第103話 記憶は赤に染められて
ずぶりと突き刺さったナイフの辺りから徐々に白衣を赤い何かが侵食していく。
その刃は本来私に向けられていた筈だった。
しかし、その直前に私を突き飛ばし、代わりに凶刃に襲われた人の名を呼んだ。
「湊さん……?」
湊さんは何も答えない。そして湊さんより先に口を開いたのは、その胸にナイフを突き刺した張本人の由良だった。
「いやぁ〜保険って大事ですねぇ。念の為もう1本用意して正解でしたわ〜」
生身の人間に刃を突き刺した事に何かを感じる様子は由良には無い。それが信じられなかった。
不気味な笑みを浮かべたまま、由良は湊さんに突き刺したナイフを引き抜く。栓の役割をしていた刀身が無くなり、傷口からは見ているだけで貧血を起こしそうな大量の血が溢れ始めると湊さんは口からゴフッと血を吐いてその場に倒れた。
「みなとぉぉぉっ!」
最愛の人が刺された美奈さんが悲鳴をあげて、湊さんに駆け寄る。一方のセカンドは「あ、あ……」とただ立ち尽くしていた。
「湊っ! 湊ッ! あぁそんな!」
美奈さんは涙を流しながら、倒れた湊さんを抱き寄せ、その流れ出る血を血を少しでも抑えようと傷口に手を当てるが、ほとんど意味がないと悟った途端、次は恐ろしさすら感じられる目つきで由良を睨んだ。
「由良っ! よくも湊をっ! こんなことしてあなたになんのメリットがあるのよっ!?」
「それは今にわかります。セカンドを見なさい」
由良の言葉に私と美奈さんは同時にセカンドへ視線を移した。
「あ、あああぁぁぁぁ……」
目の前で起きた出来事が信じられない様子のセカンドが頭を抱え、呻き始めた。すると、祭壇を照らしていた照明がちかちかと不安定に点滅し始め、地面が揺れるのを感じた。
地震だ。それも大きい。強い揺れに広い大空洞の天井からパラパラと小石が降ってくる。
「ふふふ……あと一押しってところですかねぇ……」
この状況をまるで計画通りとでも言いたげな由良。しかしこれ以上追及している暇は無い。呼吸が段々と浅くなってきていた湊さんを美奈さんが必死に呼び続けている。
「あーあ、杏ちゃんの所為で湊さん、死んでしまいますね」
「わ、私のせい……?」
否定は出来なかった。由良の言う通り私が迂闊に近づかなければ湊さんは……。
私のせいで……湊さんが死ぬ?
「違う……私……私!」
「あ……ずちゃん……」
狼狽える私に息も絶え絶えの湊さんがそっと私の頭を撫でた。
「あん……ずちゃん……だいじょぶ……無事でよかった」
頭を撫でる手にべっとりとついた血が私の髪と頬に付く。
もし私があのナイフに気付いていれば……もし湊さんより先に反応していたら……そんな後悔から来るたらればを考えてしまうと、気がおかしくなってしまいそうだった。
「さて……時間もない。早くセカンドを覚醒させなければ……」
私達が湊さんに気を取られている間、由良は先程蹴飛ばされた拳銃を拾い、銃口を私達の方へ向けた。
「こ、こんなことして……捕まらないと思ってるの?」
美奈さんの苦し紛れな問いかけに、由良はクククとまた笑う。
「それが大丈夫なんですよ。セカンドには国家予算レベルの金が裏で動いてます。ここであなたが切り刻まれようが、頭を撃ち抜かれようが……事故として処理されるでしょうね。まぁそのセカンドも処分が決まったんですけど……まぁあの花さえあればなんとでもなるので」
由良が祭壇の白い花を見つめる。つられて美奈さんも同じ方向へ視線を移す。
「花? あの花がなんなのよ!」
由良が祭壇の奥にある壁画を指差す。
「この地に眠っていた伝説で3000年も昔から存在する花なんです。この遺跡に隠されていたんですよ」
「そんなの聞いた事がないわ! この遺跡は3000年前にこの地で暮らしていた民族の文化を記したものでしょ?」
