第16話 空の雲はいつもの間にか消えてました

 気を取り直し、俺達は美しく咲き誇る色とりどりの花々を見て回っていた。


 色鮮やかに咲く様々な種類の花が風に吹かれる様子はなんだか踊っているようにすら見える光景に思わず、声が漏れる。


「すげぇ……」


「ゆたか!」


 俺を呼んだのは白花。様々な花を興味深く見ていた俺の元まで走ってくる。さっきまであんなに怖がって俺の後ろに隠れていたのが嘘のようだ。


「ゆたか! ゆたか!」


 俺の目の前まで来た白花は左手の上に、右手を被せる形で何かを包み込むようを持っており、そのまま俺の顔の方へ近づかせ後、鍋の蓋を開けるように右手を離した。


 被さっていた右手が無くなり、あらわになった左の手のひらの上には何かがうごめいてる。


 この国に住む者ならば誰でも見た事があるだろうが、まず俺達くらいの年齢になれば触れる者は限りなく少ないだろう。


 白花の手の上でくねくねとうねる生き物、それはミミズだ。


 それも1匹だけではない。4〜5匹ほどのミミズが白花の手のひらで踊っている。


「どわー!」


 鼻先から3センチほどまで近づけられたミミズ達に驚き、最近で1番高い声の悲鳴が出た。


 虫や獣が苦手な訳では無いが、こうも至近距離でいきなり見せられると驚くなと言う方が無理がある。


「白花!? なんでミミズなんか持ち歩いてるんだ!?」


「ふふふ! ゆたか!」


 俺の驚いた様子が可笑しかったのか、白花は笑いながら俺にミミズを再度近づけてくる。


 複数のミミズが1箇所でうねり合う様は……結構グロテスクな絵面だ。


「わっ辞めろ! それ以上近づけるな!」


 無邪気な笑顔で手のひらに乗せたミミズを顔に近づけてくる美少女なんて世界中探したって白花しかいないだろう。


「白花ちゃん、意外にいたずらっ子なんだね……」


 そう言う杏は自分に被害が被らないよう、俺と白花から距離をとっている。


 しかし、そんな杏に天罰が下った。


 俺の反応を楽しんだ白花は、あらかじめ次の標的を決めていたかのように杏を見る。


「……え? し、白花ちゃん、まさかね……」


 白花と目が合った杏も何かを察したようだが、先に先手を打ったのは白花だった。


「あんず! あんず!」


 杏を呼びながら、白花は杏の方へと走り出す。


「きゃー! ミミズ持ってこっち来ないでー!」


 杏も白花に背を向けて逃げるが、白花の方が早いようで徐々に距離を詰め行く。


「豊助けて―!」


 逃げ回りながら助けを求める杏に対して悪戯心が生まれてしまった俺は揶揄からかうように意地の悪い言葉を返した。


「あれー? 杏って虫とか苦手だったか?」


「好きでもないし、あんなうにょうにょの集合体見たら誰だって無理だよぉ!」


「白花は平気みたいだぞー!」


「白花ちゃんはべつ!」


 人外扱いされてしまった白花は杏を追いかけるのを辞めない。


 そろそろ杏も体力の限界のようだし、助けてやることにした。


「おーい、白花ー! その辺にして、そろそろ土に帰してやれー!」


 自分を呼ぶ声に反応した白花は俺へ顔を向ける。


 しかし、その瞬間……白花は履いていたロングスカートに足が引っ掛ってしまい、盛大に転んでしまった。


「あっ」

 

 突然の出来事に声がほとんど出なかった。


 転んだ拍子に彼女が手のひらに乗せていたミミズ達は1匹を残して花壇の方へ飛んでいき、乱暴な形ではあるが、元の住処へ帰っていく。


 しかし、肝心の残った1匹は……。


「ぎゃああああああ! 取って! 豊、取ってー!」


 なんという偶然か、土に帰れなかった最後の1匹は杏の着ているニットの襟からそのまま服の内側に入ってしまったのだ。

 

「背中伝って下に落ちてこないのか?」

 

「シャツの中まで入っちゃって変なところで引っ掛かってるんだよぉ! 背中でうにょうにょしてるー! 早くとってー!」


 いくら緊急事態とはいえ、思春期の男が幼馴染で学校ではマドンナ的な立ち位置の女性の服の内側に手を突っ込むなど、非常に恥ずかしいというのが正直な気持ちだ。しかし、涙目になってしまっている杏の悲鳴混じりの声に周りの人も注目してしまい、そうも言ってはいられない。


 覚悟を決めた俺は杏の背中に手を入れる。この場面で大切なことは、彼女の肌に触ってしまっても平常心を崩さないことだ……。


 心を無にしろ、虚無になるんだ時庭豊!


