第13話 初めてのお出かけは準備が大変でした
「ゆたかーー!」
誰かが呼んでいる。起きているのか夢の中なのかもわからない、虚な意識のまま目覚まし時計を探す。
時刻は午前5時40分。
今日は土曜日、学校は休みなのでこんなに早く起きる必要は無い、無いのだが……この声が聞こえてしまえば無視するわけにもいかず、「まだ寝てたい」という欲求に抗いながらベッドを出る。
声の主はもちろん白花。昨日と全く同じ、2日連続で白花の声で朝起きることになった。
昨日もリビングのソファで眠ってしまった彼女はじいちゃんが用意した部屋のベッドに移動させたはずだ。
きっと起きたら見覚えの無い部屋にいて、誰もいなかったから俺を呼んだのだろう。寝起きの割には頭が冴えている。
昨日のように大泣きされても困るので、とりあえず白花を安心させる為に彼女の部屋へ行くことにした。
欠伸をしながら、自分の部屋を出る。
白花の部屋は俺の部屋の隣、昔は母が使っていた部屋だ。
扉の前に着き、ノックをする。白花に対してノックなど意味が無い気もするが……。文化は違えど、相手は年頃の女性だ。最低限のマナーは守るべきだろう。
「白花ー、起きたから安心してくれ……」
「ゆたか!」
白花は扉の向こう側に俺がいるとわかったのか、静かな朝には似合わない、ドタドタと足音のような音を立てている。
足音は徐々にこちらへ近づいてきており、扉の前で聞こえなくなると次はドアをドンドンと叩く音に変わった。
「ゆたか! ゆたか!」
白花が俺を呼びながらドアを叩き続ける。
――もしかして、開け方がわからないのか?
もう、俺達の常識を白花がわからない場面になっても驚きは小さくなってきた。
白花がわからないのであればこちらから扉を開けるしか無い。
「白花、開けるぞ」
そう言いながら、ドアノブに手をかけて扉をゆっくりと開く。
扉を半分程開いた段階で、扉の向こうにいた白花が不安そうな表情をしているのが見えた。
「ゆたか!」
俺を目視で確認できたのが嬉しかったのか、白花は俺が扉を開け終わる前にかなりの勢いで飛びついてきた。
「ぐわっ! またかよ!」
2日連続の白花のタックルのような威力の飛びつきを喰らう。
「おはよう、白花」
「おは、よう?」
俺の何気ない朝の挨拶も白花にとっては未知の言葉の為、意味がわからない。しかしこの2日間で白花は新しい言葉を吸収するスピードは常人離れだということも知っている。
「そう、朝起きたら『おはよう』だ」
「……! おはよう!」
「あぁ。おはよう、白花」
「おはよう! ゆたか!」
恐らく使い時や細かい意味など、彼女の中で不明な点が無い訳では無いだろうが、このように俺達の会話を見聞きし、それを真似すればコミュニケーションを取りやすいと白花自身がわかっている。
だとしても、こんな短期間で1人1人の名称、「おれ」や「わたし」1人称を示す言葉、「見て」や「駄目」などの要求を示す言葉を次々と覚えられたのは白花の知能の高さがあってこそだろう。
「なんだか、騒がしいと思ったが……2人とも、もう起きてたのか」
俺らの騒ぎを聞いて、じいちゃんが1階から階段を登って様子を見にきた。
「おはよう、じいちゃん」
「おはよう! じっちゃん!」
俺の挨拶に続いて、白花も覚えたての言葉をじいちゃんに向かって言うが、ちょっと「じいちゃん」の発音が心許ない。
「おー朝の挨拶も覚えたのか! おはよう、2人とも」
結局、2度寝することも無く平日よりも早い朝を迎えた俺は顔を洗うため、洗面所へと向かう。
冷たい水で洗った顔をタオルで拭く。歯を磨こうと歯ブラシに手を伸ばそうとすると、側に置いてあったスマホの画面に通知が届く。
画面を覗くと、どうやら杏からのメッセージだ。内容確認する為、スマホを手に取る。
「朝早くにごめん、豊達さえ良ければ今日早めに行ってもいい?」
杏からのメッセージに対して、「もう、全員起きてるからいつ来てもいいよ。鍵開いてるからチャイム押さずに入ってきても大丈夫」キーボードをタップし文章を打ちこんで返信した後、再び歯ブラシに手を伸ばした瞬間、玄関から杏の声が聞こえた。
「お邪魔しまーす!」
――早すぎだろ!
歯を磨き終わり、リビングに向かうと白花と杏がいた。
「おはよ、豊! さっきね、白花ちゃんが私に『おはよう』って言ってくれたの!」
「あぁ、起きた時に覚えてくれたんだよ」
「流石だねぇ〜。あっ私達も洗面室借りるね!」
「あぁ、よろしく頼む。あっそういえば朝飯食っ……」
「食べる!」
杏が洗面所で白花の世話をしている間、俺はじいちゃんと一緒に朝飯の準備をする。量は昨日の夕食と同じように4人前以上。
ひと通りの準備が終わると、寝癖を整えられ、スキンケアを終えた白花が杏に連れられてきた。
「おまたせ〜!」
「おう、朝飯の準備できてるぞ」
昨夜と同じように4人で食卓を囲み、朝食を食べる。多めに用意した料理を杏と白花が7割ほど食べたのも昨夜と一緒だ。
朝食の片付けも終わり、ひと息ついたところで今日のメインについて話す。
「よし、そろそろ準備するか。俺、着替えてくるわ」
「わかった!」
そう言って、自室に戻った俺は部屋着から白色のパーカーと紺色のジーンズに着替える。男の着替えとは早く、5分もかからず身支度は終わり、そのまま1階へ戻るとリビングにはまだ杏と白花がいた。
「おまたせ」
「もう、終わったの? 白花ちゃんこれから準備するんだけど……」
「別に焦ることねぇよ……って白花?」
杏と話していると、いつもは俺たちの会話を大人しく見聞きしているだけだった白花がいきなり俺と杏の間に割り込み、俺の服装をじーっと見つめている。
いきなり服装が変わったから驚いたのか?
