第二十一話 ~だが、まずは風呂からだ~


 何故かはわからないが、どこからともなくカポーンという効果音が響いてくる。

 お決まりと言えばそこまでだが、音の出所がわからない環境音なんてよくよく考えれば恐怖でしかない。


 雰囲気を出すためにスピーカーでもあったりして。そんな興味が頭をよぎりはしたが、銭湯特有の広々とした湯船に肩まで浸かっていた莉緒は、湯船から上がってまでそれを探してみようという気にはなれなかった。

 その代わりとでも言うように、首だけを動かして、当たり前のように隣に座っている真へと悪態をついてみる。



「劇的なヒロイン救出シーンをした後だってのに、何が悲しくてお前と風呂に入らなきゃいけないんだ? 普通ここから盛り上がるところだろ?」

「主人公属性が足りないんじゃなぁい?」



 濡れた長い髪を顔に張り付けながら、真は気怠そうな声で返答した。

 その返答に莉緒が露骨な溜息で応える。



「まじかよ……決死の戦いをしてきたつもりなんだけどな」

「リターナーと戦ったんでしょ? よく勝てたね」

「準備もシミュレーションも色々したからな。身体能力がすごかろうと頭は同じ人間だ。驚けば隙も出来るし、行動の先読みだって出来なくはないさ」



 思わずリミッターを解除する羽目になってしまったが、そもそも莉緒のしてきた準備は生身でリターナーと戦うための準備だ。

 最初のペットボトルアタックこそ本命であり、あれと類似した攻撃で本来はあの場を潜り抜けるつもりだった。


 中途半端な検証になってしまったが、ひとまず手も足も出ないことはない。

 それがわかっただけでも収穫だとは思っているのだが、いかんせん格好がついていない。

 具体的に言えば、最後に手を振り払わなければ合格だった気がするのだが、ヒロインはヒーローを選ばなかったのだから仕方ない。



「そんな決死の戦いの果てに助け出したヒロインは、今頃あの壁の向こうで静希とイチャついてるんだろうね」

「言うんじゃねぇよ……」



 男湯と女湯を遮る壁を見て、莉緒は先ほどよりも大きな溜息を零す。



「…………頑張って助けたヒロインが前作の主人公に掠め取られた気分だ」

「静希は前作の主人公なんだ」

「そう、そして俺は敵」

「……そのパターンだとさ、今のお前は主人公ポジションじゃなくて、改心して仲間になった脇役ポジションにいるんじゃない?」

「……笑えねぇ~」



 さて、そろそろこのよくわからない状況を説明しよう。

 時間がないとか言いながら、こんな呑気な時間を過ごしているのには理由がある。


 津羽音を回収して公園から脱出した莉緒たちは、静希が用意してくれた自転車を使って昨日のビルへと向かった。

 電車ではなくわざわざ自転車を使ったのは、電車に乗っているときに襲われたのでは逃げ場がないということと、決まったルートを走らないことで相手にこちらの動きを読ませないようにするためだ。

 

 功を為したのかは不明だが、結果的に莉緒たちはリターナーに一度も襲撃されることなく、目的地へと到着することが出来た。

 誤算だったのはビルがまだ昨日同様に封鎖されていたこと。

 立ち入り禁止区域に男女の学生数名が入っていくところを見られでもしたら、余計なトラブルを生む恐れがある。


 だから、彼らは近くの銭湯へと来た。


 そこで銭湯はおかしいとか言ってはいけない。ぶっちゃけ少し冷静になった今となっては莉緒も同意見だが言ってはいけない。


 思い出して欲しいのだが、津羽音は噴水に放り込まれてずぶ濡れだったのだ。

 ビルの前で行き先をあーだこ-だと言い合う莉緒と静希の前で可愛らしいくしゃみが聞こえた瞬間、



『……寒い』

『『よし、なら風呂だ!』』



 と、なってしまったのは仕方のないことなのである。

 そんなこんなで津羽音大好きな二人は危機感とかガン無視して、西区で偶然見つけた銭湯に来た。

 当然、男女は別々の入浴をすることになるため、莉緒は一人寂しく男湯へ向かい今に至る。



「そういやお前よくここがわかったな。銭湯行くなんて連絡しなかったのに」

「手伝えって言ったのに当たり前のようにそれ言うのおかしいからね?」

「銭湯集合な! って連絡来ても困るだろ? だから余計な混乱を生まないようにするための措置だったんだよ。そういうことにしよう」

「さ~いて~」

「で、どうやったんだ?」

「スマホの位置情報とかはこまめに切っといたほうがいいよ、それで結構頑張れるから」

「あぁ~なるほどな。ストーカーのように俺の居場所を突き止めたわけか」

「ふふふ、いつか使う日が来るかもしれないと勉強した賜物さ」



 へらへら話してはいるが、莉緒は本気で驚いたのだ。

 真が腰にタオルを巻きながら、いつもの感じで戸を開けて入ってきたときは「なんだこいつ実は敵なんじゃないか?」と莉緒はわりかし本気で思ったほどである。


 だが、真が来て、頼んでいたことに対する文句を言ってこないということは準備は整ったということなのだろう。

 莉緒の声のトーンが一段階落ちる。



「それで頼んでたものは?」

「全部揃えたし、準備もしてきたよ。けど本当に大丈夫なの? 津羽音ちゃんの件とか関係なく、普通に間引かれそうなことしようとしてない僕たち?」

「まぁ、ぶっちゃけかなりグレー……寄りのアウトゾーンってところか」

「ダメじゃん……ただの不適合者じゃん……」

「安心しろ。誤認の証明が出来れば、津羽音を助ける為だったって主張ができるからな。最終的に勝てば官軍って奴だ」

「その理屈だと外堀埋められたら詰みそうだけどね」



 準備が出来ているならば、後は覚悟の問題だ。

 莉緒がやらかそうとしていることはまさしく楽園の崩壊。言ってしまえば、人類の救済を拒否することと同義とも言える。

 一人の女の子のためにたくさんの人を犠牲にするかもしれない決断。

 迷いがないと言えば、正直嘘になる。


 少しのぼせたのか、思考が不明瞭になったので莉緒は湯船から上がることにした。

 真も続き、タイルが敷き詰められた床を二人はペタペタと進んでいく。



「よくよく考えたら着替えとか持ってきてないんだよな」

「一度着た服をまた着るのに抵抗あるタイプ?」

「風呂入る前に着てた服を風呂上りにまた着るのに抵抗あるタイプ」

「あぁ、気持ちはわかるかも」

「服もお前に頼んどけばよかったな」



 少しだけ気を紛らわそうと呑気な会話をしながら、脱衣所へつながる戸をガラガラと開ける。

 だが、平和な時間はそこで終わりを告げた。



「どうもこんにちは。あ、こんばんはのほうがそろそろ適切ですかね」



 扉の先にはオールバックの男が立っていた。

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