第2話 言葉が通じませんでした

 俺の後ろには、先程まで意識がなかったはずの彼女がいた。


 こちらの顔をじっと見つめる彼女の瞳が青色であることに気づき、やはり日本人ではないだろうと推測する。


 いやまず考えるのはそこじゃない、まずは安否確認と事情を聞くべきだ。


「大丈夫ですか?」と言いかけた瞬間、により当初の予定であった言葉ではなく、言葉にならない驚きと焦りの声を出してしまう。


「……なっ!?」


 理由はシンプル。彼女にはウインドブレーカーを被せていた……そう。彼女が立ち上がったらウインドブレーカーはどうなるだろうか? そんなのわかりきっている。彼女の後ろに落ちているウインドブレーカーが答えだ。


「あ、あんた服! 早く着てくれ!」


 声を裏返らせ、咄嗟に彼女に背を向ける。


 返事は無いが、彼女に背を向けてウィンドブレーカーを着るぐらいには充分な時間が経過したはずだ。


 恐る恐る、彼女の方へと視線を戻すと、彼女は先程と全く変わらない格好で俺を覗き込むように見つめていた。


「なんでだよ!」


 再び彼女に背を向ける。

 背中越しに彼女の行動を探るが、一向に動こうとする気配はない。


 言葉が通じないのか? 確かに彼女の髪色や瞳の色は、この国の者とは遠くかけ離れている。言葉が通じないことは簡単に想像できるが、だとしても服を着ない理由がわからない。とりあえず彼女の格好をなんとかしなければ。


 極力、彼女を視界に入れないようにウインドブレーカーの元まで移動して拾い上げる。今度はちゃんと袖を通してもらおう。


 ……ここで、ある問題に気がつく。


 このウインドブレーカーはどうやって着せるのだろう?


 自ら服も着ず、言葉も通じない者に対してどう説明すれば着てもらえるかを考えていなかった。


 自分が着せるしかないのか? だが、そうなれば嫌でも視界に彼女が入ってくることになる。


 この状況を打破する方法を考えるも、何も思い浮かばない。


 望み薄だが、もう一度ウインドブレーカーを着るように言ってみよう。


 深呼吸をして、彼女の方へ体を向けるが目線だけは右斜め下へずらし、頭の中でまとまっていない言葉を口にしようとしたが……。


 彼女は、両肩を擦りながらその場にうずくまっていた――。


「おっおい! 大丈夫かよ!」


 自分が悩んでいたことすら忘れて彼女へ近づき、ウインドブレーカーを被せると同時にあることに気が付く。それは彼女が肩を擦りながらも、左手に持っていた白い花の街灯の灯りのように強かった輝きが、今では暗いこの空間でようやくわかる程度の弱いものに変わっていることだった。


 そもそも、あんなに明るい光を放つ花などあるのだろうか? いや、まず光る花が存在するなど聞いたこともない。

 

 ……また余計なこと考えてしまっている。そんな疑問よりも、まずは寒さに震える彼女の身を優先しなければ……。


 他に彼女に対してできることは無いか、考えろ時庭豊。


 ここ最近では覚えがないくらい頭をフル回転させる。しかし、良い案は浮かばない。

 無力な自分に苛立ちすら感じていると、自分の家の方角から、車のライトの光が見えた。アスファルトの上をタイヤが走る音とアクセルを強く踏んでいるのか、吠えるようなエンジン音がどんどん近づいてきている。


 近づいてきた車は間違いなく祖父の車だった。


 クルマを神社の横に停め、降りてきた祖父の姿を見たときは生まれて初めてと言えるほどの大きな安心感を覚え、張り詰めていた緊張と共にふぅと息を吐く。


「豊! 来たぞ!」


「早く来てくれて助かった! とりあえずこのに毛布を!」


「わかった……ってなんで裸なんだ!?」


 動揺しつつも早速じいちゃんは車に積んであった毛布を彼女に被せる。毛布を被った当の本人は声も出さず、ただ不思議そうな表情で俺とじいちゃんを見ていた。


「とりあえず車に乗せるぞ、お嬢ちゃん歩けるかい?」


 じいちゃんの問いかけに彼女は答えず、変わらず不思議そうな表情を変えない。


「なんだ? 言葉がわからないのか?」


「そうらしい。俺がなに言っても伝わらなかったし……」


「そりゃあ、余計に困ったな……とりあえず、車で温まってもらいてぇが……」


 言葉が通じないということはここまで不便なのかと思いながら、とりあえず俺も自身の半袖姿をどうにかするため、じいちゃんに持ってきてもらった上着を着るため車へ向かう。


 車の後部座席側のドアを開き、畳まれず雑に放り投げられている上着を見ると、いつも几帳面なじいちゃんがどれだけ急いでくれたのかがわかる。


 上着を着て神社の方へ再び体を向けると、さっきまで寒さで縮こまっていた彼女が俺の真後ろに居た。


「うわ! びっくりした!」


「お前が車に行ったの見ると、急に立ち上がってついて行ったぞ」


 それなら、あらかじめ言って欲しかった。


 じっと見つめ続ける彼女を見て、1つの考えが浮かんだ。


 もし今の彼女の行動が、俺についてきたものだとしたら、俺が車に乗れば彼女も一緒に乗ってきてはくれないだろうか?


 ものは試しだと思い、俺は車に乗り込み運転席側の後部座席に座り、空いていた助手席側の後部座席をぽんぽんと2回叩く。


「ほら、とりあえずこっちに座れよ」

 

 俺の行動を見ていた彼女は恐る恐ると車に入り、俺叩いていた部分を真似するように座席をぽんぼんと2回叩く。


 おっ伝わった!


 しかし安堵も束の間、彼女は俺の方をじっと観察するように見た後、何かに気が付いたかのように1度車から降りてしまった。


「おっおい! なんで降りるんだよ!」


 伝わらないとわかっていても、思わず出てしまった言葉に彼女は当然反応を示さないまま、手に持っていた白い花を足元に優しく置くと、くるまっていた毛布をその身から離す。


 毛布の下はウインドブレーカーを被せていただけの男性には非常に刺激の強い姿に、じいちゃんは年齢に相応しくない、驚きと混乱の声を上げている。


 彼女の行動の意味がわからないが、これではさっきの二の舞になるため、彼女に再び毛布を被せるために車から降りようとすると、俺を更に混乱させる出来事が起きた。


 それは彼女が、被っていただけのウインドブレーカーの袖を探し不慣れそうに自分の腕を通し始めたのだ。先程まで上着を着るどころか、裸であることを気にも留めていなかった彼女が今更になって袖を通した理由がわからない。


 慣れない動作で袖を通した彼女は再び毛布に包まり、足元の白い花を拾って車に戻ると、先程と同じ場所をぽんぽんと2回叩いて座った。


 不可解な点が多すぎるが、とりあえずはこちらの要求が伝わっただけでも良しとする。


 きっと彼女はこの国の生まれではない、どこか遠い国の服を着る文化の無い場所から、なんらかの理由でここに来たという勝手な解釈で思考を止めた。


「とりあえずは家に行って、体を暖めてから警察だな」


 運転席に座ったじいちゃんはそう言って、車のキーを回して、車を走らせる。


 家に着くまでの短い時間、彼女は窓に流れる景色を子供のように眺めていた――。

 

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