第32話 あなたが目を開けるまで離れませんでした

 ――ここはどこだ?


 瞼を開き目に映ったのは覚えのない天井――どうやら、何処か知らない建物のベッドで眠っていたらしい……さっきまで白花と杏と俺の3人で海にいたはずなのに。


 目覚めたばかりのせいか脳が働かず、そのままぼんやり天井を眺めていると、徐々に記憶が蘇ってくる。


 確か、白花と杏が変な男達に絡まれてたんだっけ……だけど、その先が思い出せないな。めちゃくちゃ頭が痛くて、夏なのに寒気を感じていたのはうっすら覚えてるけど。


 自分が何故ここで眠っていたのかが思い出せなかったのも束の間、なによりも優先すべき事を思い出すと、咄嗟にだるい体を起き上がらせた。


「……! そうだ、白花と杏!」


 部屋を見回すと、俺が寝ていたベッドに誰かが伏して寝ている事に気がついた。


 月白色の髪からすぐ白花とわかったが、服装は水着に着替える前に戻っている。しかし、そんなことよりも気になるのが、俺を見守るように寝ている彼女の目が真っ赤に腫れていること。


 推測から何か異変があってここに運ばれた俺を、白花が心配して見守っていてくれていたのではないだろうか?


 だとすると、せっかく彼女達が楽しみにしていた今日を台無しにしてしまったと非常に申し訳ない気持ちになる。


 罪悪感で溜め息を漏らしながら、白花を起こさぬように静かにベッドの脇から足を床に降ろし、体勢をベッドに腰かけた状態にした途端、部屋の扉が開く――姿を見せたのは杏だった。


「杏!」


「豊!? 起きたの!?」


「あぁ、今さっき起きたところ……うわ!」


 言葉を全て言い終わる前に杏は持っていた荷物を雑に床へ落として駆け寄り、両手を俺の頬に優しく添えながら、異常が無いか調べるように顔を覗き込んだ。


「大丈夫!? 何処か具合悪くない?」


「だ、大丈夫……というより俺どうしてここで寝てたんだ?」


「え? 覚えてないの?」


「……実は杏達が、変な男に絡まれていたあたりまでしか覚えてないんだ」


「そうなんだ……豊、私達を助けてくれたすぐ後、倒れたんだよ?」


「倒れた? ……いやまぁ、そうじゃないとこんなところで寝てないか。それで俺はどうして倒れたんだ?」


「熱中症。あれだけ私達に『気をつけろ』って言ってたくせに肝心の豊自身が熱中症になってたんだから!」


「マジか、どおりでめちゃくちゃ頭が痛くて寒気がしたわけだ……はぁ」


 自分の情けなさに再び溜め息をつくと、杏がベッドに腰掛けた俺の真横に座ってきた。


「ほんとびっくりしたんだから。白花ちゃんなんて大泣きして、豊の側を離れなかったんだからね。私が少し外している間に寝ちゃったみたいだけど」


「確かに目がとんでもなく腫れてるもんな」


 一通りの状況を理解した途端、同時に後悔がどんどんと大きくなってきていた。


「……ごめんな。お前達、楽しみにしてたのに俺のせいで……う!?」


 またもや全てを言い終わる前に杏が俺の唇に人差し指を押し当て、これ以上言葉が続かないようしながら優しい笑顔を見せる。


「何言ってんの? 豊は悪くない。私達を気遣ってくれてありがと。逆に無理させちゃって、私の方こそごめんね?」


「杏……」


 杏の名を呼ぶと、彼女はそのまま横になり俺の太腿の上に頭を乗せる、俗に言う膝枕の状態になった。


「ちょ! いきなりどうしたんだよ?」


 慌てる俺の言葉に杏は静かこう言う。


「少し……少しだけで良いからこうさせて?」


 そう言いながら微かに震えている杏を見て、彼女が男に強引に腕を掴まれていた時に、頭の片隅によぎっていた疑惑が確信に変わった。


 ――やっぱり、怖かったのか……。。俺と杏がまたこうして関わるようになったきっかけのと。


「……わかった。落ち着くまでこうしてろよ」


「ありがと……」


 顔は向こう側に向けている為、表情はうかがえないが、いまだに恐怖心から震えている、彼女の頭を優しく撫でる。


 普段であればこんな事は絶対しないが、今は別だ。その証拠に俺がこんな事をしたら狼狽えるか、揶揄からかってくるであろう彼女は何も言わずに撫でる俺の手を素直に受け入れている。


