第二十三話 ~背水の陣、煩悩仕様~


 最後のモップを立て掛けながら、真がふとあることに気がついた。



「ねぇ、あいつ静希達のほうに行ったりしない? 壁の上って一応空いてたよね?」



 雨切が任務の為なら女風呂へ特攻出来る鋼のメンタルを持っているならば、確かにその可能性もある。だが、そんなものよりはるかに高い可能性は別にあった。



「あいつが行くより怖いことがあるだろ! 先に行くぞ!」



 ボタンを留める時間すらも今は惜しい。

 ズボンを履いた時点で、上半身には何も身に着けず半裸のまま莉緒が脱衣所の外へと走る。



「女湯のほうには別の追手が来てたりしないだろうな……!」



 あのときビルから逃げたということは、静希はリターナーではない。

 腕っ節こそ強いが、怖いときには怯え、悲しいことがあれば泣いて取り乱す。普通の生身の女の子だ。

 津羽音にしても、公園で莉緒を庇うときにリミッターを外していなかった辺り、彼女はリターナーの力を使うことに恐らくあまり慣れてはいない。


 いざ、リミッターを外したところで力の使い方がわかっていないなら、相応の訓練をした手練れのリターナーが相手では話にすらならない。

 焦燥感に駆られながら暖簾をくぐる。勢いそのままに女子風呂へと特攻をかけるつもりだった莉緒の足がその瞬間ビタリッと停止した。



「あっ……! 津羽音ちゃん……そこダメぇ……!」

「お姉ちゃんは感度がいいですね、やってて楽しくなってきます」

「やぁぁぁ……!」



 悩ましげな甘い声を出しながら、津羽音に肩を揉まれている静希がいた。

 そのあまりの破壊力を前に、莉緒の体が暖簾をくぐった姿勢から動かなくなる。


 濡れたことで無造作ヘアーがさらさらストレートになり、静希の肩を一生懸命に揉みながら、顔にはイタズラっぽい笑みを浮かべている津羽音。湯上り故に紅潮した顔は幼さがより強調されながら、それでいて艶やかな色っぽさも感じさせる。


 そんな津羽音に肩を揉まれながら、ポニーテールを下ろして、イヤイヤをするように小さく首を横に振っている静希。ダメと言いながらも快感からは逃げられないのか、その場から動こうとはせず、とろんとした目でふにゃふにゃになっていた。

 こちらも津羽音と同じく顔を赤く染めているが、果たしてそれが湯上りのせいだけなのかはわからない。


 汗に濡れた制服を着るのが嫌だったのか、二人とも銭湯で販売している無地の白シャツを着ているのだが、ラフな感じがよりえっちぃ感じに拍車をかけていた。


 色即是空。作戦の変更がここに決定される。


 行為に夢中な二人がまだ自分に気付いていないことを確認し、二人を横目でチラチラと見ているカウンターのおっさんへと莉緒は一心不乱に突き進んだ。

 そして、わざとおっさんの視界を遮るようにカウンターの前へ割り込む。



「お楽しみ中すみませぇん! 一つ聞きたいことがあるんですが、この銭湯ってこれから混んだりする可能性あります?」

「え? いや、むしろ人がいるほうが珍しいくらいだ。西区だと居住区から離れすぎてっからよ。風呂無し物件だろうとここまで来る人なんてほとんどいないから商売あがったりだ!」



 がははと笑うおっさん。じゃあなんでこの立地で開業したんだというツッコミを抑え込み、靴箱を指差しながら、わざとらしく申し訳ない感じで莉緒は頭を下げた。



「なるほど。では、すみません! 突然変なお願いになるんですが、色々訳がありまして……靴とかを浴場に持ち込んでもいいですか?」

「え? どういうこと?」



 当然の疑問を返してくるおっさん。当たり前だろう。何をどうすれば、客が土足で風呂場に侵入しなきゃいけない状況が発生するのか莉緒もわからない。

 窓でも割ったのなら、何も言わずに逃げればいいだけだ。


 だが、当然莉緒たちが政府に追われているなどという話をするわけにもいかない。

 勢い任せに始めたせいで上手い言い訳も思いつかず、莉緒は状況を説明することを諦め、ただの非常識な学生を演じ切ることにした。



「いや、その好奇心! 靴で風呂入れてぇなぁみたいな‼ ……いや、流石にヤバい奴過ぎるか。えっと~……説明するのが難しいので、どうかご容赦を! 本当ただの気まぐれってだけなんで! 全然迷惑とか掛けないんで‼」

「びっくりするくらい怪しいんだけど……。う~ん、まぁ持ち込んでいいけど、履かないで済みそうなら履かないでくれよ?」



 驚くべきことにおっさんは特に追求することもなく、莉緒のあり得ないお願いを承諾する。

 頼んでおいてあれだが、このおっさんはどこかおかしいんじゃないだろうか?

 そんな失礼極まりない考えが莉緒の頭をよぎった。



「……そんなあっさりいいんですか?」

「聞いてきたのに何で君が驚くのさ?」

「俺が非常識なことを言ってるからです」

「それは理解しているんだ……。もちろん普段なら断るんだけど、君が何かを頼んできたら、協力してやってくれって頼まれてるからさ」

「頼まれた? 誰に?」

「君の後に入ってきた政府の人にだよ。何かの訓練だからって」



 あの雨切時雨という男はどこまで掌握しているのだろうか。

 真の奇策で突破できたと思っていた。けれど、わざわざ莉緒がカウンターに何かを要求することまで見越して手を打ってきているということは、自分が突破されるのは想定していたということになる。


 しかもこの状況。

 ここで戦えと言われているようなものだ。



「……わかり、ました。ありがとうございます」



 覚悟を決めるしかない。

 入口の靴箱から真の靴も一緒に掴み、莉緒はついさっき飛び出してきた男子風呂へと再び駆け戻っていく。

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