第六十五話 ~男の約束~


「………………」



 莉緒の動きが止まる。

 目の前にいる男が何のために自分と戦っていたのかに気付いて、呆然としていた。



「彼女が大切な人だと言うなら、最後まで責任を持ちなさい」



 諭すような力強い口調で雨切はそう言うと莉緒の体から離れる。

 

 大切な人。

 

 雨切にそう言われて、莉緒は初めて津羽音をそう意識したかもしれない。

 そもそもだ。津羽音と知り合ってまだ二日しか経っていない。


 そんな彼女のためにここまでできるのは、何故なんだろうか。

 街を壊してでも、リターナーの力をバラしてでも、他者をどれだけ殺すことになってでも、津羽音を守ろうとした理由。


 もう一人の自分に託された。だから命がけで津羽音を守ろうとした。

 また友達がいなくなるのが嫌だった、だから命がけで津羽音を守ろうとした。


 ……それは自分に対する言い訳だろう。


 答えは出ていた。というより、莉緒は自分でそれをさっき叫んだばかりだ。


 彼女を救えればそれで良かったはずなのに、彼女と今後も普通に一緒にいられる。

 そんな選択肢が出てきたら、怪しくてもその選択肢にすがりたくなるのは……。



──俺は……津羽音が好きなんだ。



 やけにすんなりとその事実は莉緒の心にすとんと収まる。

 呆けているとも、事実を受け入れられていないようにも見える顔を見て、雨切は慈愛に満ちた顔を莉緒に向けた。



「とはいえ、惚れた女性のために命をかけた男の末路は死であるべきだとは私も思いますがね。散々啖呵切って生き残るのは恥ずかしいでしょう?」

「すべてを台無しにする最悪の煽りだ……」

「ふふ、鈴無の時に散々煽られましたからね。仕返しというやつです」

「律儀なこって」



 鼻で笑う莉緒の前で雨切は始まりの兵装アメノトツカをグローブ状に戻した。

 それから顔つきをもう一度真剣なものに戻す。



「政府の歪みに巻き込まれた彼女を救ったのはあなたです。そのあなたが彼女を泣かせるというのなら、私が今あなたを間引きましょう」

「自己犠牲ってのは、一番わかりやすい想いの伝え方だと思うんだけどな」

「悲劇のヒロインに待ち受けるのは幸せではなく、苦悩と後悔だけですよ」

「……残念ながら、あいつはまだ俺のヒロインじゃないんだよ」



 津羽音のヒーローはまだ白間燕翔のはずだ。

 命を賭してでも津羽音が生き残る道を作った文字通り命の恩人。

 それに引き替え、莉緒は津羽音を死なせてしまっている。

 そんな状況でヒロインがどうなんて言葉を受け入れるわけにはいかなかった。


 けれど、内容としては莉緒がやろうとしたことともう一人の白間燕翔がしたことは同じだ。

 自己満足の自己犠牲による結果論の創造。

 それで津羽音がどんな苦しみを味わったのか、莉緒は知っている。


 自己犠牲のヒーローにはなれなかったが、きっと莉緒がそこに名を連ねれば津羽音はどこまでも絶望したに違いない。

 そうならなかったことに今は安堵していた。

 

 だからだろう。

 張っていた気が抜けたことで、莉緒はずっと喉に引っ掛かっていた違和感にようやく気が付いた。

 


 ──自己、犠牲?



 頭に浮かんだのは津羽音の話。

 白間燕翔が二人に別れた時の記憶。

 自分が悪魔になった時の記憶。

 そして、今回の事件に巻き込まれた一番最初の記憶。


 階段から落ちてきたの姿。


 雨切の言葉の真意がどうであれ、ここで命を投げ出すわけにはいかない。

 そう決断できるほどに、浮かび上がった違和感は無視の出来ない可能性へと姿を変える。


 動揺を顔に出すことなく、莉緒は雨切の隣を通り過ぎ、一人で津羽音の下へと向かっていった。

 そして、彼は背中越しに雨切へと最後の質問をする。



「本当に……頼めるんだな?」

「約束します。風石津羽音もあなたも殺させません」



 信用できるかどうかなんて全く分からない。

 津羽音が会って二日の関係なら、雨切とはまだたった数時間の仲なのだ。

 けれど、会ったばかりの男のその言葉は、そんな時間の浅さを気にする必要がなくなるほどにとても重たかった。



──こいつになら、任せても大丈夫だ。



 今日一日ずっとまとわりついていた重荷が背中から外れた気がした。



「そっか。なら、は頼むわ」

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