 そう念じながら、何とかミミズを取り出し、そのまま花壇に帰す。


 背中の不快感が取れた杏はそのまま地面に座り込んでしまった。


「ほら、取れたぞ」

 

 いかにも「余裕でしたけど」と言いたげな振る舞いをするが、心の中は「何事も無く取れて良かった」という安心感でいっぱいだ。


「うぅ……背中でうにょうにょって……」


 まるで漫画の中でしか起こらないようなハプニングから大ダメージを受けた杏はまだ立ち上がれない。一方、白花は転んだ場所が柔らかい草の上だったので怪我は無いようだ。


「あんず……」


 へたり込む杏を見て、白花は責任を感じてしまったのか、ばつの悪そうな表情で杏に近づく。


「白花ちゃん……」


 白花の声が聞こえた杏は落ち着いたトーンで白花を呼びながら立ち上がり、白花に近づいた。


「あんず?」


 白花の呼びかけに杏は答えない。


 杏はそのまま白花の目の前で立ち止まると、両手を腰の位置まで上げ、そのまま白花の両脇腹を弄り始めた。


「あんず……!? ははっ! きゃはははは!」


「白花ちゃんめ! お仕置きだ!」


 事故とはいえ、背中にミミズを入れられた杏は仕返しに白花の脇腹をくすぐる。これが白花にはかなり効果的だったようだ。


「きゃはははは!」


 余程くすぐったいのか、徐々に足に力が入らなくなった白花は子供のようにその場で笑い転げる。それでも杏の手は止まらない。


「このこの〜!」


「あんず! あんず! きゃははは!」


 まるで「もう辞めて」と言うように白花は杏を何度も呼ぶがそれも虚しく、杏のくすぐりは暫く続き、終わった頃には白花は地べたでピクピクとしていた。そんな彼女を杏が申し訳なさそうに様子を伺う。


