君に光を

第112話 まだ来ませんでした

 

 豊が眼を覚まさぬまま、世間は新しい年を迎えた。年が変わるその一瞬の時間も、私達は病院に無理を言って豊と共に年を越した。


 あと数日で冬休みが終わる。学校が始まってしまえば流石に今のように朝から晩まで豊のそばにいる事は出来ない。


「杏〜? 手が止まってるよ?」


 眠る豊の横で、机にノートと教材を広げた私に白花が注意する。そんな彼女も私と同じようにテーブルを挟んだ向かい側で教材とノートを広げ、右手にはシャーペンも握っていた。


「ご、ごめん!」

「急がないと間に合わないよ?」


 珍しく白花に叱られる。現在私は、冬休みの宿題に追われている最中だ。


「……ちょっと休憩しない?」

「だーめ! ちなみに私は数学終わったよ!」


 ノートをパタンと閉じた白花が身体をぐっと伸ばした。


「え……もう終わったの!? 早くない!?」

「杏がゆっくりやってるだけだよ? よし、じゃあ次は……これ!」


 次の教科の宿題に移ろうとした白花は新たにノートを鞄から取り出した。しかし、そのノートを見た私は違和感を覚えた。


「白花……? そのノート数学って書いてあるけど……数学はさっき終わったんじゃないの?」


 そう言いつつ、白花が新たに取り出した2冊目のノートには何処か既視感を覚えていると、白花はノートを顔の横に近づけ、にっこり笑った。


「これね、豊のノートなの! 私、豊の分の宿題もやってあげるの!」

「ど、どうしてそんな事を!?」

「もし豊が学校が始まる前に起きたら、宿題が終わってないと困っちゃうでしょ? だからそうなった時の為に私が豊の分も終わらせてあげようと思ったの!」

「そ、そう……」


 そう言う事であれば私も手伝ってあげたいが、生憎こちらは自分の分でさえギリギリ間に合うかどうかというレベル。豊の分は白花に任せようと決め、再びシャーペンをノートに走らせた。


「ふふ……豊が起きたらびっくりするかなぁ……もしかして『偉いぞ白花、ありがとう』って言ってキスしてくれたりして……」


 白花が妄想を口にした途端、走らせていたシャーペンの芯がパキッと折れた。


「あ、杏? どうしたの?」

「や、やっぱり私がやるよ! 白花に任せきりじゃ悪いし!」


 すぐさま豊のノートを白花から奪い取ろうとするが、白花はノートを取られまいと咄嗟に抱きかかえた。


「だめだめ! 杏は自分の分だって終わってないんだから……あっわかった! 杏も豊に褒めてもらいたいんでしょ!?」

「そ、そんなことないよ!」

 

 嘘、大正解。私だって豊の為に何かしたいし、ありがとうって言ってもらいたい。そんな私の心を見透かしたのか、白花はノートをさらに強く抱きしめた。


「駄目だからね! 豊にキスしてもらうのは私なんだから!」

「宿題をやってあげたからって、豊がキスなんてするわけないでしょ!」


 互いに一歩も譲らず、むむむと睨み合う。すると、病室の扉が開き2人の女性と1人の男性が姿を見せた。

 男は豊の親友である江夏東、女性の内1人は江夏君の婚約者、雅陽絵。そしてもう1人の女性が雅さんの友人で豊とも親交がある篠原あずさだ。


「杏ちゃん、白花ちゃん! あけおめ!」

「あっ江夏君! 雅さんに篠原さんも! あけましておめでとう!」


 私の後に白花も「おめでとう!」と続く。


「あけましておめでとうございます。波里先輩、時波先輩。今年もよろしくお願いいたします」


 そう告げて雅さんは上品な一礼を見せる。流石、世界でも指折りのお嬢様だ。

 所作1つ1つに気品を溢れさせている彼女の隣で篠原は「あけおめでーす!」と自分を崩さない。


 一通りの挨拶を終えると、江夏君が豊の眠るベッドへ近づいた。


「豊は……変わらずか」


 今来た3人が見舞いに来てくれたのは初めてではない。雅さんは当初豊がこうなってしまったことに責任を感じてしまっていたが、江夏君を始め皆の説得の甲斐もあって今ではこうして何度も見舞いに来てくれるようになった。


「豊ー! こんなに美女に囲まれてるのにまだ寝てんのかー!」


 江夏君が豊に起きろと言わんばかりに声を掛ける。しかし豊は眉1つ動かさない。

 でも、こうして豊にお見舞いが来てくれるのは素直に嬉しい。


「ありがとう江夏君」

「俺はなにもしてないよ杏ちゃん、それどころか大変な時に力になれなくてごめん」

「そ、そんなこと無いよ!」

「そう言ってくれると助かるよ……それよりも、涼森は見舞いに来た?」


 江夏君の問いに首を横に振った。あれから涼森さんは姿を見せない。見舞いに来いと言うわけじゃないけど、日頃からあんなに豊への好意を示していた彼女が1度も見舞いに来ないのは意外だった。

 彼女は現場にもいたし、あの悲惨な状況にショックも受けていたはずだった。それなのに……。連絡1つ返さない彼女には少なからずどこか思うところはあった。


「やっぱり……」


 まるで事情を知っているような言葉を口にしたのは篠原さんだった。

「なにがやっぱりなの?」と白花が尋ねると、篠原さんは江夏君と雅さんの3人で顔を見合わせて、覚悟を決めたように私達に向き直った。


「こればっかりは先輩方に伝えておかないといけないですよね……はなたが来ないのには理由があるんです」

「え? もしかして怪我とか病気?」

「いえ、体は健康です。しかし心の方が……」

「な、なにかあったの?」

「時庭先輩を襲った犬井をご存じで?」


 当たり前だ。犬井は1年前私を襲おうとした張本人、もうすぐであいつに汚されるというところを豊が助けてくれたのだ。


「……あいつがどうしたの?」

 

 そう返すと篠原は深呼吸をする。そして驚きの言葉がその口から出た。


「犬井とはなたは血のつながった兄妹なんです」

 

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