 日々学校で男女問わず分け隔てなく接して、笑顔を絶やさないで過ごす杏。しかし、精神的に追い詰められると、このように心の内を俺だけにさらけ出す。


 それもそうだ。彼女と親しい人物で、あの事件を知るのは俺しかいないのだから。


 があったのに、今日だって本当は泣き出したいくらい恐ろしかっただろう。それでもいつもの彼女らしく振る舞っていた姿を思い出すと、本当に強い人間だと改めて認識する。

 

 頭を撫で始めてから5分程経過した頃、杏が口を開いた。


「今日、この後どうしようか?」


「まだじいちゃん来るまで時間あるし、お前達さえ良ければもう1回遊びに行くのは?」


「あーそれは難しいかも」


「え?」


「ここじゃわからないけど、豊が倒れてからとんでもない雨と雷だったんだよ?」


「雨? 予報じゃ今日は1日道内全て快晴のはずだったのにか?」


「そうは言っても実際に降ったんだし、私達以外の人達もほとんど帰っちゃったよ」


「そ、そうなのか……じゃあじいちゃん来るまで、飯で食って時間潰すか?」


 食べるのが大好きな彼女のことだ。俺の提案にすぐ食いつくと思ったが、想像通りにはならず杏は少し沈黙した後、思いがけない言葉を口にする。


「……うーん、あんまりお腹空いてない」


「なに? お前もどこか具合悪いんじゃないか!?」


 聞き捨てならなかったのか、今まで向こう側に顔を向けて膝枕をしていた杏はこちらを振り向き俺を睨んだ。


「ちょっと、失礼だよその言葉! それじゃ私がいつも食い意地張ってるみたいじゃない!」


「いや、その通りだろ」


「豊なんて、さっき白花ちゃんの胸すごい見てたじゃん!」


「……見てない」


「いーや、いやらしい目つきで見てたね! このスケベ豊、略してスケベタカめ!」


「辞めろ! その呼び方、絶対に他の人の前でするなよ!?」


 しょうもないことで杏と言い争っていると、眠っていた白花から声が聞こえた。


「うーん……」

 

 声と共に白花が動き出すと、膝枕をしていた杏は咄嗟に頭を持ち上げ体を起こし、少し焦った様子を見せる。

 

「やば! 白花ちゃん起きちゃったかも。豊が大きい声出すから……」


「いやいや、でかい声だったのは杏だろ」


 罪をなすりつけ合う俺達のすぐ横で眠りから目覚めた白花は、少し寝ぼけながら周りを見渡す。


「ちょっと声大きいよ……豊、杏。豊が寝てるんだから、もう少し静かに……ん? 豊は寝てるのに豊と杏が喋ってる?」


 まだ状況が理解できていないのか、意味のわからないことを言い出した白花だが、自身の言葉の矛盾に気がついたようだ。そして俺と目が合うと、美しい青い瞳を潤ませた。


「豊……起きた……」


「あぁ、おはよう白花」

 

 俺の言葉で白花の目に溜まっていたものが、一気に溢れ出すと共に彼女は俺に飛びつく……いつも通り加減を知らない勢いで。


「うぅ……ゆたかぁぁぁ!」


「ぐわっ!」


「ゆたかぁ……心配したんだからね」


「ごめんな。お前、海楽しみにしていたのに台無しにしちまった」


「そんなことはいいの! 豊が元気ならそれでいいの!」


「……ありがとな。でも、こんなんじゃ俺の気が済まないし。また3人で一緒に行こう」


「……! ほんとに?」


「あぁ、また来よう。約束だ」

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