第71話 気持ちの良い朝のはずでした
交換学生としてこちらに来てから1ヶ月が経過した土曜日。
休日の爽やかな朝、俺は相変わらずベッドの中にいた。
「時庭豊、起きているか?」
扉の外から一ノ瀬会長の声が聞こえる。規律正しい彼女の事だ。俺がまだ寝てると知れば休日返上で俺の怠惰を叩き直すだろう。
「はい、起きてます……」
「良かった……ちょっと入ってもいいか?」
「あーちょっとまってください」
急いで体を起こし寝癖のついた頭を搔く。急いでパジャマから普段着に着替えて扉の向こうで待つ彼女に「どうぞ」と一声かけると、ゆっくり扉が開いた。
「すまないな……朝早くに」
「いえ……どうしたんですか?」
「気持ちの良い朝だからランニングにでも行こうと思ったのだが、良ければ一緒にどうだ?」
「ランニングですか、良いですね。すぐに準備しますね」
「ありがとう。じゃあ私は先に家の前で待って……」
「ちょっとまったあぁぁぁぁ!」
バタン! と勢いよく扉が開かれる。それと同時に一ノ瀬会長は「ひゃっ!」と驚きの声を上げた。
声の主はパジャマ姿のはなた。余程慌てて来たのか、髪の毛には寝癖がついたままだ。
「わ、私も行きます!」
「はなたも? ただ外へ走りに行くだけだぞ?」
「はい。せっかくの休日なのに会長に豊さんを独り占めされるわけにはいきませんから」
「わ、私はそんなつもりじゃ!?」
「いいえ、もし今は無くても豊さんはナチュラルに異性を虜にしますからね! これ以上ライバルが増えるのは御免ですから!」
意味のわからないことをいうはなたに俺は溜め息を吐く。
ただ一緒にランニングをするだけだ。健康的でいいじゃないか。なにをそんなに警戒する必要があるのだろう? しかしはなたの申し出を断る理由も無い。
「まぁ、どうせなら3人で走りましょうよ。ね、会長?」
「わ、私は別に構わないが……」
「ありがとうございます。ほらはなた、早く支度してこい。おいてくぞ」
「はい! 40秒で支度します!」
こいつ、昨日の金曜ロードショータイムで放送されたあの映画見てたな……。
そして各自ジャージ姿に着替えた俺達は外へ出て、まだ薄暗い夜明けの並木道を走った。
今は10月中旬、この時期の朝は気温が0度近くることもあるほど冷え込む。しかし走り始めこそ寒さを感じていた体も徐々に体温が上がり、気が付けば額には汗が滲んでいた。
「時庭、中々早いな」
「会長こそ、結構なスピードなのに息を切らしていないじゃないですか」
「私はもともと陸上部で長距離を走っていたからな、まだまだ大丈夫さ」
涼しい顔で一ノ瀬会長はそう語る。白花や杏と暮らすようになってから頻度こそ減ったものの俺も元々ランニングが日課だったし、走ることには自信があった。
「ふ、2人とも……ちょっと……まって……」
その声に俺と一ノ瀬会長はその場で駆け足を続けながら振り向く。目線の先には息を切らせたバテバテのはなたが必死に俺達を追っていた。
「涼森はなた。まだ走り始めたばかりだぞ?」
「そ、そんなこと言っても2人とも速すぎです……もう無理ぃ……」
立ち止まって膝に両手をつき肩で息をするはなたに見かねた一ノ瀬が彼女の元に駆け寄って背中を擦る。遅れて俺もはなたに駆け寄ると彼女の顔は酸欠で青白く変色していた。
「はなた大丈夫か?」
「はぁはぁ……あれ? 豊さんが2人に見える」
どうやら大丈夫じゃなさそうだ。
「これじゃ駄目だな……時庭豊、1度休もう」
「そうですね」
近くに設置されていたベンチにはなたを座らせると、予め持ってきていた水を彼女に差し出した。
「ほら飲めるか?」
「これは……豊さんの口付けですか?」
やっぱり大丈夫そうだ。
「まだ開けてない。早く飲め」
「ちっ!」
軽く舌打ちをして水を飲み始めたはなた。
その側でふと辺りを見回すと1本の電柱に貼られたポスターが目に入った。
「……クインテット流星群?」
ふと、張り紙の文字を口にした俺に一ノ瀬が反応した。
「知らないのか? 今度、数百年に1度見れると言われている流星群がこの辺りで見られるようらしぞ。専門家の話ではあまりの迫力とボリュームに準えて五重奏、ゆえにクインテットと名付けられたようだ」
「へぇ〜そうなんですね」
「なんでも1番大切な人や、元気でいてほしいと最初に思い浮かべた者と共に見ると良いとか……」
大切な人か……。
「時庭豊、君は誰かと一緒に見るのか?」
「い、いやいや! そんなものがあるなんてさっき知ったばかりですし、ここは釧路ですから! 会長は?」
「私は両親と見る。父と母には健康であってほしいからな」
「そうですか……いいですね! はなたは?」
「わ、私はこっちにお爺ちゃんがいるのでお爺ちゃんと見ます……」
そうだな……俺もじいちゃんには元気でいてもらいたいものだ。
しかし……最初に思い浮かべた人か……。
まぁこの話は俺に縁は無さそうだ。
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