第105話 そして現在

――現在。


 私、涼森はなたは目の前で奇声と言っても良いほどの叫び声を上げ、糸がぷつんと切れたように気を失った豊さんを研究員達が利用していたであろう仮眠室のベッドで眠らせていた。

 いつもなら世界で1番大好きな人を看病できる事に喜びを感じていただろうけど、流石に今のこの状況では無理。


「……いつまでそうしてるんですか?」


 部屋の隅で抱えた膝に顔を埋める杏先輩に声をかける。豊さんが心配でついてきたのだろうが決して近づこうとはしないし、私が声をかけてもまるで反応も見せない。


「……まぁいいです。おかげで私は豊さんを独り占めできるので」


 こう言えば杏先輩はすぐムキになって張り合ってくるだろうと踏んでいたが、彼女は何も答えない。


「いい加減なんとか言ったらどうなんですかっ!?」


 苛立った私は声を荒らげた。しかし彼女の姿勢は変わらない。


「……それとも……あの男の言う通り、本当に豊さんのご両親を殺したんですか?」

「……っ!?」


 杏先輩が初めて反応を見せ、埋めていた顔をばっとあげる。その表情は何か怯える様に強張っていた。


「……ご、ごめんなさい、ごめんなさい!」


 必死に謝罪の言葉を述べる彼女の異様な様子にかける言葉が見つからない。すると、杏先輩に眉をしかめる私の背後で声が聞こえた。


「……ここは?」

「えっ!?」


 すぐさま振り向く。目の前では横になったままの豊さんが天井を見つめていた。


「豊さん! 気が付いたんですね!」

「はなた……俺は?」

「突然倒れたんですよ! 覚えてませんか?」


 しばらく沈黙が続いた後、豊さんはゆっくりと口を開いた。


「……覚えてる。それどころか……」


 ゆっくりと頭を回し、豊さんは視線を動かす。その先には杏先輩がいた。


「全部思い出した」


 その言葉に杏先輩は絶望に満ちた表情を浮かべる。そんな彼女に豊さんはベッドから立ち上がって歩み寄った。


「杏……」

「豊ごめんなさい! ごめんなさいごめんなさい!」


 怯える杏先輩に豊は手を伸ばす。元々部屋の隅で膝を抱えていた杏先輩に逃げ場は無かった。


「ゆ、豊さん!」


 今私は何を想像して豊さんを呼び止めたのだろう? 豊さんが伸ばした手に込められたのは復讐か、それとも……。

 正直どちらに転んでも私には良くは無い。それでも今は息を止め、その成り行きを見守る事しかできなかった。

 

 その結果……豊さんの手は杏先輩の頬に優しく触れた。


「杏……わかってるよ……お前が父さんと母さんを殺すわけないじゃないか」

「豊……違うの……私じゃないけど、私のせいなの……私があの時死ねば……っ!」


 杏先輩が全て言い終わる前に豊さんが彼女をギュッと抱きしめた。

 

「大丈夫……大丈夫だよ杏。俺は怒ってないだろ?」

「豊……?」

「ごめんな。今まで1人で辛かったよな?」

「私……私……本当は言わなきゃってわかってたのに……豊に嫌われるのが……一緒に入れなくなるのが怖くて……」


 杏先輩の両目からぽろぽろと大粒の涙が溢れ始める。そんな彼女の頭を豊さんが優しく撫でると、彼女は子供のように大声で泣いた。


「ごめんなさいぃぃぃ! ゆだがぁぁ! ごべんなざいぃぃぃ」

「大丈夫……大丈夫……」


 杏先輩が豊さんの胸の中で泣き続けてしばらく経った頃、彼女の嗚咽も収まりかけてきたところで今度は私の我慢が限界を迎えた。


「……そろそろよろしいでしょうか?」

「は、はなた?」

「しょうがない事はわかっていますが、この場で好きな人が他の女とずっと抱き締めあってる図を見せられる私の事も考慮していただいてもよろしいでしょうか?」

「わ、悪い!」


 不機嫌な言葉に豊さんは杏先輩を離して距離を取った。一方の杏先輩は物寂しそうな顔をしていたがこれ以上は私が暴れてしまう。


「まったく……それでこれからどうするんです? 豊さん」

「もちろん白花を助けに行くさ。大事な事も思い出したしな」

「大事な事?」

「……白花はずっと前から俺達と一緒にいた……もう1人の幼馴染だ」

「「えっ!?」」


 私と杏先輩の声が重なった。

 

「どういうこと豊? 白花が私達と幼馴染?」


 杏先輩が豊さんに疑問を投げかける。

 豊さんの幼馴染は彼女だけのはずだ。その彼女が知らないというのはどういうことなのだろう?

 

「杏は覚えてないのか?」

「あ、当たり前だよ! だって私と豊はずっと2人で……2人で……」


 急に杏先輩の歯切れが悪くなると、彼女は何かに気づいたのか、それとも思い出したと言うべきなのだろうか? 急に目を見開いた。


「……セカンド……?」

 

 その単語を口にした杏先輩は再び涙を流し始めた。


「私……どうして……あの子の事忘れてたんだろう? そうだ……あの花……あの花だ!」

「あの花? 白花が持ってた白い花の事か?」

「そう! あれはただの花じゃないの!」


 その花の事なら私も知っている。豊さんの家にあった白い花……一見ただの花だけど……それがどうしたんだろう?

 そう思ったのも束の間、私は以前にあの由良という男がある理由で我が家を訪れた際に口にした話題を思い出し、ボソッと呟いた。

 

「白い花を持ち、月白色の髪と碧眼の少女……」

「涼森さん知ってるの!?」

「い、いえ! ただ以前家にあの男の人が来た時に話していたんです」

「そう……こうしちゃいられない! 由良が狙ってるのはあの花と白花なの! 早く助けなきゃ!」


 杏先輩が立ち上がり、部屋を出ようとする。しかし、その前に豊さんが立ち塞がった。


「待ってくれ杏。ここは俺1人で行く」

「どうして!? 危険だよ! あいつは目的の為なら……」

「わかってる。だからこそ、2人を危険な目に遭わせたくないんだ。その代わりに頼みがある」


 豊さんは左手に巻いたスマートウォッチの画面を操作し始めた。


「豊さん、なにをしているんですか?」

「このスマートウォッチは預かり物でな、防犯用のSOSアプリを使えば助けが来る。杏とはなたは助けが到着次第、最奥の祭壇まで案内してやってくれ……よし、じゃあ行ってくる」


 豊さんは扉を開け、仮眠室から出ようとする。なんだか嫌な予感がした。


「豊さん!」

「なんだ?」

「無茶しないでくださいね! 一通り終わったら、まずは私とデートしてくださいね!」


 場違いな私の要求に豊さんは優しく笑うと「あぁ、わかった」と一言告げて部屋を後にした。

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