第84話 様子が変でした
残す所、あと2週間となった釧路生活。恵花市へ帰りたい気持ちは変わらないがここ最近はこの土地を離れる寂しさも感じる様になっていた。
「はぁ……」
放課後を迎えると、隣の席に座る野崎が溜め息を吐く。いつも明るい彼女の珍しい一面に思わず声をかけた。
「野崎? 溜め息なんかついてどうしたんだ?」
「なんか……あと2週間で時庭君が帰っちゃうと思うと寂しくて……」
「え……俺?」
まさかの理由に言葉に詰まる。
「た、確かに俺も寂しいけどさ……連絡先もあるしそこまで落ち込む事ないんじゃ無いかな?」
「……時庭君、ずっとこだちにいればいいのに」
そう呟きながら顔を俯かせる彼女に思わずドキッとしてしまう。
その言葉の意味は? しかしそう尋ねる暇もなく教室の入り口から、誰かが俺を呼んだ。
「時庭豊!」
俺の知る中で他人をフルネームで呼ぶ人物は1人しかいない。
「一ノ瀬会長、どうしたんですか? わざわざこっちのクラスまで来るなんて珍しい」
席を立ち、一ノ瀬会長の元まで向かった俺がそう尋ねると、彼女は目線を反らし人差し指で髪の毛をくるくると巻きながら小さめの声で答えた。
「まぁなんだ……その……良かったら今日は一緒に帰らないか?」
「えぇもちろん。いいですよ」
俺の即答に彼女は少し呆気にとられた表情を見せつつも、すぐに嬉しそうに微笑んだ。
「そうか……じゃあついでと言ってはなんだが、どこか寄っていかないか? 例えば喫茶店とか」
「え!?」
その言葉に驚いた。普段は規律や風紀を重んじ、放課後を迎えたら用の無い生徒は速やかに帰宅し明日の学業に備えろと言っていた一ノ瀬会長からそんな言葉が飛び出てくるとは思いもしなかったからだ。
「どうしたんですか会長!? 遅めの反抗期でぐれちゃったんですか?」
「うるさい……行くのか行かないのか、それだけ答えろ」
「もちろん、俺は構いませんけど」
「良し、そうと分かれば早速行こう。早く荷物を取ってこい」
言われるがまま俺は荷物を取るためにすぐさま自分の席に戻る。一瞬目に映った野崎が寂しそうな表情でこちらを見つめていたのは気になるが、 人を待たせているので「じゃあまた明日な」と一言だけかけて彼女に背を向けると、一ノ瀬会長と共に校舎を後にした。
一ノ瀬会長に連れられたのは学校近くの喫茶店。年季の入った店内には5~60代の女性2人が世間話に花を咲かせ、他の席では1人の男性客がナポリタンを食している。
一方、レモンスカッシュを飲む俺の向かいに座る一ノ瀬会長はコーヒーに角砂糖を2つ入れて、マドラーでかき混ぜていた。
「私の我儘に付き合ってもらって悪いな」
「いえ。それにしても本当に珍しいですね。会長が下校途中の寄り道に付き合えだなんて」
「……私だって羽を伸ばしたい日ぐらいあるさ」
一ノ瀬会長はコーヒーを一口飲む。そしてカップを置いた彼女は何処か遠い目をしている。
その表情に俺は彼女が何か思い悩んでいるように感じた。
「会長?」
「……」
「かーいちょー」
「ん? あ、あぁ! すまない……うわっ!」
動揺した彼女はコーヒーが入ったマグカップを倒してしまう。すると勢い良く零れでた中身はテーブルを伝って俺の膝の上にかかると、あまりの熱さで俺はその場を飛び跳ねた。
「あっつ!!」
「す、すまない! 大丈夫か!?」
慌てた一ノ瀬会長がおしぼりでコーヒーが染み込んだ辺りを拭いながら、そのままベルトを外そうとバックル部分に手をかけた。
「これはいけない! 早く脱がないと!」
「会長! ちょっと待ってください! ここで脱いだらいろいろ問題が!」
しかし俺の言葉は一ノ瀬会長に届いていない様子。ガチャガチャとバックルを弄り、ズボンを下ろそうとしてくる彼女に俺は逆にズボンを引き上げて抵抗する。
「ちょっと! 本当に脱げますって!」
「何を言う! これは私の責任だ。ちゃんと私が脱がす!」
「会長! いや、ちょっと待って!」
しかし抵抗もむなしく、一ノ瀬会長はベルトを取り外しズボンのボタンを外すと、そのままジッパーを下げ始めた。
「か……かいちょー……」
止まらない彼女に情けない声が出てしまう。一部始終を見ていた他の客達は会話や食事の手を止めてこちらを凝視している。
「お客様! 他のお客様もいますので、この場で脱がれては困ります!」
見かねた店員が大量のおしぼりを持って俺達の元へ飛んでくる。
「一ノ瀬会長、ひとまずここは大人しくしておきましょう。話はそれからでも」
「……すまない」
ようやく止まった彼女は俺のズボンから手を離す。俺はおしぼりで服に付いたコーヒーを拭い、たまたま体育の授業で使ったジャージに着替えた。
「時庭豊……大丈夫か?」
「えぇ……幸い火傷もなさそうですし」
「……すまなかった」
少しの沈黙の後、一ノ瀬会長が呟くように謝罪した。結局、その後すぐに店を後にした俺達は民宿「森と海」へ帰る事にした。
しかし道中、終始その背中を丸めて歩みを続ける彼女には普段の凛とした立ち振る舞いは見る影も無かったのだ。
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