第77話 降り始めました


 迎えた五重奏クインテット流星群当日。

 この日を心待ちにしていたと言わんばかりに世間は出店や催し事を開き、お祭りムード一色。

 ある者は家族と、またある者は恋人と。それぞれの想いと共に奇跡の夜空を見上げるのだろう。


「時庭君……本当にいいのかい?」

「もちろんですよ。気にかけてくれてありがとうございます」


 この特別な夜を1人で過ごそうとしている俺に伊鈴さんは気を遣って一緒に見ようと誘ってくれた。しかしその必要は無い。こんな日だからこそ夫であり愛する人である繁人さんと2人きりの時間を過ごしてもらいたいものだ。


「そう……気が変わったらいつでも言ってね?」

「はい、ありがとうございます。それじゃあ俺、適当に散歩してきます」

「……わかったわ。行ってらっしゃい」


 少し心配そうな伊鈴さんを背に防寒の為、厚着をした俺は外に出ては当てもなく歩き始めた。特に不貞腐れているわけでは無い。1人で見たかったと言えば嘘になるが、俺がいる事で余計な気を使わせてしまうのは嫌だった。


 流星群が見える予定の時間まであと少し、まだ星が流れていない夜空を見上げているとスマホが着信を知らせた。画面には杏の名前が映し出されていた。


「もしもし?」

『あっ豊? いまなにしてる?』

「散歩中、杏は両親と一緒に流星群を見るんだろ?」

『うん、この日の為に仕事の調整したんだって』

「そうか。良かったな家族と見れて、ちなみに白花も一緒に見るのか?」

『それがね、源さんも仕事で北海道にいないし白花1人にするのも可哀想だったから誘ったんだけど、あの子違う人と見る予定があるみたいで朝から出かけてるの』

「……へぇ、意外だな」


 平然を装いつつも、心の中では白花が誰と流星群を見るのか気になっている自分がいた。しかし誰と見ようが彼女の自由、俺がとやかく言う資格は無い。


『ねぇ豊? 豊は誰かと見るの?』

「1人に決まってるだろ?」

『……そっか……良かった』

「おい、俺がぼっちで嬉しそうだな」

『えっ!? いやいや、そういう事じゃないよ!』

「じゃあどういう事なんだよ?」

『それは……その……あっ! お母さん呼んでるから切るね! また後で連絡するね!』

「あっおい!」


 しかし俺が止める前に一方的に通話は終了された。

 

 その後俺は人気ひとけの無い川辺に腰掛ける。上を見上げると流星群など見えずとも今のままで十分すぎるほどに美しい無数の星々が夜空を彩っていた。

 それでも心ここにあらず。頭の中には……ずっと彼女……白花が浮かんでいた。


 白花が俺に恋をしている。ここ数日、この言葉が数えきれないほど頭の中をぐるぐる回っていた。

 嘘か本当か……当の本人に聞くのが1番手っ取り早いがそんな事が出来るのならこんなに悩んでなどいない。それに「やっぱり思い過ごしでした」となって白花が俺に抱く感情が恋なのでは無く、勘違いだと判明したら想像しただけでも恥ずかしさで悶え苦しんでしまう。

 そして忘れてはいけないのが白花は本来俺とは出会うはずのなかった人間だという事。こうして一緒に暮らしているのも偶然に偶然が重なった結果で、それも長く続かない。彼女が失った記憶を取り戻せば……本当の家族が見つかれば……今の生活は終わってお互い離れ離れになる。元の生活に戻れば彼女は次第に俺の事など忘れるかもしれない。

 まとまりきらない思考を巡らせる。やはり根本的な答えは見つからない。


「……あ」


 空に流れた一筋の星に思わず声を漏らした。もう1つ、2つと徐々に数を増やしていき、やがて目に映る夜空全てが数多の流星で埋め尽くされていく。


 そう、五重奏流星群が始まったのだ。


「すげぇ……」


 まさに圧巻の一言。五重奏クインテットと名の通り無数の星が重なり合うその光景はまるで星々が奏でる大演奏会のよう。不思議と聞こえるはずの無い音色さえ聞こえてくる程の美しい夜空に俺は息を忘れる程見入ってしまっていた。


 今この時、多くの人々が同じようにこの空を見上げて願いを込めているのだろう。きっと白花も、友人と共に目をキラキラさせながら……。


 もし……もし俺が今も恵花市にいたら彼女は俺の隣でこの美しい夜空を眺めてくれただろうか? 「凄いね」って「綺麗だね」と無邪気な笑顔で、いつものように俺の名を呼んでくれただろうか?


「豊!」


 そうそうこんな風に……えっ?


 今のは俺の中の白花の声ではない。しかし、確かに聞こえた声に思わず後ろを振り返ると星や月明かりに照らされた美しい月白げっぱく色の髪が目に映る。


「豊……やっと会えた……」


 そこにいたのは紛れも無く白花だった。


「え……し、白花!? ど、どうしてここに!?」


 混乱する俺に彼女はなにも答えず、優しい笑顔を浮かべながら近寄る。


「お、お前は友達といるはずじゃ? それに……ッ!?」


 突如俺の言葉は白花に遮られ、同時に頭が真っ白になる。

 

 俺の背中に腕を回して抱き着く彼女。約2ヶ月ぶりの香りが鼻腔をくすぐる。


 星が降り注ぐ空の下、頬を撫でる風もすぐそばを流れる川の音も何も感じなくなった途端にやっと理解できた。

 彼女は何も言わない。言える筈がない。何故なら


 柔らかな感触と唇に掛かる微かな吐息、そして目を閉じながらも頬を赤く染める彼女の顔だけがぼやけた視界に映る。


 ――白花は俺にキスをした。

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