第五十九話 ~牙を立てる者~
男が部屋に入ってきた瞬間、しゃがんだ姿勢のまま、俺は気配がする方向を思い切り蹴りつけた。
「うわっ⁉」
リミッターを外しての攻撃だったが、狙いをつけられていない状態だったせいで俺の蹴りは男の眼前を通過していく。
「リターナー? なぜこちらを攻撃する!」
俺の赤い瞳を見て、男は俺を仲間だと思ったらしい。
蹴りつけられたというのに武器を展開しなかった。
笑えて来る。
お前たちが殺した椎名は確かに不適合者だ。
これから来る世界を考えたら、殺されたって仕方ない。
この世界が来ることをわかった上で、俺はあの研究に関わっていたはずなのに……。
こうして自分が間引かれる側に立たされて、初めて俺は理屈と感情が必ずしも一致するわけではないことを知った。
不適合者を間引いていけば、いつかは素晴らしい世界が来る。
けど、
自分で地獄に突き落としておいて、這い上がったら殺される?
こいつらを不適合者にしたのはお前達じゃないか。
こいつらは不適合者になるような人間じゃなかったのに、こうなるしかなかったのに……。
何故攻撃するかだと?
そんなのは簡単な理由だ。
「……これから来る世界は本当に正しいのか?」
「何を言っている?」
「こいつらの亡骸の上に建てるだけの価値があるのかと聞いている」
立ち上がった俺を青年は警戒した様子で見ていた。
こいつらを不適合者だと言うならば、こいつらをここに落としたお前達も不適合者だろう。
こいつらが死ぬことで笑う奴らがいるならば、そいつらも不適合者だろう。
「その正しさが本当だと思うなら……俺を殺してみろ‼」
「お前、政府の人間じゃないな!」
俺の体に搭載された第二のリミッターを外す。
紅い両の目を見たからだろう。
男が明らかに動揺しながら、それでも俺を殺そうと武器を展開し、襲い掛かってきた。
振り下ろされた
そのまま壁に叩きつけ、恐怖で引きつった顔を蹴り砕いた。男は壁をぶち破りながら建物の外までピンポン玉のように吹っ飛んでいく。
俺は次の獲物を求めて雨の降りしきる外へと飛び出した。
流石に違和感に気付いたらしく、周りの建物からぞろぞろとリターナーどもが現れ、紅い瞳を持つ俺に襲い掛かってくる。
斬りつけられたタイミングに合わせて蹴りを入れた。
刀身は面白いように叩き折れ、愕然とした顔のままの相手を俺が蹴り飛ばす。
武器が折れようと俺に掴みかかってくる奴がいた。
だけど、単純な力勝負では話にすらならない。
仲間が俺の体を抑え込んでいると勘違いした奴らが一斉に斬りかかって来るが、俺は掴まれていることすら一切気にせず、体をぐんっと低くし、片手を付きながら体を回転させた。
回転時に俺に掴みかかっていた奴は地面へと叩きつけられ、俺は体の回転を止めることなく、アクロバティックに体を捻りながら近づいてきたやつに蹴りを叩き込んでいく。
何人のリターナーを葬ったかわからない。
少しふらつきながら、一番最初に蹴り飛ばして気絶させた女が俺の前に出てきた。
険しい目つきで俺を見据える瞳からは信念を感じたが、その信念がそもそも歪んでいるのでは意味がない。
突き出された剣を紙一重で回避し、今度は手加減なしで胴体を蹴りつけた。
「ごほっ……⁉」
骨が砕ける感触と内臓を押し潰す感覚が足から伝わってくる。
「こ、の……不適合者、が……」
雨でぬかるんだ地面に足を取られたせいか、一撃で殺すつもりだった女は地面に倒れたまま恨めしそうな目で俺を睨んできた。
ちょうどいい。少しだけ話をしよう。
「この先にある世界は正しいのか?」
「そう、よ……これから、楽園が出来る。そのためには、あんたたちのような……不適合者は消え、なくちゃいけないのよ!」
「その楽園ってのは誰にとっての楽園なんだ? 掃き溜めの中で誰にも助けられなかった奴らが自分たちの力で必死に生きようとした結果……淘汰される世界。その先に楽園なんてもんが出来るのか?」
俺の言葉に女は驚いたようだった。
自分達が始末した者たちが楽園を邪魔する悪ではなく、楽園の枠に入れなかった犠牲者だと気付いたのかもしれない。
それでも、女は信念を曲げなかった。
「楽園は必要よ。この世界で人が生きていくために」
「……そうか」
「けど、あなたの言いたいこともわかる……」
「わからなくていい。これは俺のわがままだ。世間から見れば、理由はどうあれ俺たちは不適合者。けど、あいつらは生きる世界を選べなかっただけなんだ……」
「……あなたの行いも、人のため? 世界って、やっぱり……難しい」
女がゆっくりと目を閉じた。
その顔はどこまでも俺に同情していて、どこまでも俺を哀れんでいた。
楽園に牙を立てる化け物だと思ったものが、他でもない楽園によって生み出された存在と知って、絶望していたのかもしれない。
けれど、この女の信じた楽園も多分嘘ではないんだ。
「本当に難しいな……」
女が最後の生き残りだったらしく、辺りがやっと夜の静寂を取り戻す。
冷たい雨が打ち付けているのに、俺の体は灼熱の業火に包まれているようにどこまでも熱かった。
「まるで……悪魔みたいだ」
血で真っ赤に染まった自分の姿は燃え盛る炎に似ていた。
俺の世界をこいつらが焼いたように、俺もまた世界を焼く側になったのだと。そのことを突き付けられているようだった。
まるで神にでも問い掛けるように、俺は雨が降る天空を見上げる。
「……楽園に悪魔は必要か?」
当然返事はなかった。
それから数時間後、あれだけ激しかった雨が止み、夜が明けた。
まだ無事だった工場の中に死体を積み上げ、燃料をかけて火をつける。
その山にはこれまで長い時間を共にした仲間の姿もあった。
数年間で得たたくさんのものがたった一晩ですべてなくなった。
ため息とも言えない息が口から零れる。
ポケットの中で何かが振動したのはその時だ。
取り出してみれば、それは俺が研究所を出てから一度も着信することがなかったプリペイド式の携帯端末だった。
画面に相手の表記は出ていない。
けれど、この携帯の連絡先を知っている人物など一人しか心当たりがなかった。
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