第93話 ここには思い出がいっぱいでした


 ついにここに来てしまった……。


 鼓動が強まる。酸素が薄いわけでもないのに上手く息ができない。

 額からは脂汗が滲み出ている俺は5年前両親が亡くなった場所、レタラ遺跡へ来ていた。


「……変わってないな」


 両親を亡くしたあの日の事はよく覚えていない。しかし天候に左右されずようにと、遺跡を覆うように建てられた田舎町に似合わない壮大な作りの研究所は俺が思い出せる光景とあまり変わらなかった。


「……よしっ!」


 時刻は午後20時20分。日はとっくに沈み吹雪の影響で積もった雪をギュッギュッと音を立てて踏み締めながら入り口のゲートに雅から借りたカードキーを通す。

 正常に認証できた事を示すランプが青く点灯すると、スライド式の2枚扉が左右に開いた。


 恐る恐る足を一歩、また一歩と進める。その度に鼓動が周囲の音すら聞こえなくなるほど煩くなる。

 すかさずポケットから由良が置いていった精神安定剤を2.3錠取り出し、水も使わず一気に飲み込んだ。


 気に食わないがこれが無いと、どうにもならないな……。


 たまにニュースやドキュメント番組で見かける薬物中毒者の気持ちなんて死ぬまでわかる事無いと思っていたが……現に今、この薬が無いとまともに歩く事すらできない。


「白花……どこにいるんだ」


 誰もいないロビーを歩く。人のいる時間帯はきっと受け付けなのだろうと思われるカウンターの横に設置された古びたベンチを見ると幼い頃の記憶が蘇った。

 

 よくあの場所に座って父さんと母さんの仕事が終わるのを待っていたっけ……いや待て、今はそんな事考えている暇はない。早く白花を助けないと。


 しかしこの広い施設の何処に白花がいるのかは見当もつかない。


 施設の最奥まで続く廊下を進む。人影はないが電灯は普通に灯っている。それが不気味さ醸し出していた。

 

 この辺りも覚えている……何度も通った事がある。

 そうだ……小さい頃ここで杏と競争した事があったな……それで途中で杏が転けて、泣いて……決着がつかないまま俺が杏を慰めたんだ。

 

 正直、杏が今ここにいなくて良かった。きっと彼女は俺がここに来るのを許してくれないだろうから。

 でも、思い出した。あの事故が悲しすぎるだけで本来ここには楽しい思い出がいっぱいだったと。


 廊下を進む度に様々な記憶が蘇ってくる。

 資料室と書かれた部屋に入り、書類をひっくり返して紙の山に埋もれた俺を母さん父さん含め、当時の職員が笑っていた事。この廊下の壁に落書きをして叱られた事。


 ――杏と彼女……


 そう思った瞬間、俺は立ち止まった。


 ……待て。俺は今、杏ともう1人誰を思い浮かべた?

 この施設で歳が近かったのは杏だけ……一緒にいたのも彼女だけのはずだ。なのに今頭の中に浮かんだもう1人の少女は誰だ……?

 

 始めたばかりのジグソーパズルのようにバラバラな記憶の中で、確かに存在をほのめかす少女の影。しかし外見や声などは何1つ思い出せない。

 

「君は……誰なんだ……?」


 ポツリと呟いた小さなその声は白く染まった廊下に反響することなく溶け込み、消えて無くなる。

 

 その時だった。

 

「だ、誰ですかっ!?」


 突如背後から聞こえたその声にすぐさま振り返る。

 目に映ったのは小柄でショートボブの少女が1人立っていた。

 

 まさか……なんでここに!?


 驚きと疑問が入り乱れる中、俺は彼女の名を呼んだ。


「はなた!?」

「え……ゆ、豊さん!?」


 目の前にいたのは涼森はなただった。


「豊さん! どうしてここに!?」

「それはこっちのセリフだ! はなたこそどうしてこんなところに!」

「私は……ちょっと用事があって……それよりも豊さん大丈夫なんですか? ここは豊さんの……」

「それは大丈夫だ」

「そうですか……どこへ向かっているんですか?」

「……実は」


 俺は白花が誘拐され、この施設のどこかにいる事をはなたに話した。

 話を聞いた彼女は今まで見た事ない程の動揺で強張った表情を浮かべた。


「嘘……白花先輩が? ……警察! 警察に知らせなくっちゃ!」

「警察は駄目だ! 事を大きくしたら白花の身に何が起きるかわからないんだ」

「そんな……でも一体誰が白花先輩を?」

「白花をさらったのは……由良さんなんだ」

「えっ!」


 はなたは更に驚いた表情を浮かべる。


 そうだ。詳しくは知らないが彼女と由良さんはお互いを知らない間柄ではなかったはずだ。


「由良さんが白花先輩を……? どうしてそんなことを」

「理由は俺にもわからない。でもそんな事どうでもいい……俺は白花を助ける」

「わ、私も手伝いますよ! 力になれるかはわかりませんけど!」


 彼女の言葉は正直嬉しかった。場所が場所なだけにこのまま1人で進むのは不安だった。


「ありがとう。はなたがそばにいてくれるだけでも嬉しいよ」

「……ッ!!」


 急に頬を赤らめたはなたは両手を頬に当ててもじもじと動き出す。その表情はこの場の空気に見合わずなんだか嬉しそうだった。


「ゆ、豊さん……こんなところで……」

「……? 何か変なこと言ったか?」

「……はぁ、相変わらずナチュラル女たらしの称号は健在ですね……ほら行きましょう! 早く白花先輩を助けないと!」

「あ、あぁ!」


 俺ははなたと長い廊下を進み、施設の奥へと向かった。

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