第8話 彼女を騙して家を出ました
朝食を終え、学校へ行くための支度を始める。
顔を洗って、欠伸をしながら歯を磨く。
これだけ見ればいつもと変わらない日常だが、そんな俺の行動1つ1つをじっと見ている白花がいつもの朝には無い、緊張感を感じさせていた。
——まぁ、変に歩き回られるよりかは目に見える位置にいてくれた方がこちらも余計な心配をしなくて済む。
今日は早く起きたおかげで、いつもよりゆとりを持って準備していると家のインターホンが鳴った。
カメラを覗くと制服姿の杏が映っていた。
「おはよ。朝早くからすまねぇな」
「おはよ! 私は問題ないよ!」
マイク越しの俺と杏の会話はまるで杏の朝の訪問は決まっていたかのように進む。
それもそのはず。昨夜、白花を一時的に保護すると決めた時に杏へ連絡を入れて、男では難しい白花の着替えなどといった身の回りの世話を頼んでいた。
その時点で、まず朝に我が家へ杏が来ると事前に決めておいたのだが、そのために早起きをして身支度を整えてから来てくれた杏には足を向けて眠れない。
インターホンの通話を切り、杏を迎えるために玄関へ行き、扉を開ける。
「本当に助かるよ。ありがとう」
「まぁ、豊達に任せるわけにもいかないからね」
杏は「お邪魔します」との言葉と共に靴を脱いで家にあがる。
「それで例の彼女はどこ?」
早速、自身の役目を果たすべく白花を探そうとするがその必要は無い。なぜなら白花は基本俺の行動を観察しているため、俺が杏を玄関に迎えに行く時も着いてきており、今は俺の背中に隠れているのだから。
「ここにいるよ。白花、杏が来たぞ」
俺の言葉と共に白花がひょこっと背中から顔を覗かせた。
「おはよ……って白花? 名前わかったの!?」
そういえば杏には白花に名前を事を説明してなかった。
「あー実はこの家にいる間、呼び名が無いと困るから名前考えたんだ。不思議な白い花を持ってたから白花」
「ふーん……それって、豊がつけたの?」
「ま、まぁな。センスが無いとかいうのはナシな」
「いや、そんな事は言わないけど……豊が名付け親か……随分懐いてるみたいだね」
「なっなんだよ」
「べつにー?」
杏の言葉の歯切れが急に悪くなり、心無しか少しばかり下に俯いたように見えたが、そんなものは勘違いかと思うほど、いつもの表情を白花に向ける。
「そんなことより! 改めてよろしくね、白花ちゃん!」
「……!」
挨拶された白花本人は俺の時とは打って変わって言葉を発さず、やや緊張した様子で顔が強張っていた。
「なんだ? 白花、人見知りでもしてんのか?」
「えぇ〜、昨日も会ったのに〜」
「まぁ、許してくれ。右を左もわからない様子だし……あっそうだ」
俺はあることを思いつく。——これから、白花の主な面倒は杏に見てもらうし、短い付き合いとはいえ、どうせなら杏の名前も覚えてもらえないだろうか?
そんなことを思いついた俺は杏を指さし、白花に語りかける。
「白羽、こいつは杏だ。あ、ん、ず!」
「ちょっと、何やってるの豊?」
ちょっと引き気味の杏の側で白花が口を開く。
「あ……ん、じゅ?」
「え!?」
白花に突然名前を呼ばれて、杏が驚いているが無理もない。昨日までは言葉どころか意思疎通もできなかったのだから。
「そう! あんずだ!」
「あんじゅ!」
白花は杏を指さし、杏の名を口にした。
「そうそう! 私、杏!」
当の杏も自分を指差して、白花に自己紹介をする。
「あんじゅ! あんじゅ!」
白花は杏の自己紹介に答えるように指をさしながら何度も杏を呼んだ後、今度はさしていた指先を白花自身へ向けた。
「しらはな!」
「えっ待って? くっそ可愛いんだけど」
強張った表情が緩んで笑顔となった白花の自己紹介に、どうやら杏は心を打たれたようだ。
白花と杏が打ち解けられたところで、白花の着替えなど身の回りの世話を杏に任せている間、俺は学校へ向かう準備を終わらせるべく鞄に教材を詰め制服に袖を通し、その他もろもろの準備を終えたころには家を出る時間になっていた。
リビングに戻ると杏とその隣に白花がいたが、白花は寝ぐせが直り、服装は白いワンピースから黒と白のストライプ柄のゆったりとした長袖へと変わっている。
「杏、そろそろ行くぞ」
「そうだね。じゃあ白花ちゃん、行ってくるね!」
白花にそう伝え、杏と共に玄関へ向うが、もちろん白花も着いてきていた。
「豊、もしかして白花ちゃん着いてこようとしてない?」
「……たぶん、俺達がこのまま家から出たら確実に白花も出てくるだろうな」
なんとなく予想はできていたが、問題は白花は留守番だということをどうやって伝える方法だが……おそらく、現段階で白花に「留守番してろ」と言っても理解してもらうのは難しいだろう。
白花は基本指さしを基準にして言葉を覚えている段階だ。しかし、もし白花に指をさして「留守番」とでも伝えたら下手すると今度は自分の名前を「留守番」と言い始めてしまうかもしれない。
「おぅ豊、杏ちゃん。気ぃつけてな」
どうしたものかと悩んでいると、じいちゃんが俺達を見送りに玄関へ来た。
——そうだ、じいちゃんに白花の注意を引き付けてもらって、そのうちに出よう。
「じいちゃん、ちょっと良い?」
「ん? なんだ?」
白花には聞こえないように小声でじいちゃんと杏に作戦を伝える——まぁ白花自身こちらの言葉はほとんどわからないため、小声で話す必要もないのだろうが……。
「そうか……。確かに白花ちゃんも行くわけにはいかねぇしな。よし、まかせろ!」
じいちゃんがリビングの方へ向かい、大声で白花を呼ぶ。
「おーい白花ちゃーん! こっち来てくれー!」
「……?」
じいちゃんの「白花」という言葉に反応したのだろう。白花はじいちゃんの声がしたリビングの方へと向かった。
白花が俺達に背を向け、リビングへと入ったの確認した瞬間……。
「よし、行くぞ杏!」
「うん! お邪魔しました! 行ってきます!」
こうして、なんとか俺と杏は白花のバレずに家から出発することができたのだった――。
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