「どうしたの? 白花ちゃん……」
杏の言葉にも反応を示さず、白花は俺の服装を観察している。すると突然何かに気付いたのか、ハッとした表情をした瞬間に玄関の方へ走りだしてしまった。
「おい、白花!? どこ行くんだ?」
そう俺が言っても白花は止まらない。仕方なく杏と共に白花の後をついていくと、玄関の手前で白花がこちらに振り向き、通路を塞ぐように両手を広げて口を開く。
「だめ!」
「……え? どういうこと?」
白花の謎の行動に杏も困惑しているようだ。
「ゆたか、あんず! だめ!」
言動から察するに白花は俺達を玄関へ行かせたくない。しかし何故、今この行動をするのだろう?
答えに辿り着けぬまま杏と顔を見合わせていると、俺達の後ろの方からじいちゃんの声がした。
「もしかして白花ちゃん、昨日みたいに豊と杏ちゃんに置いてかれると思ってんじゃねぇか?」
「なるほど……それで玄関前を塞いでいるのか」
俺が納得したのも束の間、杏が次の疑問を問いかける。
「でも、なんで豊の服を見てたのかな?」
杏の疑問も当然だ、白花は俺の着替えた服装を見て、何かに気がつき玄関へ向かったのだから。しかし、その疑問に対しては心当たりがあった。
「きっと、俺が着替えたからじゃないか? ほら、昨日だって制服に着替えてから出発したし、白花の中で俺らが着替えたら白花を置いて外に出て行ってしまうと思ったんだろうな」
「あーそういうことね!」
疑問も俺達なりに片付けられた。再び白花を見ると未だに両手を広げたまま、こちらを若干睨むような目つきでこちらを見ている。昨日、俺達が急にいなくなったのが余程ショックだったのだろう。
改めて、白花には悪いことをしたと反省する。
「大丈夫だよ! 白花ちゃん今日は一緒に行こ?」
「だめ!」
杏が白花に近寄り、言葉をかけるが白花には通じず、杏を自分より先に通さないように両手を更に目一杯広げる。
流石に白花だけ部屋着のまま、外出するわけにもいかない。なんとかして着替てもらえるように誘導したいが……
そう思いながら、通路を塞いで動こうとしない白花を見ていると、ある作戦が浮かんだ。
「杏、白花の着替えって2階の白花の部屋でやるよな?」
「えっ? う、うん、そうだけど……」
「よし、着いてきてくれ」
そう言って杏と共に階段を登り、白花の部屋へ向かう。部屋に着くと白花の外出用の服が綺麗に畳まれて置いてある。
「先に私達だけ来てどうするの?」
「まぁ、ものは試しだ。あっ扉は開いたままにしといてくれ」
そう言って俺は息を深く吸う。理由は大きな声を出すためだ。
「白花ー!」
そう言うと、1階から足音がこちらに向かってくる。その足音は俺達がいる部屋の扉のすぐ手前で止む。すると、開いたままの扉から未だ警戒している表情を崩していない白花がひょこっと顔を半分だけ覗かせた。
「これで、着替えられるだろ?」
「ありがとう。じゃあ白花ちゃん、これに着替えよう?」
こうしてなんとか白花を着替えさせることができたが杏が白花を着替えさせている間、もちろん俺は部屋の外で待つ。しかし、白花の部屋からあまり離れるわけにもいかない。
「ゆたかー!」
室内から白花が俺を呼ぶ。
「はいはい、ちゃんといるって」
理由はこれだ。
白花は自分が目を離した隙に俺がどこかへ行ってしまわないよう、何度も俺を呼び、近くにいることを確認している。
「白花ちゃん! ちょっとどこ行くの!?」
どうやら白花の着替えに杏も手こずっているようだったが俺が想像してたよりも短い時間で扉が開き、中から杏が出てきた。
「豊、お待たせー!」
「なんだ、手こずってた割には早かったな」
「あはは、白花ちゃん豊が気になるようで下着姿で部屋から出ようとしててびっくりしちゃった」
「それは洒落にならん……」
「そういえば3才くらいの頃、お前もパンツ1丁で俺ん家駆け回ってたな」
「そんなこと覚えてなくていいから!」
顔を真っ赤にし、白のニットと黒のデニムパンツコーデの杏の隣には、薄い青みがかったブラウスに長丈の白いスカートを着た白花がいる。
「さぁ、準備も終わったし出発しよ!」
「そうだな」
3人で1階へ降り、玄関へ向かう。白花は自分も着替えたせいか先程のように俺達の行手を塞ごうとはせず、少し困惑しているようだった。
まず、「今日は白花も外に出るんだ」と分かってもらう為、最初に白花に杏が貸してくれた靴を履かせる。
その後に俺と杏が靴を履き、玄関のドアノブに手をかけた。
「じゃあ、じいちゃん。いってきます」
「いってきまーす!」
「おう、気をつけてな。いってらっしゃい」
玄関の扉を開けると、外の空気と光が入ってくる。
隣には「楽しみ」という感情が表情に出ている杏。そして多少の不安からか、俺の上着の裾を握りながらも外への好奇心でキラキラした目をしている白花がいた――。
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