第85話 なんだか放っておけませんでした


 民宿に帰り、夕食の時間を迎えても一ノ瀬会長は元気が無かった。


「……ご馳走様でした」


 食事を終えた一ノ瀬会長は食器を片付けそそくさと自室へ戻る。

 そんな彼女に、はなたも感じるものがあったようだ。


「一ノ瀬会長……どうしちゃったんですか? 豊さん何か知ってます?」

「実は……」


 俺は、はなたに今日の出来事を話した。会長に「一緒に帰らないか?」と誘われた事、そしたら規律や風紀を重んじる彼女が珍しく「寄り道したい」と言い出し驚いた事、そしてコーヒーをズボンに零された事。


「……わかりました。とりあえず、会長が豊さんと2人きりで帰った事に異議を唱えたいですけど我慢します。それで会長は他に変わった様子はありませんでしたか?」

「んー……そう言われてみれば、なんとなくだけどいつもと雰囲気が違った様な……」


 確信は無い、それでも今日の一ノ瀬会長は何処かおかしかった。彼女のポリシーに反する様な言動、喫茶店にいた時だって心ここに在らずと言った時もあった。


「もしかして……あの噂、本当なのかな」


 不意にはなたがそう呟いた。


「あの噂?」

「……実は一ノ瀬会長、ここ最近クラスで浮いているみたいなんです」

「え?」

「会長って元々自分にも他人にも厳しい性格じゃないですか? 釧路に来てからも、なんでも自分から率先してやってたみたいなんですけど、先日大きなミスをしちゃってクラスに迷惑をかけちゃったみたいで……それ以降、会長とクラスメイトの間に溝が出来ているらしいんです」

「……もしかして、今日会長の様子がおかしかったのも……」

「……責任感が強い会長ですけど、もしかしたら豊さんに頼りたかったのかもしれませんね」


 それで俺を誘ったけど、そこでも失態を犯してしまって更に追い詰められたという事か。

 もし、はなたが言った一ノ瀬会長の噂が本当なら、このまま彼女を放っておけない。力になれるかはわからないが1人でいさせるよりはマシだろう。


「俺、ちょっと会長の所に行ってくるよ」

「そうですか……まぁ私も会長のらしくない姿は見たくありませんし、本当なら豊さんに会長を独り占めされたくありませんけど……会長は豊さんを頼ったので今回ばかりは我慢します」

「……ありがとう」


 はなたへ感謝の言葉を告げて、俺は一ノ瀬会長の部屋へ赴くと扉を2回ノックした。


「会長? 入ってもいいですか?」

「と、時庭豊? ちょっと待ってくれ!」


 言われた通り、俺は扉の前で彼女を待つ。

 数秒後、扉が開き一ノ瀬会長が姿を見せたが、目が少し赤く腫れていることに気づく。


「す、すまない待たせたな……それで、どうした?」

「ちょっと話しませんか? お邪魔しても?」

「え? まぁ、構わないが……」


 入室の許可を貰った俺は、彼女の部屋に入る。

 室内は隅々まで掃除が行き届いており、彼女の几帳面さが伺えた。


「も、もし嫌じゃなかったら、ベッドに腰掛けてくれ」

「じゃあ失礼しますね」


 俺がベッドに腰掛けると、どういうわけか彼女は俺の目の前で正座を始めた。


「いやいや、この図はおかしいでしょう! なんで会長が床に正座するんですか!?」

「いやその、自分の部屋……と言っても仮の部屋だが、それでも自分のプライベートスペースに家族以外の男性を入れるのは初めてで……」

「だからといって床に正座する必要ないでしょう!?  とりあえず会長もベッドに腰掛けて下さい!」

「あ、あぁ……」


 会長が素直に俺の隣に腰掛ける。しかし落ち着かないのか彼女はそわそわと視線を彷徨わせていた。

 

「それで……話とは?」

「はなたから聞きましたよ。会長、最近クラスで上手くいっていないんですって?」

「……そうだ。我ながら情けない事にな」

「詳しく聞いても?」


 そう尋ねると、彼女は少し考え込んだ後、ぽつりぽつりと話し始めた。


「私はこれまで、誰かのお手本になれるように努めてきた。自分にできる事はなんでも率先して行い、交換学生としてこっちの学校に来てもそれは変わらなった……しかし先日、重要な提出物の期限を誤ってクラスメイトに伝えてしまったのだ……私の過ちは期限当日になって判明、それ以来クラスメイト達からは距離を置かれているように感じてな……」

「噂通りですね……もしかして今日俺を寄り道に誘ったのはその事を相談したかったからですか?」

「どうなんだろう……はっきりとそう考えていたわけじゃないが……なんとなく1人で帰りたくなかったんだ。でも、せっかく君がついてきてくれたのに喫茶店で大きな迷惑をかけてしまった……私は、本当に駄目な人間だ」


 

 一ノ瀬会長が肩を震わせながら俯いた。

 目には涙が溜まり、その雫が頬を伝う。俺はそんな会長にハンカチを差し出した。彼女はそれを素直に受け取ると、涙を拭く。

 きっと俺を頼ったのも追い詰められた彼女なりの防衛本能なのだろう。

 話を聞いてくれる人、頼れる人、彼女は俺を選んだ。ならば俺は彼女を見捨てる事はできない。

 しかし話を聞く以上にもっと良い方法がある。


「よし会長! 着替えてください!」

「き、着替えてって……何に着替えるんだ?」

「もちろん運動できる格好にです!」

「運動!? どうしていきなり……」

「どうしてもなにもこれから走り行きますよ!」


 

 

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