ。


 父さん、母さん……色々あったけど、父さんと母さんの元に生まれて来れてよかったよ。


 ――ありがとう。


 5年の時を超えて、記憶の奥深くに閉じ込められたあの悪夢は終わりを迎えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る