第92話 住む世界が違いました

 

 白花が攫われた。

 

 事実を知った俺は居ても立っても居られなくなり、家を飛び出した。


 彼女を攫った張本人である由良は「君が最も忌み嫌う場所に来い」と言っていた。

 

 そんな場所、1つしかない。

 

 白花を救い出す為、俺は自身のトラウマである。あの場所へ向かう事を決めた。

 あの場所へ行く。そう思うだけで体は震え、息が苦しくなる。

 

 それでも俺は白花を助け出す。

 しかし、1人ではあの厳重に管理されたあの場所へ入るのは不可能。入るには伝手つてが必要だ。

 だから、俺はある人物を頼ることにした。幸運にも身近にいた俺の望みを叶えられるあの子に……。


「ここか……」


 教えてもらった住所に辿り着くと、そこには漫画の世界でしか見たことないような豪邸が建っていた。

 門から玄関までが遠く、隅々まで手入れされた広い庭の中心には金持ちの象徴なのか、立派な噴水が鎮座している。

 あきらかに場違いな自分に気後れしつつも、今はそんな暇は無いと目的の人物に会う為、インターホンを押した。


『……はい、です』

「時庭と言います。陽絵さんはいらっしゃいますでしょうか?」

『……時庭様ですね。お嬢様から話は聞いております。どうぞお入りください』


 インターフォンから聞こえた渋い男性の声がそう言うと同時に大きな門が自動で開き始める。

 中に入り、大きな玄関扉の前まで辿り着くと、中から燕尾服の老紳士が現れた。


「時庭豊様。ようこそいらっしゃいました。どうぞこちらへ」

「お、お邪魔します……」

『お嬢様はお部屋でお待ちです。ご案内いたします』


 老紳士の後をついて歩く。

 まるで学校のようなスケールの長い廊下に飾られた陶芸品や絵画は、きっと俺が数十年働いてやっと買えるかどうかの品ばかりなのだろう。


「こちらです」


 とある扉で立ち止まった老紳士がそう告げると、コンコンと扉をノックする。

 扉の向こうから「はい」と返事したのは女性の声だった。


「お嬢様、時庭様がお見えになられました」

「どうぞ、お通しして」


 許可を得た老紳士が扉を開けると見えたのは高級ホテルの1室のような空間。

 高級感溢れる家具に足元はフカフカの絨毯。中央に置かれた革製のソファーの前で手を前で組んで立っていた少女が俺にお辞儀をした。


「ようこそいらっしゃいました。時庭先輩」


 老紳士が扉を閉め、2人きりとなった室内で彼女は俺に優しく微笑む。

 彼女の名はみやび 陽絵ひのえ

 俺の親友である江夏 東の婚約者だ。


「急にすまないな。雅」

「いえいえ。とりあえずおかけになって下さい」


 促されるままにソファーに座ると、その反対側のソファーには雅が腰を掛けた。


「今、お茶を持ってこさせますね」

「お、お構いなく! あまり時間も無いし……」

「……あら、そうなんですか? それで話というのは?」 

「……あの場所に入りたいんだ」

「……ッ!?」


 普段おしとやかな彼女は珍しく驚きの表情を見せるが、それもそのはず。

 まさか俺からそんな言葉を聞くとは思わなかったのだろう。


「時庭先輩!? それってどういう事ですか!」

「言葉のままだ。あの場所に行きたい。でもあそこは厳重に管理されているし、施設内に入る為にはカードキーが必要だが、昔と違って部外者の俺じゃ入る術がない」

「それで私を頼ったと……」


 あの場所は俺の両親の事故からしばらく封鎖されていた。しかしここ最近になって再び発掘作業を再開させたのだが、それにあたってスポンサーとして資金を提供したのが他でもない彼女の父親が経営する会社なのだ。


「頼む……カードキーを用意してくれないか?」

「で、でも……なんで急にそんな頼みを? それにあそこは……」


 彼女の言わんとしている事はわかる。あの場所は俺にとって最も忌むべき場所。友人達は俺の前ではあの場所の話はしないと約束を交わす程なのに、その話を俺から切り出したのだから。


「わかってる……それでも必要なんだ。お礼はする……きっと雅が欲しがる物だ」

「わ、私が欲しがる物? 嫌みに聞こえたら申し訳ありませんが両親のおかげで裕福に暮らせてますので、欲しい物はあらかた持ってますし今はこれと言って目ぼしい物など……」

「東が幼稚園の時の写真だ。パンツ一丁のもあるぞ」

「もしもしッ! 今すぐ用意してほしいものがあるのッ!」


 俺の提案を聞くや否や、彼女は驚きの速さで使用人に指示を飛ばす。そしてハッとした顔で我に帰った。


「い、今のはえっと……!」

「大丈夫。東には黙っておくよ」

「う、うぅ……流石私の未来の旦那様の親友ですね。それで、いきなりあの場所に行くと言い出した理由を聞いても?」

「実は……」


 俺は雅に事の経緯を話した。

 白花が由良さんに誘拐され、あの場所に監禁されている事を――。


「そ、そんな……あの研究員が時波先輩を……で、でもそれならちゃんと警察に!」

「駄目なんだ。変な行動を起こすと白花が危ない」

「で、でも私! そんな危険な場所に1人で送り出す手助けをするなんて……やっぱり駄目です! カードキーは渡せません!」

 

 声を荒げて雅は立ち上がる。それでも引くわけにはいかない俺は彼女に頭を下げた。


「頼む! 白花は今も泣いているんだ……『豊、助けて』と言ったんだ……」


 俺の行動に彼女はたじろぐ。そして少し口を噤み大きく息を吐いて再びソファーに座った。


「……わかりました。では、時間もないでしょうし、最後に1つ気になる点を聞いても?」

「なんだ?」

「あの……時庭先輩はあの場所の話題を聞くだけでも、あんなに取り乱していたのに……どうして今は平気そうなんですか?」

「それは……これだ」


 当然の疑問を持つ雅に俺はある物を差し出した。


「これは…‥薬?」


 俺が彼女に見せたのは先日由良さんが置いていった精神安定剤だった。


「精神安定剤だ。飲むまでは半信半疑だったが、おかげでこれを飲めば、あの場所……の話をしてもかなり楽なんだ」

「あの遺跡の名前を口にしても、大丈夫なんですね……しかしそれでは一時的に体を誤魔化しているだけですので、それをお忘れ無く」

「あぁ……わかってる」

「なら良いです。では、カードキーとは別にもう1つ持っていってもらえませんか?」


 雅は再び使用人に連絡を入れると、「この前届いたあれも持ってきて」と指示した。

 

 そして1〜2分後、部屋の扉がノックされると先程の老紳士がカードキーともう1つ、奇妙な物を持ってきた。


「お待たせしました」

「ありがとう……さて時庭先輩、カードキーとこれも持って行ってください」

「これは……?」


 何故こんなものを?


 それを見た俺が抱いた第1の感想だった。

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