第六十話 ~名無しじゃなくなった日~
『生きてる?』
通話に出た開口一番に聞こえてきたのは記憶と少し一致しない口調の白間燕翔の声だった。
俺の頭に血が上る。
このタイミングで通話をかけて来て、しかも死んでいないかと聞いてくるということはこいつは今俺が置かれている状況を理解しているということだ。
死んでやればよかった。
心の底から本気でそう思った。
けれど、俺を地獄へ叩き落とした男は今晩の件で俺が心のどこかで諦めていた言葉を口にする。
『もし、死んでいるなら生き返ってくれ。システムは安定しているし、恐らくこのまま人為的輪廻転生計画は実行に移される。見えない保険として力を貸してほしい』
俺の始末も兼ねているのかと思ったが、どうやらそういうわけではないらしい。
返事を待たずに話は淡々と進んでいく。
『試生市の移住リストにお前はすでにねじ込んでおいた。一ヶ月ほどで街から招集がある。そのまま一般人として向かってくれ。朝倉莉緒。それがお前の名前だ。願わくば、これ以降僕たちが連絡を取り合ったり、偶然以外で再会することがないことを祈ってる』
「……楽園は出来そうか?」
『まだわからない』
「そっか、なら行くしかないな」
通話を切る。
少し安心した。
通話口のあいつは楽園が出来ると断言しなかった。
生活環境の違いは意識に大きな影響を与える。俺が街に戻るにあたって一番大きな齟齬になるかと思われたこの街の行く末に関して、俺たちはまだすれ違い切ってはいないらしい。
何があっても手放さなかった携帯端末をもう一度ポケットにしまう。
それから一ヶ月後、試生市への招集が発令された。
皆で溜めてきた金を使い、精一杯の身なりを整えた俺はリターナーとしての過去の全てを隠して、人間として試生市へと迎え入れられることになった。
「化けて出たくなったらいつでも来てくれ。お前達は俺を祟り殺すだけの理由と権利がある」
リターナーの死体なんてもんを試生市の外に残すわけにもいかなかったから燃やすだけ燃やしてデータを取れなくした雑な火葬。
あいつらまで一緒に燃やしたのは広範囲に土葬なんてもんをするわけにもいかないから、出来るだけ埋める場所を小さくするため。
あの世からキレられても言い訳のしようがない
椎名を埋葬した墓に向けて俺は手を合わせた。
俺がそっちに行けるのは果たしてどれほど先なのかもわからない。
だから、お前が先陣切って皆を連れて来てくれるほうが多分再会は早いと思うんだ。
時間の流れとはこうも残酷だ。
荒み切っていた心は一ヶ月もあれば、軽口が叩ける程度には回復してしまう。
けど、誓いは忘れていない。
あの街が本当に価値のあるものなのかを俺は見定めて来るよ。
合わせていた手を離して、俺は墓に背を向ける。
「たまにはうまいもんでも持って墓参りに来いよ、名無し」
俺の後ろからそんな声が聞こえた気がした。
……バカ野郎。化けて出るにしたって早すぎんだよ。
振り向きたかった。
でも、ここで振り向いたら俺はもう背を向けることは出来ない気がした。
視界が霞む。それでも声だけは震わせないようにして、俺は後ろで呑気に笑っているであろう椎名に別れを告げる。
「名無しじゃない、朝倉莉緒だ。気が向いたら、まずいパンでも持ってきてやるよ」
今までの生活が嘘のように、それから俺の日常は平和な学生生活へと姿を変えた。
この数年で研究がどこまで進んだのかも知らない。
街が目指すビジョンに関しても公式発表されている以上の情報を何一つ与えられていない。
そんな俺に見えない保険としての役割を担えるのかは不明ではあったが、それでもこうして本当に街に呼び戻されたということは、もう一人の俺が俺のことを必要だと思う程度には、この街には闇があるということなのだろう。
一般人であって一般人ではない。
リターナーであってリターナーでもない。
そんな宙ぶらりんな立場のまま、しばらくはいつどんな呼び出しがあるのかとやきもきしていたが、ここで遠慮したら、それこそふざけんなとあいつに言われる気がして、俺は学生生活を謳歌していた。
しかし予想に反して、呼び出し以降もう一人の俺から連絡が来ることは一度もなく、俺が見る限り、事前に試生市で起こると想定していた問題にも対応が出来ているように見えた。
見えない保険は使われることがないまま、二人の白間燕翔は同じ街で違う存在として、別々の道を歩むことになる。
そんなことすら思い始めた頃──その日はいきなり来た。
学校に登校してすぐ、あの日から一度も連絡のなかった携帯端末に一通のメールが届く。
『添付しているビルに今日の一六時』
内容も何もないメールだったが、それだからこそ迷いなく向かった。
下手に怪しまれないようにするため、一人で行動はせず、それとなく目的地へと誘導して偶然その場に居合わせたかのように演出した。
すぐに静希を逃がすことが出来、人がいなくなれば、外から覗いただけでは俺の姿を見られる心配がなく、なおかつ俺をすぐに発見できるように人が少ない二階で待機した。
そして、運命の時間。
俺は階段から落ちてきた。
「助けてやってくれ」
そう俺に言い残して。
二人の白間燕翔は……一人になった。
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