第六十六話 ~掲げる正義~
そう言って、莉緒は津羽音を連れて夜の街に消えていった。
ボロボロの体で、それでもしっかりと彼女を抱えながら。
静寂に包まれた街で、試生市の管理局長を務める男は、莉緒が見えなくなるまで何も言ってくることはなく、ただその背中を感慨深そうに見ていた。
──これで、まず一つ目の試練は乗り越えましたね。
雨切は小さく息を吐き出し、わずかな安堵を抑え込むようにもう一度気を引き締める。
朝倉莉緒に手を引かせ、山橋に二人を見逃させるところまでは出来た。だが、莉緒たちを政府のしがらみから解放するにはまだしなくてはいけないことがある。
むしろ、あの約束を果たすために雨切がしなくてはならない仕事はここからが本番と言えた。
自身の直属の上司であり、この試生市における最高責任者の前で、何も確認を取らず、莉緒たちを見逃し、あまつさえ身の保証まで約束した雨切は間引かれても仕方のない状況にある。
己の命一つであの約束を確約まで持って行けるなら、迷うことなく差し出すところだが、そう都合よくはいかないだろう。雨切の命で払えるのは雨切自身が行った勝手に対する分だけ。
莉緒たちを今後も見逃すかどうかは別問題だ。
緊張感が辺りを支配し、どう切り出すべきか考えていた雨切の葛藤を知ってか知らずか、意外にも先に口を開いたのは山橋のほうからだった。
山橋は溜息とは違う小さな息を吐く。
「やってくれましたね、雨切。仮にも任務として命令した業務を拒否するだけでなく、勝手に対象の安全を約束するなど」
「私は政府の人間です。あなたの部下である前に、この街の市民を……国民を守る義務があります。我々の事情を罪無き一般市民に押し付けるのは、筋が通らないと思っただけです」
「……結局、問題の解決には至らず、政府の把握していないリターナーまで見つかったどころか、そのリターナーはお前でも抑え込めないという新しい大問題まで出たというのに、これからどうするのです?」
「たとえ、彼がリターナーの力を持っていたとしても、普通にこの街で、この世界で生きていく。朝倉莉緒が我々に敵対したのは私たちに落ち度があったからこそ。ならば、私のすることは政府の腐敗を正すほうだと考えます。彼はあの力を隠していました。つまり、彼が再び力を使うようなことがあれば、それは私たち側の問題です」
この問題は政府の問題であり、彼らに非はない。
心身ともに健全な人間を増やすために不適合者を間引く。
後付けででっち上げられた大義名分ではあるが、片や遺志を継ぎ、片や好きな相手のために、理不尽を前にしてここまで行動してみせた彼らを間引くのなら、その大義名分すらお飾りとなってしまう。
犠牲がなければ救われない世界だとは理解している。
けれど、目の前の理不尽まで見逃してしまってはそこはもう自分が目指した世界ではない。
雨切は深々と頭を下げる。
「勝手な判断をした私の処分はお任せします。ですが、彼らのことは見逃していただけませんか?」
頭を下げた雨切を見ながら、深く息を吐いた山橋は淡々と告げた。
「一部とはいえ、すでに通達は出してしまっています」
「っ……!」
「ですので、不適切殺人を行ったという誤認で、風石津羽音とそれを庇っていた朝倉莉緒を間引くよう指示した私が、試生市の管理局長という役職を続けるわけにもいきません。あなたの処分は私の後を継いでもらい、今まで以上にこの街に貢献してもらうことにしましょう」
頼みましたよ、と言って山橋が雨切の肩を叩く。
想像もしていなかったその対応に驚き、顔を上げた雨切は思わず今の関係を忘れ、旧友へと昔のように声をかけた。
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