第15話 暗い顔は嫌でした

 杏と白花と一緒に恵花ガーデンへ来た俺達は突如、背後から声をかけられた。


「どもどもー! お久しぶりっす〜」


 振り向くとボサボサの茶髪に眼鏡をかけた男性が手を振りながら、こちらに向かって来る。


 外見や雰囲気から推測すると、おそらく俺達と同年代ではなく、もう少し上だろう。


 それに彼は俺と杏のことを知っているようだが、俺にはこの男が何者なのか全く見当もつかない。


「いや〜何年振りですかね? 最後に会ったのは小学校くらいだったかな……」


 そう言いながら、男は俺の目の前で立ち止まる。近くで見ても、誰なのかは全くわからない。


 杏なら覚えているだろうかと思い横目で彼女を見るが、彼女もピンとこないか、難しそうな表情をしている。

 

 そんな俺達の反応に、男は察したようだ。


「……あれ? もしかして私のこと、忘れちゃいました?」


 俺は肯定とも取れる返答をする。


「ははは、すいません……」


「まぁ、しょうがないか……2人ともまだちっちゃかったし」


 少し残念そうに男は頭を掻きながらやや斜め下を向いたが、すぐ俺達を見直す。


「じゃあ、改めて自己紹介! 由良ゆら 善明ぜんめいっす! 時庭先生と波里先生方の助手やってました」


 彼の自己紹介で古い記憶が蘇った。


 この話し方、どこかで聞き覚えがある……。


「……あっ! なんとなく思い出しました! 昔、両親とじいちゃんの研究の手伝いしてくれてた!」


「そうそう! げん先生はお元気で?」


 げんというのは俺のじいちゃんの名であり、俺の両親とじいちゃん、そして杏の両親は考古学者だ。

 時庭家と波里家は仕事の絡みで親交が深まり、偶然にも同時期に子供を授かっては、同じ病院で俺と杏が産まれたのだ。


「はい。年齢を感じさせないくらい元気ですよ」


「それは良かった。今度ご挨拶に伺わせてもらいますね〜!」


 じいちゃんは、その界隈では有名で慕う者も多い。由良もその1人だ。

 

 そんな彼が次に注目したのは杏は無く、俺の後ろに隠れている白花だった。


「あの……豊君、そちらの女性は?」


「あぁ、白花という名前で、短い間ですが訳あって今は俺の家で生活しているんです」


「そうなんですか! それにしても綺麗なお嬢さんですね。こんにちは、白花さん」


 由良が白花に挨拶をするが、彼女は俺の背中にべったりとくっついたまま動こうとしない。


「……すいません。実は白花はこの国の人間じゃないみたいで、言葉もわからないんですよ」


「ほうほう、見た目からして我々と違いますもんね……」


 そう言うと、由良は杏の方へ顔を向ける。


「杏ちゃんも、お久しぶり! 私のこと思い出しました? ご両親元気?」


「……ごめんなさい、私はあんまり覚えてないです……両親は元気です」


 苦笑いしながら、申し訳なさそうにする杏の反応に由良は再び残念そうに俯く。


「そっかぁ〜残念だなぁ。まぁ基本的に源先生の元で働いてたから、杏ちゃんに会う機会なんてほとんど無かったもんなぁ〜」


 少し落ち込んでいる由良に俺は特に考えもせず、当たり障りの無い質問をする。


「由良さんも、今日はここに遊びに来たんですか?」


「いや〜俺は仕事っすよ。ほら、……」


 由良がそう言った瞬間……俺は血の気が引き、突如激しい頭痛で頭を抑えながらその場にしゃがみ込む。


「ぐっ!」


「豊!!」


 杏が俺を心配して叫ぶ、しかしあまりの激痛で返事ができない。

 

 俺が突如苦しみだした理由、それは由良が口にしたというワード。


 俺達が住む恵花市には数年前、推定約3000年の縄文時代の遺跡が見つかり、俺の両親とじいちゃんは故郷ということもあって積極的に発掘や研究に取り組んでいた。当時発掘作業は順調に進んでいたが、ある日2が起きてしまう。


 ――この事故で亡くなったのはだった。


 偶然にも俺も事故現場に居合わせたらしいが、詳しい内容は思い出せない。


 当時の俺は両親を亡くしたショックで記憶が混濁してしまっていたそうだ。

 医師からは「心が壊れるほどの辛い経験は、脳が自己防衛のため無意識に記憶の奥底に封じ込めて、本人の意志でも思い出すことができなくなることがある」と説明を受けた。

 