「こりゃ、やりすぎたかな……?」


「かもな。白花? ほらそろそろ起きあがろうぜ」


 そう言いながら、俺は白花に近づき手を伸ばそうとすると「ぐぅ~」とここ数日で何回も聞いた覚えのある音が聞こえた。そう、白花の空腹を知らせる腹の音だ。


「ゆたかぁ〜」


「お腹空いた」とでも言うように白花が何かを訴えるように俺を呼ぶ。その様子を横で見ていた杏も同じことを考えていたようだ。


「白花ちゃん、お腹空いたんだね。豊は?」


「そうだな、俺もそれなりに……」


 確かにここに来てからそれなりの時間が経過した。時刻はもうすぐ正午、ちょうど昼飯時だ。


「もうすぐ昼だし、何処かで飯でも食うか?」


「あっ! はいはい! 実は私、お弁当作ってきたんだ!」


 杏は鞄からランチクロスで包んだ弁当を取り出した。


「もちろん、豊と白花ちゃんの分も作ってきたよ!」


「マジかよ!? ありがとう!」


 昼食の摂る為に人が多いフラワーゾーンを1度抜けて、小さな川の側にあるベンチまで移動する。人が全くいないわけでは無いがフラワーゾーンよりはだいぶ少ない。


 まず、俺と杏がベンチに腰掛けると杏は空いた方をポンポン叩いて白花を呼んだ。


「白花ちゃん! こっちおいで!」


 白花が示した場所に素直に座ると、杏がそれぞれ色の違うランチクロスで包んだ弁当を鞄から取り出す。


「はい、青色は豊! 白花ちゃんは名前と同じ白!」


「サンキュー」


「……?」


 杏が左右にいる俺と白花に弁当を渡す。白花はまだ何かわからないようだ。


「さぁさぁ! 包み開いて!」


 杏の言葉に従いランチクロスの結び目を解くと中にはサンドウィッチが詰められていた。

 具材はレタスとベーコン、トマトやポテトサラダなど様々な種類の具を挟んでおり、綺麗な色合いで見た目も良い。


「これだけの具材、準備大変だったんじゃないか?」


「えへへ……実は楽しみ過ぎて昨日の夜から準備しちゃったんだ」


 杏が昨夜帰ったのは結構遅い時間だったはずだ。それから準備していたのならば、大変だっただろう。


「……ありがとな。それじゃあ、いただきます」


「召し上がれ!」


「い、いただきます!」


「はい、白花ちゃんも召し上がれ!」

 

 食べやすいように気遣いのされた片手サイズのサンドウィッチを頬張る。


「……どうかな? 美味しい?」


 やや緊張気味な杏の質問に、俺は正直に湧き出た感想を伝えた。

 

「あぁ。めちゃくちゃ美味いよ!」

 

「良かったぁ! ほら、源さんって料理めちゃくちゃ美味しいから豊の舌って肥えてるじゃん? だから、いつも緊張するんだよね!」


 確かにじいちゃんの趣味は料理で、味は店を出したら行列ができると言い切れるほど美味い。しかし杏が作る料理も、じいちゃんに引けを取らないレベルだ。


「そんなの気にすんな。ほら白花を見てみろ」


 杏の隣で俺と同じサンドウィッチを食べている白花は幸福に満ちた表情をしている。これこそ、杏の料理が美味しいという証明そのものだろう。


「白花ちゃんって美味しそうに食べるね。こんな顔されたら作った私も嬉しいな」

 

「なんだか悪いな。これだけの準備、時間かかっただろ?」


「家にいてもやる事ないし、私には時間が足りないくらいがちょうど良いの」


 杏の両親である波里 真紀まき秀樹ひできは仕事の影響でほとんど家に帰ってこない。その為、杏は家では常に1人で生活している。


「真紀さんと秀樹さんは元気?」


「この前電話した時は元気そうだったよ」


「そうか……今度はいつ帰ってくるんだ?」


「確か秋頃って言ってたかな? まぁ予定通りに帰ってきたことないし、あんまり期待してないけどね」


 こうして話している杏の表情はさっきから何も変わらない。

 しかし、どうしても何か引っかかるのは俺の思い過ごしだろうか?


「……相変わらず忙しいんだな」


 俺は自宅で1人食事する杏を想像してしまう。学校では超がつく人気者の彼女も家では1人、寂しくないわけがない。


「もし……嫌じゃなかったらよ、飯ぐらい、いつでも俺の家で食ってもいいんだぞ?」


 ついポロっと口にしてしまった俺の言葉に杏は驚いた表情を見せる。


「えっ?」


「わ、悪い! 気色悪かったよな? 気にしないでく……」


「いいの……?」


 俺が言葉を言い終わる前に杏が言葉を返す。彼女の目はどことなく希望を抱いているように見えた。


 ――そんな目をされたら今更後には引けない。


「……あぁ。じいちゃんも喜ぶし、白花のことだってあるからな。いちいちインターフォン鳴らすのも面倒だろ? 合鍵渡しておくから、好きに出入りしてくれ」


 ——しまった! いくら仲の良い幼馴染とはいえ、頼んでもいないのに合鍵を渡そうとする男なんて気色悪い!


 怯えながら杏の返答を待つ、そして彼女が口を開き声を発しようとしたとき、突然白花が杏の膝に頭を乗せた。


「うわ! し、白花ちゃん?」


 一瞬、何が起きたのか理解できなかったが白花の顔を覗く。彼女は目を瞑って寝息を立てていた。


「白花ちゃん、寝ちゃったね」


「食ってすぐ寝るとか、赤ん坊みたいなやつだな」


 俺の言葉に杏は静かに笑う。


「ふふ、起こすのも可哀想だし、少しこのまま寝かせてあげようか」


 白花が眠っている少しの間、小さな声で杏と他愛のない話をする。


 いつのまにか、空を少しだけ覆っていた雲は姿を消し、見渡す限りの晴天へと変わっていた――。

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