第三十八話 ~救いの手は誰?~


 逃げる間もなく片手で胸倉を掴まれて、無造作に投げ飛ばされた。まるでボールのように私の体は簡単に飛んでいき、



「ごほっ……!」



 背中から地面に落ちた。

 肺の中の空気が無理矢理外へと排出され、痛みと呼吸困難が私を襲い、その場で動けなくなる。


 なんで、こいつはまたリミッターを外せたんだ。

 もしかして、安全装置による再解除の間隔はそこまで広くないのか?

 けど、何度試しても私の中の何かが外れるあの感覚は一向に訪れない。


 得体のしれない存在を前に、私はただ呻くことしか出来なかった。

 面白いものを見るように、男は手を合わせながら近づいてくる。



「なにその顔? 別に驚くことはないでしょ。君がここに来るとわかっているなら、わざわざリミッターを外し続ける必要はない。限界時間まで余裕を残した状態でリミッターを掛け直してしまえば、こうしてまた解除できるのは当然でしょう?」

「リミッ、ターを? そん、なことが……」



 驚く私を逆に信じられないような目で男は見てくる。



「へぇ本当に知らないんだ。言っとくけど、俺が特別なんじゃないよ。練習さえすれば誰でもできる。筋肉と同じさ、誰にだって筋肉はあるけど、鍛えてる奴と鍛えてない奴じゃ全然モノが変わるだろ?」



 存外わかりやすい例えを出してきた男は心底楽しそうに笑っている。



「けど、どんなに練習してもそれを使う場がないんじゃ意味がない。せっかくフィクションみたいな力を手に入れたのに、それをただ押し込めておくなんて馬鹿げてるしつまらないだろ!」



 自分勝手な言い分に言い返してやりたかったが、転がる私を蹴り飛ばそうと、男が足を振り上げたのを見て血の気が引く。全力ジャンプで自分の体を数メートル上空へと跳ばすほどの脚力で蹴られたら、無事でいられるはずがない。

 けれど、体は言うことを聞いてくれない。私は襲い来る攻撃に目を瞑ることしか出来なかった。



「押し込められない力なら、それを振り回す資格はないでしょう?」

「ごはっ⁉」



 目を閉じた私の耳に聞こえてきたのは、聞いたことのない男の声だった。

 その声を追うように、何かが地面へと倒れ込む音がした。

 蹴りは来なかった。恐る恐る目を開ける。


 まず見えたのは地面に倒れた変態男だった。

 赤く染まっていた瞳は白目をむき、頬に大きな青あざが出来ていた。

 白間が助けてくれたと期待したかったが、すでに知らない男の声を聞いてしまっている。



「……余計な面倒をかけてくれる」



 心底めんどくさそうにつぶやいたのは、片目を赤く染め、髪をオールバックにした男だった。全身を黒いコートで覆ったオールバックの男は耳に付けたイヤホンのようなものに手を当て、誰かと会話を始めた。



「中央区で一人、不適合者を発見。一応話を聞くつもりで昏倒させて……女の子? 確かにいますけど。名前? ……ちょっと待ってください」



 ため息をついた後、オールバックの男がこちらに左手を差し出してきた。

 暗かったせいでよくわかっていなかったが、私を助けてくれたオールバックの男の右手はまるで剣のように変形していた。


 しかも、その剣には血みたいのが付いてる。

 多分倒れている男はこの剣の腹でぶん殴られたのだろう。改めてこうやって凶器を見てしまうと、途端に恐怖がせり上がってきた。



「立てますか? あと名前を教えていただきたいんですが」

「ころ……」

「ころ?」

「殺さないでくださぃ……!」



 ナンパ狂気男に追いかけられても泣かずにいられたのに、リアル凶器男を前に私の眼からぽろぽろと涙がこぼれ出した。

 だって本当に怖かったんだ。ホラー映画の化け物が現れたみたいで!

 いきなり泣き出した私を見て、オールバックの男はまたイヤホンへと手を当てる。



「泣かれてしまったので名前が聞けません……いえ、何もしてないです。わかりました、位置情報送ります。それでこっちに来てください。声? まぁそれは構いませんけど」



 しゃくりあげる私に、オールバックの男は自分が耳に付けていたイヤホンを投げ渡してきた。ジェスチャーで耳にそれを付けろと指示され、素直にそれに従う。

 誰に繋がっているのかもわからないまま、とりあえず話しかけてみる。



「どちらさま、でしょう……か?」

『あれ、人違いっぽいか? すごい弱弱しい女の子が──』



 走っているのか荒い呼吸音と共に聞き慣れた声が飛び込んできた

 途端に恐怖は吹っ飛び、私の中でリミッターではない何かが外れる。

 見えないのは承知の上で私はにっこりと電話越しの男へと笑いかけた。



「ふふ……死にたぁい?」

『甘い声ですげぇ怖いこと言ってる⁉ 津羽音か? 津羽音なのか⁉』



 その反応に、イヤホンの先にいるのが白間だということを確信する。

 そうとなれば、先ほどまでの恐怖などもう感じることはない。

 むしろ、その代わりに私の中で湧き上がるのは──


 安堵と怒りだった。


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