第7話 初めての朝を迎えました

「わぁー!」


 白花を我が家で一時的に保護すると決めて、迎えた最初の朝は男2人だけで生活していた頃からは考えられなかった女性の大きな声で迎えることとなった。


 ……なんで女の声が聞こえるんだ? 杏か?


  寝ぼけた脳が正常に働かないのも束の間、昨日のことを思いだす——そうだ、昨日ランニング中に恵幸神社で言葉の通じない彼女を保護したんだった。だから、聞こえた声の主は杏ではなく保護した少女、白花だ。


 「……夢じゃなかったんだな」

 

 昨日の事は現実だったということを再認識し、ベッドから出ようとするが、いつもよりもベッドから起き上がることができなかった。基本的に朝は苦手な方だが、今日はいつに増して体が重い。

 

「わぁぁー!」

 

 俺がベッドでもたもたしているうちに、再び白花の声が1階から聞こえた。


「なんだよ……」


 本音を言うと、聞こえなかったフリをしてこのままもう少し寝ていたいがそうもいかない。やや不機嫌になりつつも、なんとかベッドから立ち上がり白花が叫んでいる1階に降りる。


 リビングに辿り着くと、そこには軽い寝癖がつき不安気な表情をしている白花がいた。彼女は俺を見つけた瞬間、その不安そうな表情が一転し子供のような無邪気な笑顔へと変わる。


「おれ!」

 

 そう言いながら、俺の元まで駆け寄ってきてはそのまま抱きついてきた。


「おわっ!」


 想像以上に勢いが強く、バランスを崩しかけたがなんとか踏ん張る。


「ちょ! おい!」


 白花は子供のような仕草が目立つが、背丈は杏と変わらない。それどころか「街を歩けば誰もが振り返るであろう」と自信を持って言い切れるほどの美麗な容姿だ。そんな女性に抱き着かれると正直、思春期真っ只中の俺にはクールな対応は難しい。


 俺が対応に困っているとじいちゃんも起きてきた。


「おはよう......って何やってんだ?」


「白花が叫んでいたから、様子を見に来たら急に抱きついてきたんだよ......」

 

 じいちゃんは俺に抱きついたままの白花を見て、優しく微笑む。


「もしかして、起きたら誰もいなかったから不安だったんじゃねぇか?」


 確かにそう言われてみれば納得だ。先程の俺を見つける前の白花は、さながら親を探す迷子の子供のような表情だった。


 そう考えると、なんだか白花に不安な思いをさせてしまったと、申し訳ない気持ちになり、伝わらずとも詫びの一言でも入れるべきかと考えていると……。


「ぐぅー」


 俺とじいちゃん、そして白花の3人の空間に聞き覚えのある音が響く。 昨日も聞いた、白花の腹の音だった。

 

 「はっはっは! 白花ちゃん腹が減ったかぁ! よし、じゃあ朝飯の準備でもするか」


 白花から無言の空腹アピールを聞いたじいちゃんはキッチンへ向かい、俺と白花が食事の用意ができるまで待つという昨夜と全く同じ展開になる。


 そうだ、今のうちに白花に自分の名前を教えられる良い機会だ。


 早速、未だに抱きついている白花に話しかける。


「いいか? ここにいる間、お前の名前はだ」


 俺の言葉を白花は興味深く聞いているが、理解はできていない様子だ。


 ——どうしたら白花が理解できるように伝えられる?


 寝起きの脳をフル回転させる。


 彼女が自らを示す時は「わたし」と言う。となれば、まずその「わたし」を「白花」に置き換える事から始めてみるのはどうだろう?


 この考えが正解かどうかは全くわからない。きっとより良い方法があるのだろうが、今の俺では考えつかないだろう。


 物は試しだ。


「『わたし』じゃなくて白花だ」


 昨日の夜と同じように「白花」と発音するとき、つまり彼女を示すときだけに白花を指差す。言葉の意味を理解しようとしているのか、当の彼女は俺を見つめている。


「し、ら、は、な!」


 一文字ずつ区切り、何度も伝えるが彼女の口からは「しらはな」の言葉は聞こえない。


 流石にそう何度も上手くはいかないか……。


 今この場で白花に自身の名前を発言してもらうことは諦めるべきかと考えた時、彼女は口を開いた。


「ち……ら、はな?」


 聞き間違いではない、発音こそ辿々しかったが彼女は確かに俺の言葉を真似て「しらはな」と言った。

 

「そうそう白花! お前の名前だ!」


 思わず笑顔で返事をする俺を見て白花自身の表情もつられて笑顔になる。


「ちらはな! ちらはな!」


「惜しい! しらはなだ!」


「ちらはな!」


「『ち』じゃなくて『し』だ! し、ら、は、な!」


 再び一文字ずつ区切った発音に白花が続く。


「し、ら、は、な!」

 

「上手いぞ! その調子で今度は滑らか『白花』!」


「ちらはな!」


「よし! 今日はここまでにしよう!」


 白花の迷いの無い自己紹介に、俺は現時点でこれ以上望むことを諦めると、白花は次に俺を指差した。


「おれ!」


 俺のことを「おれ」という名称で認識しているのだろうか?


 「俺は『おれ』じゃない。豊だ」


 自身に指をさし、白花に名前を告げる。


「ゆ……たか?」


 おっ! 今度は1回で通じた!


 再度同じように自分を指差す。


「そう! 豊だ!」


「ゆたか!」


「上手いぞ! 豊だ!」

 

 俺が喜んでいるのが伝わったのか、白花は俺を指差して笑顔で何度も俺の名を呼ぶ。

 

「ゆたか! ゆたか!」


 想像以上の成果に満足していると、朝食の用意を終えたじいちゃんが俺達を呼びに来た。

 

「朝飯できたぞー、なにやら白花ちゃん随分と楽しそうじゃねぇか」


 俺は白花が自分と俺の名前をこの短時間で覚えたことを伝えると、じいちゃんは興味深そうな表情を見せる。


「ほぅ……昨日から思っていたが、白花ちゃん随分と賢い娘なんだな」

 

 じいちゃんが感心するのも当たり前だろう。こんな短時間で俺達の言葉をどんどん吸収していく白花の知能の高さは、正直驚愕するレベルだ。


 言語以外にも白花の知能の高さを知れる機会があった。朝食を3人で囲んだ際、白花は昨夜と同じようにスプーンとフォークで食事をしているが、昨日の夕飯の時と比べて料理を口に運ぶ時の動作が格段に良くなっている。驚くスピードで俺達の生活内での所作を吸収しているのだろう。


 白花の適応力に驚きつつも、俺は学校へ行くための支度を始めるのであった――。

 

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