第五十六話 〜掃き溜めの世界〜


「待て! このガキ‼」



 怒号を完全に無視して、俺はかっぱらった食い物を抱えながら街を駆けた。

 リミッターを僅かに外せば、常人が俺に追いつけるはずもない。

 こんな犯罪行為に慣れていく自分に少し嫌悪感を抱きながらも、生きていくにはこういう手段を取るしかなかった。


 この国は情報社会として成り立っている。

 住所も過去の記録もない俺が生きる場所はかなり限定された。

 しかも、見た目が中高生くらいだったことも災いし、通常の生活圏では俺は仕事を見つけることすら困難な状況だった。


 その日を生きるためだけのはした金と食べ物をかき集める生活。

 それでも一人で生きるには限界があり、研究所を出て数年、最終的に俺が流れ着いたのは、壁の出来始めた試生市近郊にある、機械に仕事を追われた人間が集まる貧民窟だった。


 人口減少を問題視しておきながら、そこは国に庇護されているとは思えない過酷な場所だった。他人のものを奪ってでも自分が生き残ればいい、そういう考えの人間が集まっていた。



「よぉ、名無し! 今日はえらく豪勢じゃねぇか!」



 リミッターをかけ直し、抱えるパンに噛り付いた俺の頭上から声がした。

 崩れた屋根の上にいたのはボサボサに乱れた長い髪と汚れた衣服を纏った十代後半くらいの少年。名前を椎名。彼はここに流れ着いた俺を初めて受け入れてくれた人間だ。


 名前を聞かれたときに、白間燕翔と下手に名乗ることを避けて口籠ったせいで名無しと呼ばれるようになったのは正直納得いってないが、逆に言えばそんな怪しい俺のことを平然と仲間と呼んでくれたこいつには内心感謝している。



「ここで主食にありつけるなんてなかなかないぜぇ? 誰から奪ったんだよ?」

「都市部で仕事見つけたっていうおっさんから。ここを出てくんだとさ。最後に自分のグループのやつらに感謝の気持ちとか言ってちゃんとした食い物を渡していこうとしてたんだよ」

「それ奪って来たって? お前も悪い奴だねぇ~」

「今まで自分がしてきたことを自分がされただけだろ。良心なんてもんを持ち続けてたらここじゃあっという間におかしくなっちまう」

「んで、おこぼれはあったり?」

「悲しいことにあるんだよな」



 そう言って俺は椎名にもう一つのパンを投げ渡した。

 一人で生きるのは限界がある。だからここでは偶然気の合った仲間数人でグループを形成し、他グループが持つ食料や金を奪いながら生活するのが常だった。


 いつか俺は試生市に戻ることになる。


 もともとそのために外へと出たのだから、どんなに汚い手段を使ってでも俺は生き延びなければならなかった。


 幸い仲間には恵まれた。

 椎名を筆頭にしたグループに入った俺は過酷ながらも退屈はしない日々を送ることが出来ていた。

 生きるために磨いたと言っていた椎名の蹴り技を伝授され、奪ったら奪われ、奪われたら奪い返して。

 そんな生活がずいぶんと続いた。



「ほぉ~、金属を使わずにここまで肉体の性能を引き上げるか。リミッターを外して耐久性を上げるってのは通電による硬化で理解できるが、足の速さってのはどうなってるんだ? 人一人分の重さを高速で移動させるだけの馬力なんていきなり与えたら肉体が負荷に耐えられなさそうだけどな」

「リミッターはその名の通りリミッターなんだよ。性能を無理矢理引き上げてんじゃなくて、そもそもリミッター解除状態が本来のリターナーの姿だ。ようはみんながみんな枷を嵌められてるってこと」

「怖い話だね。つうか、良いのかよ。そんなことバラしちまって。その話はまだ発表されてないんだろ?」

「どうせそのうちみんな知ることだ。しかもここのやつらが知ったところで何がどうなるわけでもないしな」

「そりゃそうか。はっはっはっはっ!」



 俺の体をお手製のスキャナーで見ていた男が豪快に笑う。

 馬鹿げた話だけど、こんな生活でもいいかと思い始めてしまうほど俺はここでの生活に価値を見出し始めていた。


 住めば都……は言い過ぎだとは思うが、どんなクソみたいな縁だろうと長く続けばそれなりの情は生まれるものらしい。


 奪い奪われを続けていた奴らとも顔なじみとなり、元を辿れば仕事を追われた技術者というのも理由だろうが、俺が普通の人間じゃないことは早々にバレ、この辺りでは有名な話となっていた。


 情が生まれると言ったのは、因縁ある関係だというのに、元技術者の奴らは寄せ集めた機材を使い、俺の体のメンテナンスまでし始めたからだ。

 錆び付く一方だった自分の技術をいかんなく発揮できる環境というのは彼らにとっての娯楽。というよりも尊厳を回復させる特効薬だったらしい。


 体を弄られるというのは中々に怖いものもあったが、俺の体はそれなりの稼働期間を有していたこともあり、ガタが来始めていたのも事実ではあった。

 これが終わればまた敵同士だ。

 なんて軽口を叩きながら、自分から物を奪っていく相手の肉体をメンテナンスする関係になっていたと言えば、俺たちの歪な信頼関係もわかるだろ?



「よぉ、名無しの体はどうだぁ?」

「俺は病人かよ?」

「似たようなもんだろ?」

「メンテナンスを入院みたいに言うな。お前達で言うなら健康診断みたいなもんだ」

「その例えだったとして、俺は今と同じこと聞くけどな」



 簡易テントの中を覗く椎名は馬鹿っぽい笑みを浮かべながら、俺の体を見ている男に硬貨を投げ渡した。



「ほい、診察代」

「あん? 今まで払われたことなんてないぞ。どういう風の吹き回しだ?」

「まぁあれだ、今までの因縁清算代も兼ねてるわけ。……そろそろ俺たちも変革の時かって思ってさ」



 手近な椅子に座った椎名はらしくもない真剣な顔で男に頭を下げた。



「あんたらの技術がいる。それで俺たち……というよりここの価値を上げたい」

「おい、椎名。何の話だ?」

「ここは掃き溜めだった。クズが流れついて、クズ同士の小競り合いで生きていく。そういう場所だった。けど、名無しが来たことで俺たちは小競り合い以上の関係が生まれた。俺たちが一つに協力できれば、ここを掃き溜めじゃなくできる。そう思ったんだ」

「まさかビジネスでも始めるってか?」

「そのまさかだ。俺たち能無しは材料をかき集める。そんで技術者たちは機材を作る。それを売れば金が出来る。金が出来ればそれをさらに効率化出来る」

「闇市じゃねぇか……」

「元から底辺だぞ? 壁の向こうがどれだけ良い世界だろうと、俺たちが生きていくのはここだ。少しでも生きやすくして何が悪いってんだ」



 無茶を言うと思った。

 けど、俺は反対しなかった。

 他の奴らもそうだ。どうせ救われないなら自分たちで這い上がるしかない。

 それは皆が皆、心の中で思っていたことだったんだと思う。


 庇護を受けていないのだから、違法だろうと関係ない。

 人らしく生きるために掃き溜めを変える。

 そうして俺たちはグループの垣根を越えて、人間としての尊厳を取り戻すための行動を開始した。


 ……けど、俺の認識は甘かった。

 俺たちは庇護を受けていないゴミ。

 勝手に溜まるが、害がないから溜まることを見逃されていたゴミだ。

 そんなゴミが勝手をして、見逃されるはずはなかった。


 ゴミは片づけられる。


 そのきっかけを俺たちは自ら作ってしまったんだ。

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