 あれから俺はあの遺跡あの場所を思い出すだけで、今のように拒絶反応を起こすようになってしまった。

 両親のことを思い出すだけなら、平気なのに……なんともおかしな話だ。


 そんな状態になってから、俺がいる場であの場所の話題はタブーとされていたが、その話題を一番嫌うのは俺ではなく、今傍で俺を心配しながら恐ろしい剣幕で由良を睨んでいる


「由良さん! その話題を豊の前で2度としないで! 豊、大丈夫?」


 杏がここまであの話題を嫌うのは俺の為。「もし、あの時のことを豊が思い出したら今度こそ豊の心は再起不能なまでに壊れしまうかもしれない」と言って、俺をあの場所から遠ざけようとする彼女は行動は時折だと思える程だ。


 当時同じ現場で働いていた由良さんも知らない訳は無いのだが、今まさに地雷を踏んでしまった彼は杏の鬼のような形相を見て悟ったようだ。


「……おっと! これは失礼、これは私の配慮が足りませんでしたね。申し訳ない豊くん」


「い……いえ、も……元はと言えば、お、俺の質問からですから……うぐっ!」


「……君は相変わらず優しいね……」


 いまだ痛みで頭を抱える俺を見て、由良は慌てる素振りを見せずに淡々としている。そんな由良に杏が声を荒げる。


「由良さん! もうどっか行ってください!」


「……そうした方が良さそうですね。では3人共、失礼します」


 背を向けて、ゆっくりと歩いて行った由良の姿が見えなくなると、杏が俺をベンチに座らせてハンカチで俺の額の汗を拭こうとする。


「豊、大丈夫? ほら、汗びっしょりだよ?」


「だ、大丈夫。ハンカチなら自分で持ってる」


 痛みはだいぶ引いたが呼吸が上手くできない、あの事故からずっとこうだ……。


「ごめんな杏。いつもいつも……」


「……豊は悪くないよ」


 せっかくの外出なのに……俺の意味の分からないトラウマのせいで台無しだ。


 情けなさから俺は俯く。すると、突如両頬を引っ張られた。


「ゆたか! だめ!」


 この重たい空気でそんなことをする犯人は杏ではない。俺の頬を引っ張るのは、さっきまで俺の背中に隠れていた白花だった。


ひ、ひへへへへへい、いててててて! ふぃははあしらはな?」


 両頬を引っ張られているため、上手く喋ることができない。あと白花の頬を引っ張る力が強くて普通に痛い……。


「し、白花ちゃん!? ちょ、ちょっと!」


 白花の理解不能な行動に杏も驚き、どう対処して良いかわからないみたいだが、当の本人は俺の頬を引っ張り続けている。


ひへへへへいてててて!」


「ゆたか、だめ!」


 彼女の言葉から察するに、俺の何かが気に入らないから辞めさせようしているのだろうが、何故頬引っ張るのかがわからない。


 どうしたものかと悩んでいると、突如白花はそれまで俺の両頬を引っ張っていた手を離し、次は彼女自身の頬を摘んだ。


「ゆたか、ゆたか!」


 彼女はそう言うと、俺にしていたように摘んだ自分の両頬を上に引っ張り上げた。


「ゆふぁふぁ!ゆふぁふぁ!」


 自分で頬を引っ張り上げたせいで、口角が上がり俺の名前をうまく発音できていない彼女の表情はいびつではあるが、笑っているように見えた。


 もしかして彼女なりの「笑って」というメッセージなのだろうか?


 未だに頬を上に引っ張ってこちらを見ている。そんな彼女を見続けていると、理由はともあれ、不貞腐れていたことが馬鹿らしくなった、俺の口角も上がる。


「……ぷっ! ははは! なにやってんだよ!」


 何か詰まっていたものが抜けていくように笑い声が溢れる。

 笑顔になった俺を見た白花は頬から手を放し、また彼女も「えへへ」と満面の笑みをしていた。


「……ありがとう、白花」


 今日は昔の事を考えに来たわけではない。3人で休日を楽しむ為にここへ来たのだ。


「2人ともごめん。もう大丈夫、続きを見て回ろう」


 俺の言葉に杏が安心した様子を見せる。


「……そっか。 じゃあ、そのあたり見て回ろうよ!」


 そう言って杏は走り出し、そのあとを白花がついていく。


 ベンチから腰を上げた俺は2人の後ろをゆっくりとついて歩いた。

 


 

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