第72話 増えちゃいました


「白花〜! また自分の部屋で寝ないで、ここで寝てるんでしょ!?」

 

 10月某日、午前8時。

 まだ布団からベッドから起き上がる事の出来ない私を見かねた杏が扉を少し強めにノックする。


「うーん……」

「もう! 入るよ!」


 勢い良く室内に突入した杏はそのまま私から掛け布団を引き剥がすと、冷えた空気が私の体を縮こませた。


「うぅ……寒いよ杏……」

「全く! 前も言ったでしょ! ちゃんと自分の部屋で寝なさい!」

「だってぇ……」

「だってじゃない! ほら朝ごはんだから着替えてきて! 私が豊!」


 渋々起きあがり、半分程度しか開いていない目を擦りながら私は隣の自分の部屋へ向かう。

 そう、私は最近豊の部屋で寝ている。

 あのベッドで眠ると大好きな豊の匂いに包まれて、豊がそばに居るような気がする。おかげで彼が傍にいない寂しさもだいぶ楽になるけれど、その度に杏に怒られる。でも辞められないし、辞めるつもりも無い。

 

 それに――杏だって人の事を言えない。

 自室でパジャマを着替えた私が再び豊の部屋に戻ると、目の前には豊のベッドに寝転がり枕に顔を埋めていた杏が目に入ってそう思った。


「杏……何してるの?」

「……し、白花!? これはね、その……」

「杏だって豊のベッドで寝てるじゃん! ずるい!」

「白花はずっと寝てたでしょ! 私だって豊がいなくて寂しいんだからね! ほ、ほらご飯行くよ!」

「あっ! 杏誤魔化した!」


 豊のいない3人での朝食を終えると、杏は「用事がある」と言って1度自宅に戻り源さんは仕事へ向かった。束の間の1人の時間、私はリビングのテレビでドラマを見ていた。画面に映っているのは主人公の男性が病気で余命を告げられた女性と恋に落ちる話。凄く切ない話だけど夢中になって見入ってしまう。


『カナ! 俺はお前が好きなんだ!』

『私もタケルの事好きだよ! でも……私はあなたの事、絶対に不幸にしちゃう!』

『そんなことどうでもいい! 俺はカナといたい!』

『でも、私に残された時間は少ない! だからタケルはタケルの人生を……ッ!?』

 

 取り乱すヒロインに主人公がキスをすると、エンドロールが流れて今週の放送が終わる。余韻に浸りながらテレビを消し、ソファに座ったまま天井を見上げて先程のキスシーンを思い出した。


 キスかぁ……好きな人にするものだとは知っているけれど豊はもちろん、杏や源さんにもして良いものなのかな? でも、それはちょっと違う気がする。もしキスをするなら……誰よりも豊としたいと真っ先に思えるけど、どうして豊なんだろう? 豊の事は大好き。でも杏や源さんだって大好きなのに……。


 理解できない感情に頭を悩ませていると、家のインターフォンが鳴り来客を知らせた。


「誰だろう? 杏なら合鍵持ってるし、インターホン鳴らさないで入ってくるから違うよね……宅配かな?」


 待たせるわけにもいかないのでソファから立ち上がり、インターホンの応答ボタンを押すと画面には黒髪を束ね、丸淵眼鏡をかけた美しい女性が写った。


「はい、どちら様でしょうか?」

『あれ!? 女の子の声ってことは、もしかしてあなたが白花ちゃん!?』

「そ、そうですけど……」


 彼女は私の名前を知ってるみたいだ。でも、彼女に見覚えは無い……はず。


「ふふ、時庭家に女の子が住み着いたって聞いてたけど本当だったのね。あ、源先生はいらっしゃる?」

「源さんは仕事に出ています」

「まだ働いてるのね……相変わらずだわ〜! じゃあお土産渡したいから出てきてもらっていい?」

「わ、わかりました……」


 源さんを「源先生」と呼ぶという事は考古学の仕事仲間かな? などと思いながら玄関へ向かい、扉を開ける。するとインターホンのカメラ越しに見た女性が現れては私を見て驚きの表情を浮かべた。


「わぁー! 生で見ると本当に可愛い子! ちょっと髪触っていい?」

「わわっ!」

「綺麗な髪ねぇ……それにこの青い瞳……」


 驚く私に構わず、私の髪を撫でては頬に手を添えて青い瞳を興味深そうに覗き込む彼女にどこか見覚えがあるような、ないような……そんな違和感を覚えた。凄く綺麗で艶のある黒髪に眼鏡越しの優しい瞳。そしてこの香り……。


「……杏?」


 不意に浮かんだ人物の名を思わず口にすると、目の前の彼女はにんまりと笑った。


「あら! 私、杏に見える!?」

「い、いや! 目や髪とか……後、匂いも杏と似てたからつい……」

「ふーん……ふふふ、よくわかったわね……そう私、!」

「えっ!?」


 衝撃で言葉を失う。まさか……でも、どうして?

 目の前の自身を杏と自称する彼女は私の反応を見てとても楽しそうだ。


「あ、杏が……」

「なに? 白花ちゃん」

「杏が……老けた!」

「おい」


 私の率直な言葉に、先程まで笑顔だった自称杏は急に真顔になった。すると、彼女の背後から誰かが聞きなれた声が聞こえた。


「なにやってるの?」


 自称杏の後ろには私のよく知ってる杏がいた。


「あら杏〜! 私の可愛い可愛い娘よ〜!」

「その可愛い可愛い娘が我が家で待ってるのにどうして先にお隣さんへ寄るのかしらね?」

「良いじゃない! 源先生にも挨拶したかったし、杏が言ってた白花ちゃんにも会いたかったのよー!」

「はぁ……白花驚かせてごめんね……ってどうしたの?」


 仲睦まじく話す2人を見ながらも私は更なる衝撃に身を震わせながら2人に指をさした。

 私が知っている杏の横にいる人も、自身を杏と呼ぶ。という事は……。


「あ、杏が……2人に増えた!」

「なんでよ!」


 杏の鋭いツッコミが家に響いた。

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