第五十八話 〜帳尻合わせの代償〜
「馬鹿、来んじゃねぇ……!」
椎名はいた。
だけど、部屋の中は俺が知っている風景ではなくなっていた。
いたるところに血が飛び散り、ズタズタに斬り刻まれた壁や床。
そして、同じようにズタズタに斬り刻まれ、片腕がなくなった椎名。
椎名の前には少年が一人。腕から伸びる剣先からは血が滴り落ちていた。
「まだ生き残りがいたのか!」
少年は椎名から俺へと視線を移した。
あの怪我ならば椎名はもう動けない。
だから、まずは無傷の俺からという判断だったのだろう。
この状況でその判断は的確だったと思う。
俺でも同じ判断をしたはずだ。
けれどその瞬間、椎名は少年の背中を蹴りつけた。
「名無し‼」
椎名の叫び。
俺と椎名が全く同じフォームで足を振り上げた。
同時攻撃に少年は反応出来ていない。
頭を挟み込むように左右から打ち付けた蹴りが少年の意識を奪い去る。
「……最後の最後で免許皆伝だな」
「喋るな、すぐに医者を連れて──」
その場を離れようとした俺の腕を椎名の残った腕が掴む。
振り払おうとしたが、椎名の焦点があっていないことに気付いて、俺の足がくぎ付けになった。
「なぁ、楽しかったかぁ……?」
擦れる声で椎名はそう聞いてきた。
覚悟を決めて、俺は椎名と床に座る。
「馬鹿か。こんな掃き溜めが楽しいはずないだろ」
「はっ、そりゃそうだ。……俺も楽しくなかったんだけどな」
思い出を懐かしむように椎名の虚ろな目が空を眺めていた。
「生きられれば上等。楽しいなんて余裕は明日の自分を殺すだけ。俺もそう思ってた。けど、お前が来てからさ……楽しくなっちまった」
「椎名……」
「やってることなんて一緒だぜ? 奪って、奪われて……それなのにお前といると楽しいと思っちまったんだ。お前となら何でもできるんじゃねぇかって、そんな欲が出ちまうくらいにさ」
「まだ何も出来てないぞ。ここから抜け出してよ。まともな生活しようぜ? 馬鹿みたいにデカい家買ったり、食ったこともない飯を毎日食ったり……。俺だってお前とやってみたいことくらいいくらでもあるんだぞ……」
「アホ……それはまともな生活って言わねぇだろ」
乾いた笑いはほとんど聞こえなかった。
椎名の呼吸音もどんどん小さくなっていく。
静かな部屋では誤魔化すことも出来ないで、俺は消えていく椎名の命を全身で感じながら、それでもいつもの調子で言葉を続けた。
「掃き溜めにいたんだ。マイナス分を含めれば、それくらいしてやっと平均くらいだろ。贅沢じゃなくて帳尻合わせてんだっての」
「……なら、ある意味これも帳尻か」
「え?」
「お前みたいに本来なら生きられない時間まで生きられる奴が出てきたんだ。その代わりにさっさと死ぬ奴が出て来てもおかしくないだろ」
「……怒るぞ、椎名」
「怒んなよ。そういうのがあっても不思議じゃねぇ。何かを得るにはそれと同じだけの代償がいる。それは世界の理だ。神様ってのの領域を犯してもそれは変わらなかったみたいだな」
「新しい世界のための代償がお前だって言いたいのか! なら俺が死ねばお前は生きるのかよ! 勝手なこと言ってんじゃねぇ‼」
「……そういう、理不尽も……あるって話だ」
俺の手に椎名の手が重なった。
「生きろよ? そういう、理不尽すら……全部抗って……おま、えは……生き……」
「……椎名?」
俺の呼びかけに返事はなかった。
だらりと脱力した椎名の体に生気はなく、空を見ていた目はもう何も映してはいなかった。
重ねられた手を握っても、その手を握り返してくれることはなかった。
理不尽に命を散らした友人をじっと見つめながら、俺は自分が信じていた世界に初めて疑問を持った。
「お前を理不尽に殺す世界が俺の目指していた世界……?」
見たくなかったからかもしれない。
俺の目から溢れる涙は世界を歪め、俺の視界をずっと不明瞭に揺らしていた。
このまま俺もこいつと一緒に死んでしまおうか。
そんなことすら本気で頭をよぎった。
「誰かいるのか?」
けど、俺のそんな考えは聞こえてきた声で棄却される。
聞いたことのない男の声だった。
そいつがこの家に上がり込んできたのは足音からもわかる。
……そうだ。死んでる場合じゃない。
帳尻を合わせるために椎名が死んだなら、俺は見定めなくちゃいけない。
俺が信じた世界が、本当に椎名を殺してでも創られるべき世界なのかを
滲んでいたはずの世界が鮮明に浮かび上がっていく。
まるで俺の怒りが涙すらも蒸発させているようだった。
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