第三十一話 ~最低な出会い~


「ひぃぃぃぃぃぃぃぃぃ⁉」



 地面がどんどん近づいてくる。

 パニックになりそうな心を必死で沈めながら、私は歯を食いしばった。

 落ち着け……!

 心は恐怖でいっぱいだが、この着地で怪我をしたり、ましてや死んだりすることがないことは体のほうが教えてくれている。


 つまり、あとは覚悟の問題。

 例えるなら注射のようなもの。怖いし痛いが命に関わるような怪我をすることはない。それを受け入れる勇気とちょっとの痛みに耐える根性があれば大丈夫なのだ。

 そんな鼓舞を自分にしていて、ふと思う。

 あれ? 着地って痛いの?

 頭に浮かんだ嫌な考えをそのままに、私は地面へと到達した。


 ズッドォォォォォォォォォォォォォォン‼


 勢いよく衝突した地面がひび割れ、私を中心に衝撃波が発生し、辺り一面を一瞬で吹き飛ばした。 

 ……みたいな劇的な着地にはならず、



「うぐぅ……!」



 すさまじい破壊音も地面のひび割れもなく、とても地味に私は地面へと着地した。ゆっくりと体を舐めるような鈍い痛みがつま先からつむじまで駆け抜ける。


 子供の頃、階段から跳び下りたときにこんな痛みを経験した覚えがある。もう何十年もなかった懐かしい痛みだ。


 別に再会したくはなかったよ!


 痛みと共に両足が痺れてしまい、転げ回ったりすることも出来ず、しばらくその場で微動だにしないまま痛みを噛みしめた。



「よし、走ってみよう!」



 完全に痛みが去ったわけではないが、ある程度動けるようになったところで、さきほどの反省を生かした運動をすることにした。

 先ほどの恐怖がなくなったわけではないが、それでも試さずにはいられなかった。

 初めての体験によってもたらされる高揚感は私の背中を押してやめない。さすがに全力疾走をする度胸はなかったので、小走り程度の気持ちで運動場を駆ける。



「おぉ!」



 さっきのような事態にはならず、普通に走ることが出来た。

 普通と言っても、私は小走りをしているつもりなのに、そのスピードはスポーツ選手の全速力くらい速い。


 軽い体がとても新鮮で、無意識にだんだん速度を上げていく。

 短距離走のようにいきなり全速力にしたらどうなるかわからないけど、走りながらゆっくりとペースを上げる分には、思ったほど体に振り回されることもなさそうだ。

 運動場をぐるりと一周しているトラックの中を足がもつれそうになったりすることもないまま、まさしく風になったような気持ちで駆け回る。


 うん、走るのは問題ない。

 むしろ、ただ走ってるだけなのに何かアトラクションに乗っているみたいで楽しい。

 体力も向上しているのだろう。結果的に全速力で走っているというのに疲れどころか息切れひとつ起きる様子はなかった。

 いつまでも走っていたい。


 そんなことすら思い始めていた楽しい体験は本当に唐突に終わりを迎える。


 カチッとリミッターを解除した時とは逆に何かをはめ込むような感覚があった。

 だが、違いはそこだけではない。今の感覚は私の意思ではなく、体の中で勝手に行われていた。



「ふぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ⁉」



 次の瞬間、私は再び狂乱の中へと叩き落とされた。

 リミッターが掛かったところで、勢いのついた体はいきなり止まれない。

 今、足がもつれたら死ぬ。そう直感で理解しながら私は走った。


 リミッターを外していたからこそ問題なかった全力疾走は、リミッターが掛かったことで、完全にスペックオーバーな動きへと変わっている。

 さっきまでが車に乗って走っていたようなものならば、今は車の後方にロープで結ばれながら、無理矢理車と同じ速度で走らされているような感覚だ。


 当然そんな無茶な走りが長く続くわけもなく、体の勢いに負けた足が地面を蹴ることなく滑り、吹っ飛ばされるように私の体が前へと投げ出された。

 生物としての防衛本能だろう。反射的に赤子のように体が丸まる。

 投げ出された私の体が何かに衝突した。



「いってぇ……あ、大丈夫か?」



 壁かフェンスに衝突したものとばかり思ったが、何故だか痛みはなく、それどころか私の体は何かにがっしりと抱えられていた。



「お~い、大丈夫なのか?」



 やっと声のほうへ向いてみれば、さっきまでいた白衣の男性とは違う、左の目を赤く染めた黒髪の青年と目があった。やけに近いその顔を見て、自分がこの男に抱き抱えられていると気付く。

 助けてくれたんだというのはわかったが、放心状態の私は礼を言うこともできず、ただその青年の目を見つめ返していた。



「おぉ可愛い、すっげぇタイプ」



 黙っている私を見ながら青年がそう言ったので、年甲斐もなく恥ずかしくなり目を逸らそうとした。



「ん?」



 でも、こいつの手が私のお尻をさすさすと撫でていることに気付く。



「成敗っ!」

「ごっふぅ⁉」



 私を抱えているせいで、文字通り手も足も出ない男の顔面にパンチをお見舞いする。

 我ながら良い拳が出たのだが、後ろへ仰け反り倒れていきながら、それでもこの男は私の尻を撫で続けていた。



「離せ変態っ‼」



 こんな最低のやり取りが彼との最初の思い出。


 私の生き方を変えた、白間はくま燕翔えんしょうという男との出会いだ。

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