第六十二話 ~組み込まれたプログラム~
「想定外なのは私も同じですよ。この街に来てから想定外のことばかりだ。生身の人間とリターナーの共生によってここには楽園が出来るはずでした。ですが今の試生市の姿は……楽園とは程遠い」
「……リターナーの精神年齢の退行か」
莉緒の言葉を聞いた瞬間、山橋は驚きと喜びが入り混じったような顔をした。
まるで今まで誰もわかってくれなかった話に初めて共感者が現れたかのような。
「……驚きました、それに気付いているのですね」
「この街で会ったリターナーはあまりにも街に馴染みすぎていた。元の中身との違和感がまるでなく、行動も見た目相応な者ばかりだった」
それ自体は計画として狙っていたものだ。だが、それを差し引いても、こんなに早い段階で全員が全員順応しているのは異常に思えた。
例えば、風石津羽音。
彼女は時折見せる真剣な顔にこそ面影はあるが、基本的な言動は見た目通りの少女でいることがほとんどだった。ビルで心の内を莉緒に打ち明けたときですら、その様子に年長者の面影はなく、幼い少女の迷いそのものに感じた。
鈴無にしても老年の雰囲気はまるでなく、普段の振る舞いどころか戦闘時の言動すら若者のノリを引きずっていた。かくいう莉緒自身、エスケープする前と比べたら、確実に精神的に幼くなっている。
そこから導き出される仮説はこうだ。
「大人がそのまま子供に交じっても、子どもと同じようには振る舞えない。子どもとどんなに同じことをしていても大人は浮いてしまうんだ。だが、見た目が同じ子供になってしまえば、途端にそこに溶け込むことが出来てしまう。そして、やがてそれが普通のことだと思うようになる。健全な精神は健全な肉体に宿るなんて言うが、肉体に対して精神のほうが成熟しているなら、精神はそのズレを正すために肉体に引っ張られる」
そう仮定すれば、リターナーの力を不当に行使する者が次々現れた原因にも理由が付く。
楽園を目指した男にとって、それは許せないことだった。
監視委員会が勝手に始めた間引くという不適合者の処理を黙認したのもメリット云々ではなく感情的になったというのが本音だ。
そして、その判断は白間燕翔にとって幸運という他なかった。
元々は警察と同じ鎮圧だけを目的にしたリミッター解除のシステム。けれど、その抑止力では楽園は作れない。
苛烈なまでの抑止力が楽園には必要だと彼は考えていた。
だからこそ、本格的に試生市が始動するより先に間引きという抑止力の有用性を見せようとした。
それに納得させ、この街の仕組みに組み込もうと。
しかし、最高責任者がそれを黙認したことで、この街の治安維持の方法はリミッターを外したリターナーによる不適合者の捕縛ではなく、間引くというものだと政府内で誤認が広まってしまう。
しかも露骨な犯罪に自ら手を出すことがない政府関係者たちは確実な抑止力になるその方法を早々に支持した。
それは白間燕翔にとっては喜ばしく、山橋にとっては最悪の誤算であった。
かくして健康診断という名目で、リターナーには新たなプログラムが組み込まれた。
それが今回の事件の発端ともなった、殺人に対する認識の変更というプログラムである。
堪えきれない思いは言葉となって、男の口から溢れだす。
「……物事を見てきた大人が、再び社会の至る所に配置されれば、治安以外の面でもより良いほうへと進むと思っていました。だが、現実は違いました。どれだけ大人になろうとも、環境が変われば人は順応してしまう。それでも、人が増えることは良いことだと思おうとしたんです。若者が増えることになれば国としても活気を取り戻せると……!」
だが、精神的に未熟になったことで、リターナーの体に施されたこの街のルールに関する刷り込みが悪いほうにだけ機能し始めた。
「プログラムに不備があったわけじゃないんだろうが、想定していないプログラムをいきなり組み込まれたことで、結果的には理性による歯止めの利かないまま、人を殺めることが出来る人間が増えてしまったわけか」
「元々ボディに組み込まれたプログラムによって、リターナーはこの街のことを簡単に受けいれてしまう。治安維持活動なんて名目で人を殺すという社会に暴動も起きず、本来ならば理性が食い止める殺人という行動を容易く実行できてしまう。その行動に感情が入ることで、現状のような不適切殺人が横行するようになってしまいました。ここまで来てしまった以上、今更プログラムを撤廃するわけにもいかない。けれど、悠長に対策を取る時間もない。それならば、感情による恐怖を更に上書きして制御しよう。私はそう考えたのです」
莉緒は静かに問う。
「たとえそのために、理不尽な犠牲を出すことになってもか?」
「あなたなら、私の身勝手な心をもうわかっているのでしょう?」
とても悲しそうに、消え入りそうな声で山橋は小さく呟いた。
「理不尽な犠牲にすら心が痛まない……私はもうリターナーを同じ人間と思えなくなってしまった」
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