「表向きは……ね? あの壁画に書かれてたメッセージはこうです」
「白き神。泣けば空が泣く。笑えば天も笑う。そして真の目覚め、地は鎮まり、花は輝いて願いを叶えん」
「……ッ!!」
美奈さんが何かを察したようにセカンドとその傍の白い花を見つめた。
「流石に気づきましたか……要するにセカンドの力が完全に目覚め、花が輝いた時……願いを叶えてくれるそうですよ」
「そんな……そんなおとぎ話! 信じるなんてどうかしてるわ!」
「だがしかし実際これがほんとっぽいんですよ。太古の昔、この花の力で部族の長になった者の記録には白い髪に青い瞳の少女の事が書かれてました。その少女にわざと苦痛を与え、雨を降らせて飢饉をしのいだとか」
美奈さんは信じられないといった様子で、白い花とセカンドを見比べる。当のセカンドは必死に首を横に振った。
「私……私……そんなの知らない! こんな花なんて知らないっ!」
「お前の意見なんて誰も……うわっ!」
その時だった。由良がセカンドに気を取られた刹那の隙を見逃さなかった美奈さんが由良に飛び掛かった。
「は、離せっ!」
「逃げなさいセカンド、杏! その花を持って!!」
美奈さんの決死の叫びにセカンドは「でも、でも!」とすぐに行動に移さない。私も上手く立ち上がれない。
「早く! きっと迎えに行くから!」
バァン!
1発の銃声が鳴り響く。美奈さんは体をビクッと1度跳ねさせ、その場に崩れ落ちた。
その腹部からはどくどくと血が流れており、私は茫然とそれを見つめる事しかできずにいると、同じようにその光景を見ていたセカンドが再び頭を抱えて……発狂した。
「いや……いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっ!!!」
再び地面が先程よりも大きく揺れる。研究資料が詰められた棚は軒並み倒れ、遺跡の一部である天井が崩れ落ちた。するとなんの偶然か、崩れた瓦礫は私達や由良とセカンドを綺麗に分断するような形で積み重なり、巨大な壁となった。
「くそっ! これは想定外だ!」
由良がすぐさま出口へ向かう。きっと向こう側に通じる非常通路の方へ回ったのだろう。
すでに息絶えた美奈さんと、湊さんを見て放心状態の私には目もくれず。
「美奈さん……湊さん……?」
私のせいだ。
私が安易に由良へ近づかなければ湊さんは死ななかった。私が一緒に飛び掛かっていれば美奈さんは撃たれる事も無かったかもしれないのに……。
2人共私のせいで……死んだの? それじゃあまるで……。
――私が殺したようなものじゃない。
2人の血が私の元までどくどくと流れてくる。両手はすでに血に染まっていた。
これが私の手……。
大好きな人の家族を殺した己の両手を只々見つめていると、静寂に包まれた空間に足音が近づいてくる。姿を見せたのは今一番会いたくなかった人……豊だった。
「あ、杏……? その2人は……」
豊の問いかけに沈黙で返す私。そして2人の倒れている人物が自分の両親だと気づいた途端、豊は両親と同じように膝から崩れ落ちた。
「なんで……どうして……」
目の前の光景を信じられない豊の呼吸が徐々に荒くなる。
「嘘だ……杏がそんな……噓だ噓だ噓だ噓だっ!」
私と同じように、正気を失ったのは豊も同じだった。しかし私は豊のように取り乱しはせず、ただ何も言わず、静かに豊を見つめていた。
彼の両親の血だまりの中で、私はどんな顔をしているのだろう? 「違う、私じゃないの」と言えばよかった……でも言えなかった。
「母さん……父さん……あ、うわぁぁぁぁぁぁっっ!!」
あの悪夢の日、あの空間で最後に聞こえたのは豊の悲鳴だった。
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