第三十七話 ~迫る恐怖と知らない力~


 初めて聞く白間の叫ぶような真剣な声がスマホから聞こえてきた。



『津羽音! おい、大丈夫なのか!』

「今はまだね! リミッターを外したナンパ野郎に追いかけられているところだけど!」

『……場所は?』

「北区の三番通り! 逃げてる間にどこまで移動するかはわからない!」

『ちょっと頑張ってろ! それで中央区の──』



 白間の声は最後まで聞けなかった。

 耳へと近づけていたスマホが地面へと落ちる。石でも投げられたのか。さっきまでスマホを持っていた手からは血が流れ、ジンジンと痛んだ。



「あれ? 頭に当たったと思ったけどなぁ?」



 楽しそうな声が近づいてきていた。

 まっすぐな道を進むのは危険だと判断し、少しでも入り組んだ道を求めて、細い路地へと逃げ込む。目的地はわからないが、向かう方向はわかっている。

 とにかく中央区に行けば白間がいるというなら迷う理由もなかった。

 ここからならリミッターの限界前に中央区まで走って行ける。

 正確な地図はわからないまま、感覚を頼りに私は夜の街を駆け回った。



「よりによってか⁉」



 居住区を抜けた先で見えたのは草木の生い茂る中央区の自然公園。身を隠すことが出来ないわけではないが、人の通る道は舗装された一本道になっている。

 公園を突っ切らないで迂回したとしても、広大な公園を区切る膨大な木の壁によって公園周りの道路は結局まっすぐな一本道しかない。


 それなら選ぶべき道は一つだ。

 草木の生い茂る暗い公園は恐怖心を煽るには十分なシチュエーションだったが、後ろを追いかけてくる狂った変態に比べれば大したことはない。意を決して真っ暗な公園へと突入し、ろくに前も見えない公園の中を走り続けた。


 後ろを向くことすらやめて、ひたすら走り続けて……。

 そろそろかと思い、足を止めた。 

 限界時間が訪れ、リミッターが再びかけられる。

 後ろを振り返っても男は追ってきていなかった。

 風の音と荒く乱れた私の呼吸音だけが聞こえ、他に誰かがいるような気配もない。



「逃げ切った……」



 リミッターを解除したのは向こうが先だ。解除中に掴まりさえしなければ、私のことを追いかけ続けることはできないはず。

 頬を流れる汗を服の袖で拭い、深呼吸する。

 ……あんなのがいるのか。いわゆる通り魔みたいなものなんだろうけど。


 来た道をそのまま戻るのはさすがに不用心だと思い、走っていた進行方向へとそのまま進んで行く。遠回りではあるが、このまま北区側とは違う出口から公園を出て帰ったほうが安全だろう。白間にひとまずの無事を伝えたかったが、スマホを途中で落としたせいで、連絡を取る手段がない。


 果たしてあいつは今どうしているだろうか。

 血眼になって探してくれてれば嬉しいな。

 勝手な妄想に頬が緩む。そんな不謹慎なことを考えつつ、しばらく公園を歩き、やがて目的の出口が見えた。



「また会えましたねぇ」



 ついでにあのナンパ変態男も。

 どういうことなのか理解が出来ず、思考も体も凍りつく。

 そんな無抵抗状態の私の足元に向けて、男が何かを投げ捨てた。



「返してあげるよそれ」



 画面がひび割れた私のスマホが地面を滑る。頑丈なのも考えものということか。

 通話状態で落とした私の端末で白間はあの後に合流ポイントを指定していたんだ。それが多分ここの公園。出口で出くわしたのは私の心理を読まれたのか。


 一度限界時間を迎えてしまったリミッターは安全装置が働き、再解除出来るようになるまで時間がかかる。

 男の目も赤くなっていない。

 ということは、しばらくお互いに素の運動能力に頼るしかなくなるわけだが、男と女というだけでも不利だというのに私の体は幼く小さい。

 普通に襲い掛かられたら為す術はないだろう。


 対抗手段も逃走手段もない私の動揺や恐怖を悟られたら付け込まれる。

 残された私の抵抗と言えば、精一杯の勇気をかき集め、平静を装って男と対峙することだけだった。



「そんなに熱心に私を追い掛け回して何のつもりなのかな? 私の体に興味があるって言うなら、それは病気の一種だと個人的には考えているんだが」

「別にそういう目的じゃないさ。ただ、遊びたいだけだよ」

「それもそれでやばいってことくらいはわからないかい?」

「勘違いしないでくれよ。別に君と遊びたいわけじゃない。遊びたいんだ」



 堪えきれないという風に男の口に笑みが浮かぶ。

 なにしてるんだ、さっさと来い!

 お願いだから……助けて。

 心の中で白間を呼ぶが、その願いが届くより早く男の目に再び狂気が宿る。



「この力を使ってさぁ!」



 心臓が握りしめられたみたいだった。

 だってあり得ない。そんなことが出来るなんて私は知らない。

 十分離れていたはずの男はすぐ目の前に迫っていた。



 さっきまでと違い、再び赤く瞳を濁らせながら。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る